見出し画像

生き方のバランスを整える


音声版

今日はちょっと、短めの文章を書いていこうと思う。書いているといつの間にか止まらなくなってつい長くなりがちなんだけど…短い文章も割と好き。

さて、さっそく綴っていくね。

Me(自分)、You(あなた)、We(わたしたち)どれを優先して生きている?って話。

Youは自己犠牲

ぼくは今までYou(あなた)を最優先で生きてきた。その結果、本当は嫌だけどちょっとだけ我慢すればいいや…とか自分の本当の想いを隠して生きるようになってしまったの。

大好きな人は喜んでくれるけど、どこか自分の中で我慢している部分がいつもつきまとっていた感じかな。

きっと自分でも氣付かないうちに自分を犠牲にしていたから、当時はめっちゃ幸せだったんだけど本当の意味で幸せになれてなかったんかなとかも、ちょっと思ったり。

Meは自己中

そんな状態から少しずつ変わっていって、最近まではMe(自分)を最優先で生きてきたのね。

正直これは心地よかったな。だって自分の本当の想いを素直に表現して、嫌なことは嫌ってはっきり言う世界。自分の嫌なことはやらないを軸に生きれるんだから。

でもこれにも欠点があってさ、ちょっといきすぎるとそれこそただの自己中な人。いつの間にか、自分さえ幸せであればいい…もしかしたらそんな自分にちょっとなっていたのかもしれないんだ。

その瞬間ってのは、自分のことに夢中になっているからそんな風には感じないものだけどさ。

Weは中庸

中庸っていうのは、偏りのないことね。どちらかにいき過ぎない・寄りすぎないでいようねって在り方。色々な経験を経て、改めてWe(わたしたち)を最優先で生きようって思ったの。

人はひとりでは生きられないし、助けてもらいながら生きている。いやむしろ、もっと大きな視点で見たら生かされているよね。「ありがたい」しかないのよ。

自己犠牲と自己中の両極端を体験してきたぼくは、すごく遠回りをしたんだけどようやく本当の意味でWe(わたしたち)の世界を体験するフェーズに入っているのかなって感じるんだ。

わたしたちっていうのは、あなたもわたしも。どちらかに偏っていない状態ね。どちらのことも想って生きる。そんな在り方。

ちなみにね、いつだって自分は中庸でいると思っていたの。こんなにも自分を犠牲にしていたんだとか、いつの間にかこんな自己中になっていたなんて…とかはすべて人を通して氣付かされる。

でもある思想や考え方に影響されれば、人は簡単に影響を受けてしまったり信じるものが変わったりするよね。だから今、それに氣付けただけでひとまずOKじゃん。

何事もそうだけど、改めてバランス感が大事だなって感じたよ。

さてと。簡単だけど、残しておきたいなって思って書いてみた。今回はこんなところで終わりにしようかな。

ぼくがつづる文章や想いを氣に入ってくれた方は、リアクションやメッセージをもらえるととても嬉しい。いつも読んでくれている方、初めてこのnoteを読んでくれた方、最後まで読んでくれた方、本当にありがとう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?