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私と仕事とプライドと。①

以前、第2回の投稿である『私の経歴的な書』でなんとなく仕事の本筋の話を書きました。
ざっくり要点だけ抜粋すると…
①コンピュータ科システム開発コース出身
②最初はPCでのデータを扱ったりHP更新が仕事だった
③丸3年経った頃に会社が合併。受付事務に異動になる。
④色々ありつつも、休職期間含めると11年半ほど勤務していた
⑤仕事も職場の人も大好きだったから続けられた
こんなところでしょうか。

最終的に『仕事でのキャパシティ』が溢れた結果、鬱が悪化して心療内科へかかる決意をしましたが、後押ししたのが仕事のキャパというだけで、自分は元々鬱になりやすい性質を持ち合わせていました。
思い直せば中学時代が始めで、高校時代にも症状が出ていて、専門から就職までも躁と鬱を繰り返していた節があり、もっと早く対処をするべきでした。
でも、双極性障害(躁鬱)のことを知らず、鬱も「まだそこまでじゃない」という謎の過信があり、結局限界を迎えるまで病院へ行かなかった自分の落ち度でもあるんですよね…。

このシリーズは休職と復帰、そして退職に至るまでの出来事を中心に綴っていこうと思います。
今回はその初回、休職に至るまでと数度繰り返した休職、そこに焦点をあてていきます。

治療開始と休職。

初診日2015/12/12土曜日。この日から私は『鬱状態』という診断の下、服薬によっての治療が始まりました。
診断方法は、血液検査、問診、面談、という方法で行われました。
(後日、光トポグラフィー検査を受けて明確に『鬱である』と診断)
服薬は最初、診察の始めに「私自身のペースで服薬は決めれば良い」と言ってくれていたのですが、話をしているうちに先生が(あ、これヤバいやつや…)と思ったのか、服薬での治療が確定してしまったのでした…。
処方箋薬局が閉まっているような時間に診察が終わったので休み明けの月曜日から服用し始める形になりました。
最初、副作用はあまり感じなかった気がしていたのですが、思い返せば薬を細かいスパンで変えたり、量を増やしたりと調整をしていたので、かなり副作用には振り回されました。
これは今となっては『当たり前』だと認識できるのですが、思っていたより効いてる実感が無かったのも不思議でした。今も「効いてるのかな?」って思うことがありますが、通院延期で薬不足になり丸1日以上間があくと離脱症状がキツいので効いてるんだなって思います…

この時、すぐにでも休職した方が良かっただろうと思うのですが…
年末ということもあり、年末年始の休暇と2月に少し長めのお休み(1週間くらい)をもらうことになっていたので、休職はしませんでした。
2月末くらいまで、休みつつ頑張っていました。でも、明らかに休みの数が尋常では無く、残っていた有休も風前の灯火状態になってしまって…
2月は何日出勤できていたのか…、ほぼ2、3日おきには毎朝体調不良でお休みの連絡を入れるような状態でした。
鬱と診断されて治療をしていることは会社にも伝えてはいたので、仕事もお休みも調整してもらえたりしていました。
でも、だんだん何度も朝になって自分で体調不良の連絡を入れる度に精神的に辛くなり、申し訳無い気持ちがこみ上げてくる日々に耐えられなくなってきて、会社と相談して『休職という選択』をしました。
期間は3月1日から丸々1ヶ月。この時期は閑散期であまり忙しくもない為、気分的にも休みやすく、4月に復帰できればまだ忙しくなる前なので、リハビリをしつつ『しっかりとした復帰』ができると自分は信じて疑いもしていませんでした…。

さて、1ヶ月の休職をもらった物のスパンの短さ、それと意外と『休職』って何するのがいいの??という感じで、ハッキリ言って休んだ気があんまりしないし、逆にせわしない感じになってしまっていました。
1ヶ月休んで復帰はしたものの…圧倒的に心身共に調子が悪くなってしまっており、丸1ヶ月分くらいはあった有休をすぐに使い切ってしまいました。
そして、有休を使い切ってしまった時点で再度休職をしてはどうか、というお話をいただき、それを甘受する形となりました。
それがなんやかんやと復帰しては休職をするというのを繰り返すことになってしまい、期間も1ヶ月⇒1ヶ月半⇒3ヶ月⇒3ヶ月(途中で延長)…と変わっていきました。
正直、自分の中で3ヶ月後にまた3ヶ月…しかも、延期でというのはすごく怖かったです。
やっぱりできないことが増えてきていて、そこでそんなに長期間休んだらどうなってしまうんだろうという『仕事への執着とプライド』を切り離すことが大変でした。
最終的に、自分のことを大事にすることを優先して長期の休みを受け入れることがなんとかできた、と思っていました。この時は。

休職期間の過ごし方。何もしないって難しい。

だんだんと日が過ぎるにつれて、日常的な活動も億劫でできないことが多く続きました。鬱な日々が続いて、この頃には『双極性障害Ⅱ型』に診断が変わっていました。
休職をしている期間、傷病手当金を受給して生活していましたが、圧倒的にギリギリ。普段のお給料の7割だったかな…?足りないワケしかない!!
休職期間ってめちゃくちゃシビアで、家賃補助も出ないんですよね…。通勤もしてないから通勤手当も当然出ません。お金のことについては、またどこかで書きたいですが借金もありましたし、まさしく首が回らないとはこのことです。生活費は、また少し借金したり親に援助してもらって何とかしていました。

それから、この時期幸いだったのは、元彼と同棲していたことです。
日常生活をなんとか送ることができていたのは、一緒に生活してくれる人がいるからで、そうじゃなければ気力が沸かないし、外出もしないし、本当に廃人みたいな生活を送っていて、もっと深刻な状況になっていた可能性が高いです。
ただ、やっぱりそうすると『何かしなきゃ』って思ってしまいマイナスな要素でもあったことは否めませんが…
仕事のこともできるだけ早く復帰したい、と考えてしまいがちになってしまって、どうやったら休めていると言えるのか分からない状態が続きました。
この『何かしなきゃ』というのは、仕事をし続けてきたからなのか、性格なのか分からないんですが、手持ち無沙汰の時間が何かしなきゃいけない気がしてソワソワしちゃうんです。
まるで動物園の檻の中でウロウロしている熊のごとく。
この問題を解決するのに、妹が一時的に1人暮ししていた時期があり、その時に1ヶ月丸々お邪魔して『私は何もせず、妹が献身的にお世話する』ということを実行することで、やっと『何もしない』が掴めた気がしました(完全には理解できませんでした…)。
この期間は妹に本当に助けてもらって、ある意味妹は病気関連では『先輩』のようなものなので、たくさんの助言を貰ったり、励まされたり、自分の考え方の根本を正してくれました。今でもたまにあります(笑)
本当に一言で『休む』と言っても色々あるので、今休職している方はその辺りに焦点を充ててみて、もう一度「自分に取っての休むとは何か」を見つめ直してもらいたいと思います。

今回は、休職編までをお送りしました。
次回は少し先になりますが、休職⇒復帰後、どうして退職するに至ったかを綴りたいと思います。


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