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【働くということ②】働かないことは良くない事か

 先日、「働く」※ということについて考え、ある程度まとまった考えを記事にした。それで、春から社会人として働く自分自身にとってはよかった。しかし、世の中には学校を卒業したいわゆる「大人」でも働いていない人、働けない人はたくさんいる。今回は、働かないことはよくないことかということについて、考えてみようと思う。

 先日考えた、「社会というシステムを運用するために労働(という価値の創出)が必要」という原理からすると、社会の恩恵を受ける以上は私たちは働かないといけない。つまり、「働かないことはよくないこと」となる。しかし、現実の社会を考えると、それは些か短絡的すぎるように思う。

 現実の社会を見るために、我々が運用している社会システムの機能について考える。前回は、社会は人々が得意分野に特化して価値創出を行うことで成り立っていると記述した。ここでの社会の機能とは、分業による生産活動の効率化となろう。今回重要となるのは、社会がもつもう1つの機能である。それは、弱者救済である。弱肉強食の野生と違い、社会では高齢者や障害者など身体の自由に制限のかかる人、精神疾患をもち価値創出が難しい人なども生きていくことができる。すなわち、働かなくても生きていけるし、それは社会の特徴であるからそれで良いということになる。社会には、みんながそれぞれの事情に応じてそれぞれの幸福を追い求めながら生きて行けるだけの機能が備わっている。

 一方、社会に属する全員が価値を生み出せないとなると、社会は崩壊する。社会にできるのは「弱肉強食」のバランスを取ることであって、「弱」を「強」にすることはできないからである。そのため、社会に属し価値創出ができる者は価値創出をしなければならない。人間社会で言うならば、稼ぐことができる人はたくさん稼いでたくさん税金を納め、様々な理由で稼げない人のために社会を維持しなければならない。いわば、今現在稼ぐことができない弱者のために、「強」をわけてやらねばならない。

 このように考えると、働かないことは必ずしもよくないことではないが、できるなら働いたほうが、社会としては良いと言うことになる。ただし、これは当然ながらあくまで社会の都合であることと念を押しておきたい。働けない人に価値がないわけではないし、働けるのに働かない人も、社会が面倒を見てくれると思って生きたいように生きれば良い。

 特に現代社会に異議を唱えたいわけではないので、「だから社会がどうすべきか」などと言うことについては考えない。ただ、多くの人の仕事で成り立つこの生活に感謝しつつ生きてゆきたい。

※前回に引き続き、企業経営、労働、資産運用なども含めあらゆる「価値創出」を「働く」と表現する。

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