見出し画像

【革命を渡り歩く】

※短くまとめたつもりですが、むっちゃ長いので歴史の変遷に興味のある方へお届けしたいと思います。


現象よりもそれを動かす背景にすごく興味があって、「Why」で考えることが多くなりました。今のような社会、例えばSNSの普及でこうして誰もが送受信できるようになったこと、オンラインサロンに始まる同じ「イズム」を共通言語として集まるコミュニティーの存在、を考えてみるとそのターニングポイントはなんだったのかを考えるわけです。

数百年に一度の大きなパラダイムシフトが起きている中で、その変遷をその都度起きた「革命」とともに整理してみようと思います。先日のブログでちょろっと書いた「評価経済社会」という書籍で書かれていることを咀嚼した内容になってます。

有史以来、人間社会には3度の大きなパラダイムシフトがありました。その転換期にはいつも「革命」と呼ばれる社会的変革がつきもので、それらは「農業革命」「産業革命」「情報革命」と言い換えられます。


———————————————
狩猟時代の生活様式
———————————————

農業が始まる前、人々の生活は狩猟でした。動物はもちろん、木の実を探しては消費するという、いわばその日暮らしの生活です。この頃は、土地に根付かない移動生活がスタンダードで、それもそのはず毎日食べるものを探す必要があったからです。つまり、ここで「探索」→「消費」→「移動」の繰り返しで人は生きていました。豊かな生活ができていたかというともちろんそうでなくて、人々の日々の関心ごとは「今日、食べること」でした。

この危機と常に隣り合わせにいたからこそ、コミュニティー単位はさほど多くなく(仲間がたくさんいるとみんなを養うのにコストがかかる)、少数規模での部族集落が存在していました。

食料は命に換言できるほどに尊いものであったから、太陽や月、動物をその化身として人々は祈ります。ここには論理は存在せず、「カミ」という存在を信じ、ひたすらに祈り、祭り事に勤しんだのです。


———————————————
農業革命がもたらした変化
———————————————

ここに入り込んできたのが農業でした。それまで人は明日を生きるために動き続けたわけですが、農業がそれを変えます。土地に縛られない移動生活から、土地に根付いた定住生活へ。とにかく耕し、畑を広げていきます。狩猟時代は食糧難のために少数規模での部族が存在しましたが、ここでは逆です。食料を「生産する」という概念が生まれ、人口も爆発的に増加します。

加えて、ここで生まれたのが「所有」という考え。自分で生産することもできるわけですが、隣の畑のアイツが作ったものを取っちゃった方が速いんじゃね?ってやつが出てくる。

いわば2つの正義の対立が起きていて、つまり食料は「狩るもの」という狩猟社会の当たり前と、食料は「育てるもの」という農耕社会がバッティングしました。

ここで必要になったのが、自らの土地を守る法整備とそれをまとめるリーダーの存在です。国家的社会の誕生です。農業によって、土地を持つ地主と、そこでせっせと働く農奴が生まれます。封建社会です。

また、この国家的社会では血縁による結びつきが重視され、家父長制といった考えが生まれます。

生産力に余力が出ると「商業」が発達しました。動物による移動のため細々としてものでしたが、農奴から商人へと成り上がることも可能でした。


—————————————————
中世農業社会のモノ不足・時間余り
—————————————————

更なる繁栄を目指して新たな土地(フロンティア)を開拓したのですが、おやおやその限界が見えてきました。向こう側には終わりの見えない砂漠や、極寒の原生林。こうしたフロンティアの喪失は「モノ不足」を意味しました。つまり、人口は増える一方で生産量は上がらないという意味において、一人当たりのモノが相対的に減ることが目に見えたのです。

同時に、これは「時間余り」をも意味しました。農業は長期間にわたって行われます。収穫時期でなければ比較的「ヒマ」でありました。

ここで人々は何に時間を当てたかというと「宗教」です。物質よりも精神に身を捧げるようになります。教会に行っては教えを乞い、困っている人がいれば手助けをする。「清貧」が美徳になったのです。宗教に幸せを求めるようになりました。

「働くべき時に働かない」よりも「働かなくてよい時に働く」ことの方が罪が重くなりました。そのため、何かにつけて休日や祝祭日を作りました。

宗教に根付いた生活をしていた人々のアート思想は抽象的なものです。教会のステンドグラスから溢れる光に見るような感覚的・抽象的な表現方法を模索しました。

こうしたモノよりも精神性に重心を置いた社会は産業革命まで続きました。


———————————————
「科学」の誕生と産業革命
———————————————

革命のファンファーレは大航海時代に鳴り始めます。フロンティアの消失と宗教による閉塞感から、新大陸の発見は大きな希望の光です。人々は海を跨いだ新たな通商航路開拓を目指し、鼻息を荒くして船に乗り込みます。「市場」と「資源」を獲得したのです。

やがて産業革命が起き、「科学」が誕生しました。皮肉にも、この科学は「宗教」から生まれます。一見すると対峙するようにも思えるこの関係ですが、つまるところ、宗教の教えを解明しようとしたのが「科学」だったのです。「雷」は神様の怒りの思し目だ!みたいな宗教観などが良い例かもしれません。

事実、歴史的大発明をした科学者は敬虔なキリスト教信者であった事は珍しくありません。もちろんこれによって宗教・教会の権威は落ちます。教会の教えは違うじゃねえか!みたいな矛盾が生まれる。

科学の発展によって生産性が飛躍的に上がり、「産業都市」が生まれます。工場労働者になるために農地を捨て、都会へと移動する人が続出しました。先述の通り、農耕社会では血縁に基づく大きな家族によって保たれていた秩序が壊れます。

工場で働くことのできない老人を都会へ連れて行くわけにもいかないので、家族の分化が起きました。核家族の誕生です。そして、父は工場へ、母は家事・育児という「家庭」と「仕事」に更に分化しました。


—————————————————
合理的・科学的発想が生んだもの
—————————————————

科学とは、論理に従って発達するものです。偶然はご法度で、因果と論理で説明できることを良しとしました。これにより、貨幣経済が生まれます。モノとモノを均質かつ定量的に交換するための尺度として生まれたのが貨幣です。

それから民主主義が発達します。これは革命的で、なぜならどんな身分でも一人一票という前提のもと成り立っているのです。

産業革命下では、とにかく働き、大量生産が美徳になりました。「モノ余り・時間不足」の時代です。モノをたくさん生み出し、消費することがカッコイイとされるようになります。

大量生産が生んだもう1つの副産物。それが「教育」です。表向きのカリキュラムとしては、工場での労働を想定して基礎的な読み書き算数・歴史を教えていたのです。一方で、その裏には「時間を守ること・命令に従順なこと・反復作業を嫌がらないこと」が狙いとしてありました。「知識の習得<集団生活」という構図です。

宗教的権威が没落したわけですが、となると人々の言動はフリーズします。つまり、これまで教会の神父さんが道標を示してくれたわけですが、途端にそれがなくなったのです。「自分はどうあるべきか?」という自我への問いが生まれます。

これは一見すると解放的で前向きな響きもありますが、「自己責任」という重荷を背負って生きるという意味において現代に見るようなストレスや精神病をも生み出しました。

極論、「なぜ」という論理的思考が中世の思想を駆逐したのです。何れにせよ、産業革命によって人々は科学に幸福を求めます


—————————————
科学の限界と情報革命
—————————————

科学の限界はオイルショックによってもたらされます。それまで考えもしなかった資源の有限性にようやく気付いたのです。成長の限界です。

そして、大量生産・大量消費への見直しがなされました。産業革命下での「モノ余り・時間不足」から、「モノ不足・時間余り」へと変容を遂げていきます。

工場からネットへ人は移動します。このネット社会を助長したのがメディアの存在です。ある意味で、情報革命下の社会と中世は似通っていて、それはどちらも「モノ不足・時間余り」だからです。

宗教中心であった中世の神父的存在は、現代に見るような「メディアの人」に代替されます。つまり、テレビ露出が多く世間から崇められるような人です。教会かドラム缶かという違いだけで、そう遠くはないのです。

ただし、違いがあるとするなら3つで、まずはネットによる情報余り。どちらの時代も「モノ不足」な訳ですが、情報革命によって電子情報は今もなお増え続けています。それから、「自己」の捉え方。宗教観が大切にされていた中世においては出自への疑念はなく、農奴として生まれたらそれを神の思し召しとして受け入れることが普通でした。それが現代においては、自己を「唯一無二」の存在として捉えることが主流になったのです。最後に、教育。日曜教会では宗教的思想の説教がありましたが、現代においては学校という枠組みでの教育がなされます。


———————————————
情報社会と評価経済社会
———————————————

科学によって貨幣が流通するようになり、その様子を「貨幣経済社会」と表します。原則、モノとモノ、モノとサービスの等価交換を「カネ」が媒体することで成立することのできる利便性の高いシステムです。

その貨幣経済から今まさに移行しているのが「評価経済社会」です。プラスなのか、マイナスなのか、という判断軸に従って物事を判断するようになりました。

このパラダイムシフトはすでに世界で大きく起こっていて、戦争を例にとるとわかりやすいです。第一次世界大戦の戦勝国は「国土と賠償金」を獲得しました。一方で第二次世界大戦の戦勝国はそれに加えて、「正義の国アメリカ」という世界的なプラス評価、そして「ファシズム国家日本・ドイツ」というマイナス評価が上積みされました。

これまで国家の権威や拡張のための戦争が、正義や評価のための戦争へと意味の移行が起きていると言えそうです。イラク戦争などがそれです。

「カネ」が媒介になっていた貨幣経済と違って、評価経済社会での流れは「評価」が等価交換の媒介になっています。

例えば、AppleのiPhoneやMacbookなんかはまさにそうで、モノとしてのクオリティで見れば他の商品とさほど変わりません。がしかし、ここで重要なのはApple社という企業への評価が人の購買意欲をくすぐるのです。

言い換えると、評価経済社会においては世界観や理念といったソフトウェアに重心が置かれているのです。

人レベルで見ても、SNSの「いいね」の数やフォロワー数がモノを動かし、カネをも動すようになりました。1億円持っていてもできないことを100万人のフォロワーがいればできることだって往々にしてあるのです。

こうなると人はいかに評価するか・されるかという軸に沿って言動をするようになります。そして、自分の価値観と波長のある人とくっつくのです。それが昨今話題になっているクラウドファウンディングやオンラインサロンなわけですね。

メディアが多様化した今においては「マス(大衆)」に投げかける網漁よりも、狙いを定めてモリで刺しに行った方が合理的ということになります。


———————————————
ぼくたちはどう生きるか
———————————————

これまで人類のパラダイムを大きく変えた「革命」を、時系列に沿って見てきました。狩猟中心の社会に「農業革命」が起き、人々の生活様式は大きく変わりました。定住化、宗教信仰、血統主義。中世は「宗教」に幸せを求めた時代と言えます。そして、科学が「産業革命」をもたらすと、またも大きくパラダイムが変容を遂げます。合理主義や民主主義思想、大量生産など。科学の力で幸福を勝ち取れると人々は躍起になりました。しかし、それにも限界を迎えます。現在進行中で起きている「情報革命」はコミュニティーを多様化し、いかにして「良く」思われるかという「評価」に幸せを求めるようになりました。

こうして時代を遡ってみると、どうやって「今」があるのかが見えてきます。同時に、社会の変遷を読み解いていくことで、今何をすべきかが見てきます。

過去を知るということは今を知ることであり、今を知れば未来がわかる。

「評価経済社会」からこんなことを学ばせてもらいました。


『ぼくたちはどう生きるか?』

画像1

いただいたサポートで、心の栄養を蓄えようと思います。よかったらサポートお願いしますo(^▽^)o