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北の海賊ヴァイキング〜vol.7 『衣・食・住』〜

こんにちは、北欧情報メディアNorrの管理運営兼ライターをやっております、松木蓮です。普段はデンマークの大学院に籍を置きつつも、北欧に関する発信をしています。

今回の連載ブログは、「北の海賊ヴァイキング」と称して、書籍に基づいて彼らの歴史を紐解いていこうと思います。参考文献は「Viking Age: Everyday life during the extraordinary era of the norsemen」です。2019年の夏、ノルウェーの首都オスロにあるヴァイキング船博物館にて購入した一冊です。

今回は、前回に引き続いて、参考文献の第4章「Material Life」より、ヴァイキングの「衣・食・住」を中心についてみていきます。

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↑ヴァイキング船博物館(オスロ)にて

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ここではヴァイキング時代の「衣・食・住」についてそれぞれ見ていきます。


▼ヴァイキングの衣服

衣類に関する証拠は中でも限られているものですが、いくつか推測できることがあります。まず、服の素材については「羊毛🐏」が一般的であったと考えられます。羊毛は「温かい、丈夫、撥水性」と言った特徴があります。 羊毛を使った衣類には染料で着色されるものもあれば(染めても時間が経つと色落ちしやすかった)、元々グレー、ブラウン、ブラックと言った色付きの場合もありました。

麻(リネン)素材のものはそこまで使われていなかったようです。とはいえ、肌触りなどを加味すると下着に使われる素材として使われていたと考えるのは妥当だとされています。

亜麻を繊維とするキャンバス布地についてはあまり見つかっていません。というのも、植物由来の素材は動物性のものよりも分解されやすいからです。

絹には他の地域でも同じように高級品され、一部の富裕層のみが所有していました。もちろん、輸入品として仕入れ、高価でした。


■男性の衣服

女性よりも男性の方がバラエティに富んでいたという衣服。広く交易を行っていた商人は、好んで真新しい海外製の服を身に纏っていました。一方で、女性はというとスカンジナヴィアの伝統的な衣服を着用していることが多く、スカンジナヴィアを離れ東西へ生活拠点を移した後でさえそれを維持したと言います。

男性の一般的な服装は、肌着(羊毛 or 麻)の上に膝丈のチュニック、あるいはカフタン風の丈の長いジャケットを羽織っていました(※丈の長い服を着ていたという理解でok)。富裕層であれば、金や銀が施された絹の装飾をあしらっていました。首回りを閉めたりするためにビーズもよく使われていました。腰回りにはベルトをつけ、ベルトにナイフや小銭入れを付けたりもしていました(ナイフは首元に忍ばせることもありましたが)。

毛皮やウール素材のコート(上着)はチュニックの上に着ていて、剣を振りかざす手が自由に動くようにコートを肩周りでピンやタイを使って固定していました。

ズボンについては様々で、くるぶし丈もふくらはぎ丈のものもあり、脚にフィットするようなタイトなものも、ブカブカしたものも履かれていました。

足元は、レザーのブーツや靴が主流でした。靴先の形も丸みを帯びたラウンド型のものもあれば、先っちょが尖ったポインテッドトゥもありました。

寒い冬場は手袋やグローブ、ハット帽も男性の身なりとして一般的でした。

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Source:Vikings


■女性の衣服

長めの肌着(羊毛 or 麻)の上に、装飾されたウールのドレスやガウンを着ていました。加えて、長方形型の装飾を首から掛けたり、ビーズや琥珀、銀などの装飾品も身に付けていたようです。

腰回りには男性同様、ナイフや小銭入れを携帯していました。既婚女性は頭にスカーフを巻いていました。外出時には、肩掛け(マントのようなもの)を纏っていました。靴やグローブなどについては男性のものさほど変わらなかったと考えられています。

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Source: Vikings


■ジュエリー

どうやらヴァイキング達は宝飾品を好んでいたようで、彼らが残した貯蔵庫や墓場から明らかになっています。スカンジナヴィアにて鉄、銅、鉛、錫(すず)が採掘され、金銀、亜鉛などは輸入した後に、黄銅や青銅などに合金して使っていました。

ブローチは衣服を留める役割として日常的に使われていて、特に女性がドレス着用時に使っていました。

金銀製の首輪、腕輪、指輪、トゥリング(足指の指輪)は装飾や金塊として使われ、ガラスや琥珀のビースで作られたネックレスやペンダントは主に女性が身に着けていました。

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Source: Vikings


▼ヴァイキングの食生活

ヴァイキング時代は朝晩の1日2食が普通でした。食べ方として、平らな木皿に盛られた料理を手掴みで食べていました。短いナイフを使って小さく切って食べることもありました。ポリッジ(穀物かゆ)やスープ、シチューなどは木製のボウルによそって(木や角で作った)スプーンで食べていました。

ビールや蜂蜜酒は角の中身をくり抜いて作られた器に注いで飲まれていました。もちろん、角の形状なので一度注いだら手に持って飲み干さなければいけませんでした。グラスを使うことはほとんどなく、一部の富裕層が使っていたくらいです。

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Source: Vikings


実際にどんなものを食べていたのか、についてですが、これは場所ごとに得られる食材によって異なります。それでも、基本的には「乳製品、肉、魚」が重要な食材であったこと確かです。


■肉

牛、羊、ヤギのミルクは好んで飲まれていて、バターやチーズも作っていました。ミルクから凝固分(凝乳)を取り除いたホエイ(乳清)は人気のドリンクでした。

農業中心の地域では、家畜(豚、牛、羊、仔羊、馬)をたんぱく源としていました。その他にも、雌鳥やガチョウもお肉として食べたり、卵の供給源として育てたりしました。

あらゆる海鳥を捕まえ、野ウサギ、熊、ヘラジカ、鹿、アザラシ、鯨、(北部にて)トナカイも食用として捕まえられていました。とりわけ、鯨とアザラシは御馳走とされていて、鯨油はランプに、アザラシの油はバターに加工して使われていました。

お肉の調理法として、大釜で茹でたりグリルにして食べられていました。保存方法は、ホエイや塩水に漬けたり、燻製、乾燥、塩漬けにして保存していました。ちなみに、塩は海水や海藻を煮沸して取っていたようです。


■魚

多くの家からネットや釣り針、浮き物、重りなどが確認されていることから漁業の重要性がわかります。特にタラはノルウェーやデンマークのユトランド半島西部、北部植民地、大西洋で獲られていました。バルト海やデンマーク沖になるとニシンが重要な魚でした。新鮮でない魚は塩漬けにしたり乾燥したりして食べていました。

タラやニシンの他にも、サーモン、スズキ(perch)、パイク(カワカマス)が食べられ、エビ、ムール貝、牡蠣などの甲殻類も食べられていました。


■シリアル

大麦は一番重要な穀物でした(アイスランドでは大麦くらいしか採れなかった)。穀物はポリッジやパンを焼く時に使われました。また麦芽の入った大麦は、(香り付けのホップと一緒に)ビールを作るのにも使われました。ライ麦やオートもパンを作るのに使われました。

小麦はスカンジナヴィアで栽培可能だったものの、稀少で高価でありなかなか「白いパン」を食べることはできなかったと言います。


■野菜・果物

野菜、果物、ベリー類、ナッツ類は重要な栄養源でした。一般的な野菜としてキャベツ、玉ねぎ、豆、ビート、チコリなどがあり、育てられていました。果物では、りんご、洋梨、チェリー、プラム、ブルーベリー、クランベリー、ラズベリー、ブラックベリー、ストロベリーなどが育てられました。果物(特にベリー類)については、生で食べるのはもちろん、ドライフルーツにしたり、ワインにしたりもしていました(ぶどうのワインは輸入品で高価だった)。唯一スカンジナヴィアで育つナッツは「ヘーゼルナッツ」だとされていて、クルミの殻は見つかっているものの輸入してきたものだとされています。


■調味料

料理の際の味付けはどのようにしていたのか?主に、塩とハーブ、それから香辛料が使われていました。蜂蜜は甘味料として使われていました。その他にも、クミン、マスタード、西洋わさび、パセリ、クレス、ミント、マージョラム、タイム、アンゼリカ、ニンニクなども使われていたと考えられています。他の香辛料は輸入して使われていました。



▼ヴァイキングの住まい

ヴァイキング時代の住空間は周りの環境や気候によって大きく変わるため、これと言った一つの型がありません。木がないエリアだと、石や泥炭、藁、干し草などを利用した住空間を整え、一方材木資源があるエリアについては木造家屋が一般的でした。ヴァイキング達の住まいでも特に極寒地域(スカンジナヴィア北部、アイスランド、グリーンランド)ではより防風性の高い住空間が必要でした。

村(田舎)と町(都会)のそれぞれの住まいについてみていきましょう。


■村の住空間

村の家屋は多くの場合、長方形型であったことがわかっています。幅4-7m、長さ15mほどの一般的な大きさで、家の大きさはその家庭の社会的、経済的なステイタスを示したと言います。家の中が一つの大きな部屋になっている場合もあれば、パーテーションでいくつかに仕切られているものもありました。

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Longhouse Photo: Anne Pedersen
Source from Nationalmuseet i København

家の一端は家畜のスペースになっていてこれにより寒さを防ぐ効果がありました。もう一端のスペースはリビングや調理場などになっていました。

離れ屋があることもあって、そこを動物たちが越冬するための小屋として使ったり、納屋として飼料を保存する貯蔵庫としての役割に使ってもいました。鍛冶場としても使われる離れ屋もあったということです。

家の内部は地面から天井にかけて大きな木材の支柱が2つほどあり、これらは梁に繋がり、安定させていました。この作りによって屋根を支えるだけの丈夫さを作り出したといいます。

壁はというといくつか種類があり、木の枝や細い木片を格子状に紡いだ壁を作った家もあれば、厚板を壁にしていたこともありました。もちろん、地域によっては木材資源が潤沢になかったので、石や泥を利用して壁を作ったりして、風や寒さを凌いでいました。

家のドアは長方形の長い一辺にあって、鉄の装飾を施したり、木を彫ったりしていました。施錠は木材と鉄の両方がありました。

石の壁が分厚い長屋などでは窓はなく、木造の家屋であれば覗き窓を作り、内部から雨戸や半透明の皮膜を貼っていたようです。いずれにせよガラス窓の存在はヴァイキング時代が終わりを迎えるまで確認されていません。


■町の住空間

町の家はサイズも建築方式もそれぞれ異なりました。村にある農家の家と同じように長方形型で、調理場や商業目的の離れ屋がいくつかありました。農家の家と違うのは、町ではそれぞれの家がくっついているように近く位置している点で、こうしたタイプの家は1人の家主がいる場合か借地としてそこに住んでいるというタイプがあります。

ヴァイキング時代に栄えたHedeby(へーゼビュー)で掘削された多くの家は、9〜10世紀の家で、そのサイズは「7×17.5m」から「3×2.9m」と幅広かったようです。しかし、後者の「3×2.9m」については人の住まいではなかっただろうとされていて、当時の最小の家は「7×3.5m(約25平米)」とされています。

家の構造で言うと、水平に厚板を敷いたような家もあれば、垂直の支柱で支えていた家もあったようで、同じ地域でも様々だったことがわかります。

屋根は藁や葦を被せるように載せていました。煙突などはなかったため、通気孔として暖炉の上に穴が来るように屋根を作る工夫もしていました。

スペインのアンダルシア地方からHedebyに訪問した商人の証言と実際にされた採掘から、ほとんどの家に井戸の存在があったとされています。他の町ではどうだったかまで言及されていませんが、水資源が豊富な湾沿いや川沿いの町であれば井戸の存在があったかもしれませんね。

彼らの生活の中で光といえば暖炉の火でした。家の真ん中に来るように配置してそこで調理を行ったりしていました。中には、暖炉がない家もあって、そんな家にはカマドがあり、そこで調理などをしていました。暖炉の火が発する光が部屋全体に行き渡らない場合は、獣脂のランプを使っていました。キャンドルも使われたいたことは確かですが、稀少で高価なものであったので、裕福な層で使われたいたとされます。


■家具

北欧といえば、家具が有名だと思います。木材が沢山あったこともあり、それを利用した家具作りが古くからされていました。これがヴァイキング時代からそうであったかというとそうでもなく、あまり使われていなかった(作られていなかった)ようです。

スツールや椅子はそこまで普及したものではありませんでした。それでも、へーゼビューでは4脚の長方形の椅子は見つかっていて、ルンド(スウェーデン)、ダブリン(アイルランド)などでも3脚のスツールは見つかっています。他にも、ノルウェーにて背もたれが四角いベンチタイプの椅子が見つかっていますし、スウェーデンでは丸みを帯びた背もたれの椅子が見つかっています。食器棚はなかったようで、生活用品や調理器具などは棚にしまったり、壁に掛けたりしていたそう。机やベッドなどについても見つかっているものの、家具全般としてはさほどなかったと考えて良さそうです。


■人々の外見

今日の北欧の人々に対するイメージとして、「高身長、碧眼、ブロンド」の三拍子があるかと思います。驚くべきことに、ヴァイキング時代より彼らは高身長(流石に今ほど大きくないけど)であって、ブロンドであったと言います。男性の特徴として、口髭や顎髭があり、また髪の毛はよく手入れをされていたと言います。女性については、未婚の女性の髪の毛は緩んでいていて、既婚者は首の後ろで長い髪を束ねていたそうです。

(今回の参考文献外の情報ですが、最近ではヴァイキング達は色んな人種が混在していたということもあり、必ずしもブロンドでもなかったとも言われています)

考古学の発見から見ると、彼らの所有物に今でいう「耳掻き」や「ピンセット」「爪楊枝」、それから動物の角や骨で作った「櫛(くし)」などがあります。こうしたことから、男女問わず外見に気を遣っていたと考えられています。Hedebyを訪れた人の記述に、外見をより美しくするために化粧もしていたとあります。1000年以上前より彼らは美男美女であったのかもしれませんね。

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↑ヴァイキング船博物館より(オスロ)

それでも、当時の衛生面の質はとても高いとはいえませんでした。彼らは排便や排尿後に手を洗わなかったといい、これについて指摘する史料があるようです。同じ水を使うことが多かったようで、その水には別の人が唾を吐いたり、鼻をかんだりした後のものも含まれているので、なかなか汚いですね。

また一方では、(今でいう)サウナや入浴の文化について言及されたものも見つかっていて、身を清めるということについては彼らは時間やリソースを割いたと考えても良さそうです。



▼この章のまとめ

今回はヴァンキング達の衣食住にフォーカスしてご紹介しました。「衣」については、男性の方が色んな服装をしていたことがわかりますね。とはいえ、1000年も昔の社会なので、現代のようにモノで溢れていたことはなく、装飾品を付けてお洒落を楽しんでいたのかもしれません。

「食」文化については、特徴的なものとしては「鯨」「トナカイ」などを食べていたことでしょうか。それでも今にみる北欧のようにとりわけ食文化に富んでいたというわけではなさそうですね。

最後に、「住」空間。こちらも、今でさえ北欧インテリや北欧家具がブランド化していますが、流石に1000年も昔からそうでなかったようですね。厳しい環境に従順に、木材、石、藁などなどを使って、寒さや風、雨をしのぐ工夫をしていたと想像できます。

かつてのような生活の工夫が今にみる機能性やシンプルさが評価される北欧デザインにきっと繋がっているんだと思います。

それでは、また次回お会いしましょう!
Hejdå!!




参考文献:
Wolf, K. (2013). Viking Age: Everyday life during the extraordinary era of the norsemen. Sterling Publishing.



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