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病室の蛍

 いま「信号」について考えていますが、それにはわけがあります。いろいろありますが、ある出来事が大きくかかわっている気がします。

 母が生きていたころの話です。ある年の初めに母が大病をしました。それまではわりと元気で入院をした経験も一度しかない人だったので、病に倒れたさいには、こちらもてんてこ舞いしました。

 一時は危篤状態となり約一か月間の入院でした。そのとき看病をしながら、「信号」についてよく考えていました。それをいまになって思い出しているのです。

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 なにしろ病院は信号だらけなのです。大病院で、先進的な医療をしている施設だったので、あらゆるところで機械や器械が作動しています。すべての情報がデジタル化されたデータとして施設内を飛びかっている。そんな場なのです。

 ようするに、機械だらけ、スイッチだらけ、信号だらけなのです。中途難聴者である自分にとって察知できない信号も数多くあります。ちょっとしたブザー音や、機械音声、院内放送が聞きとれない。そんなケースは枚挙にいとまがありません(家にいると、電子レンジやタイマーの電子音が聞こえないのです)。

 看護師さんやお医者さんやその他のスタッフの方々に事情を話して、音声で伝えるのとは違った方法で、こちらに分かるように合図、つまり信号を送ってもらうようにお願いする。それしか方法はないわけです。

 総合病院は看護師さんとスタッフだけでも、たくさんいます。日や時間帯に応じての引き継ぎもあります。違った人が来れば、最初から説明し直さなければならない。それだけでも大変でした。ストレスにもなりました。

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 母は無事退院し、介護が必要ですが家で生活できるようになりました。寝たきりではないので助かりました。そういう暮らしに慣れてきたとき、今度は私が体調を崩しました。

 ゴールデンウィーク明けのころです。疲れがどっときた感じでした。入院こそしませんでしたが数日間通院し、いろいろな検査を受けました。

 親が入院していたのと同じ病院だったので、ある程度勝手が分かり心強かったです。でも、お医者さん、看護師さん、スタッフのみなさんに、いちいち耳の障害について説明しなければならないのも、体調の悪い身にはかなりのストレスになりました。

 その時期に考えていたのが、また「信号」なのです。

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 病院で働く人たちとのコミュニケーションはすべてが「信号」のやりとりだと言ってかまいません。

 諸検査の結果、つまり情報は、すべてがデジタル化されたデータとして記録・保管され、必要なものだけが患者である自分に伝えられます。数字、つまり数値やグラフである場合もあれば、医師や看護師の言葉による説明という形で伝えられます。

 病院で「信号」についていろいろ考えながら、かつて大学生時代に翻訳で読んでいたミシェル・フーコーというフランスの人の書いた文章を頻繁に思い出しました。

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 フーコーは、決して長かったとは言えない生涯を通じて「視線」に注目しつつ思考を重ねた人でした。

 印象に残っているフーコーの本で、『臨床医学の誕生』 神谷美恵子訳(みすず書房)があるのですが、その原題はNaissance de la clinique、そして副題が une archéologie du regard médical 、つまり「医学におけるまなざしの考古学」なのです。

「考古学」なんてレトリックをフーコーはつかっていますが、ようするに医学において「まなざし」がどのように機能し変化したかを丹念に歴史的に分析しているのです。以下の資料で目次をご覧ください。

 日本語でも「みる・見る・観る・診る・視る・覧る・看る」と表記できるように、視線と「やまい」とのかかわり合いが見て取れますね。

 医学・医療・病院、刑務所・刑罰・法といった、「隔離」および「排除と選別」を前提とする、人間のいとなみや施設の構造を論じたフーコーの文章に、視線やまなざしという言葉とレトリックが頻繁にもちいられているのです。

 詳細はきれいさっぱりと忘れましたが、「視線」を重視した人だったことは確かだと思います。

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 ジャック・デリダという、やはりフランスの人が聴覚的な比喩を多用した思索家であったとすれば、フーコーは視覚的な比喩をもちいた思想家でした。

 デリダの文章では、声や鼓膜をはじめ、ティンパニだの太鼓だの鐘だのが出てきた記憶があります。それに知的アクロバットのような駄洒落の連発が特徴でした。

 いっぽう、フーコーは、襞(ひだ)を視るとか(※フーコーについてのジル・ドゥルーズの見解だったかもしれません)、刑務所の監視塔とか砂浜の光景とか絵画・美術作品などをめぐって長文の論文を書きました。駄洒落はあまり得意ではなかった気がします。

 なんて、見てきたような、つまり自分で原著を読んだような口調で話しましたが、デリダとフーコーについての以上のお話は、大学時代にお世話になった豊崎光一先生(1935-1989)の著作からの受け売りです。

 豊崎先生は哲学書と呼ばれるであろうテクストを、文学作品を読むときと同様の手法で丹念かつ精緻に読んでいました。その手際は斬新で、目を開かれる思いがしました。

 残念ながら故人です。その著作は現在では入手しにくいみたいです。

 現代思想に頻出する固有名詞(人名)をキーワードに、豊崎先生の主要な著作を概観してみましょう。

 たとえば、ミシェル・フーコー論である『砂の顔』、そしてジャック・デリダ論である『余白とその余白または幹のない接木』と「アナグラムと散種」においては、まるで詩や小説を相手にするように――論を読むというよりもむしろ歌や詩を読み、同時に詠む手つきで――、丹念に言葉の修辞(特に比喩)に注目しながら批評が展開されていました。

 また、翻訳・抄訳だけでなく、解説=解釈=作品でもあった、ドゥルーズ=ガタリ『リゾーム・・・序』(『エピステーメー』臨時増刊号)での独創的で斬新な批評のスタイルを忘れるわけにはいきません。

 豊崎光一先生は福永武彦先生(1918-1979)の愛弟子だったのですが、私が大学生だったころには、福永先生が教授で、豊崎先生は助教授でした。

 近寄りがたい雰囲気を漂わせていた福永先生と、寡黙な豊崎先生が、仏文学研究室にいっしょにいらっしゃるときには、それぞれ手元の書物に視線を落としているお二人のまわりには柔らかい光が差しているような気がしました。

 記憶の中の光景にすぎませんが、懐かしく思い出すと同時に背筋を伸ばしている自分がいます。お二人にはもっと長く生きてお仕事をしていただきたかったと、その早すぎる死を悔やまないではいられません。

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 話を病院に戻します。

 医学や医療の現場では、まず兆候を「見る」という行為から始めますね。お薬を処方する前に、「診なければならない・見なければならない」。

 そして、看護師さんたちは、患者と呼ばれる人を「看なければならない・見なければならない」。

 外科のお医者さんなら、患部を「視なければならない・診なければならない・見なければならない」。

 みる、観る、診る、看る、視る、視線を送る、視線を向ける、目を凝らす、目を据える、目を澄ます、目を注ぐ、目を光らす、目詰める、見つめる、というわけです。

 そうやって、患者の身体が発する「兆候・信号を察知する」。次にそれに基づき、「判断する」、「診断する」、「病名をつける」。場合によっては、「病名を告げる」こともあれば、「告げない」こともある。

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 内科医なら、薬や抗生物質という一種の「毒」を処方する。あるいはレントゲンや超音波(エコー)を使って「みる」こともします。かかりつけの医院でもそうした検査をしていますが、機械を設備投資しなければならない医院の先生は大変だろうと想像します。開業医は経営者でもあるのですから。

【※なお、薬でもあり、同時に毒でもあるものについて、デリダは書き記すという行為の両義性と重ね合わせてスリリングな議論を展開していました。ご興味のある方は、「デリダ パルマコン(ファルマコン) 脱構築」をキーワードにネット検索されるとたくさんお勉強ができると思います。】

 外科医であれば、手術という形で、患者の身体にメスを入れ、一部を切り取ったり、接合したり、分離したりする。どの行為においても「みる」があります。現在では、放射線などを当てるなど、もっと複雑な治療法を施すのでしょう。専門家ではないので詳しいことは知りません。

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 いずれにせよ、みる、視線、まなざし、信号といった「視覚をモデルにしたイメージと比喩」で語ることのできる行為が、医療の場において、かつても現在も重要性を持っていることは事実でしょう。

 もちろん、信号には聴覚に訴えるものもあることを忘れてはなりません。聴診器がいい例ですね。あと、触診も忘れるわけにはいきません。

 さらにいえば、赤ちゃんの泣き声、患者のうめきも、「信号」です。もっとも、現実には、ことは以上のような単純なものではないにちがいありません。

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 話をもどしますが、体調を崩した自分は、病院でいろいろな検査を受けました。理系の科目が大の苦手なために、尿検査や血液検査をされても、いったい何をどういう原理を応用して調べているのか、さっぱり分かりませんでした。

 激しいめまいにも見舞われたので、X線検査を始め、CTスキャンとか、MRI検査というものも受けました。あのCTとかMRIっていったい、どんな仕組みで脳の中を映像化しているのでしょう。未だに見当もつきません。

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 昔は、医師や医師の前身が、五感と第六感みたいなものを総動員して、患者の身体を「診ていた、視ていた、見ていた」のでしょう。それが現在では、何もかもがデジタル化されたデータ・情報、つまりデジタル信号に置き換えられているみたいです。

 遠隔診療とか遠隔医療とか遠隔手術という言葉を、このところ盛んに見聞きします。そもそもすべてが信号に置き換えられるのならば、医師と患者の間が数センチであろうと、数メートルであろうと、数万キロであろうと変わりがない、ということなのでしょうか。

 細かな細工が得意な職人さん並みの手先の器用さが要求されるという、外科医の手と指は、近い将来にロボットのそれに取って代わられるということなのでしょうか。喜んでいいのやら嘆くべきことなのやら、それさえ判断がつきません。

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 いずれにせよ、「信号」というもの、ひいてはデジタル化された情報・データが、知らない間に多種多様な分野で活用されている。それを意識するきっかけになったのが、親の入院と自分の通院という体験でした。

 そういえば、自分が両耳に装用している補聴器もデジタル信号を利用したものです。私はいわば機械が聞き取った音を聞いて日常生活をいとなんでいるのです。

 自分を含め、みなさんがテレビやパソコンを通して耳にする音声も、デジタル信号をスピーカーという器械が増幅した機械音です。そう思うと、ますます「信号」というものが気になります。

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 ふだん「信号」という言葉で連想するのは、交通信号機です。あとは、アナログ的な信号とでもいうのでしょうか、たとえば時計の針が示す「時」や水銀を使った温度計が示す温度も、広い意味での信号だという気がします。

 アカデミックな場で論じられている「信号」について知るには、情報理論とかいう、非常にややこしい、たぶんに理系的な発想に基づいた考え方を理解する必要があるみたいです。

 勉強好きではない自分は、それとは違うやり方でというか、我流で「信号」というものを考えていくつもりです。

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 そんなスタンスで考えた一例を挙げます。

 病院のベッドのすぐ近くの器械からぶらさがって伸びてきているコード。そのコードの先には、ナースコールのボタンが取り付けられていますね。

 親の入院中に親がそのボタンを押すのを見るたびに、そして、それに応答する看護師さんの声が、壁にはめ込まれた器械のスピーカーから聞こえるごとに(※難聴者の自分には、これがとても聞きづらいのです。自分がまた入院する事態になったら、どうしようかと不安になります)、ナースコールという信号は、広義の言葉・言語ではないか、みたいなことを考えていたことが思い出されます。

 夜の病室で親に付き添いながら眠っているときに、ふと目を覚まして見た神秘的とも言える光景を、いまもよく思い浮かべます。

 患者の生命を維持するために置かれた機器のことです。その器械に付いているいくつもの小さなランプの点滅――。それが青だったか、黄色だったか、緑だったかまでは覚えていません。ただ蛍に似ていると思ったことは覚えています。

 病室で蛍に囲まれているという、あのときに見た荒唐無稽な幻想(寝ぼけていたにちがいありません)が、どうやら私の心象風景になっているようなのです。その光景の中では決まってそばに母がいます。

 さらに覚えているのは、微かに聞こえていた器械の音です。ふだんは補聴器を外して眠るのに、親の付き添いのときだけは外すわけにはいきませんでした。

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 患者に異状が起きれば、その器械が察知して音を鳴らすか、非常用のランプ(※おそらく赤でしょう)を点滅させるか、電波を通じて然るべき別の器械に伝えるであろう仕組み。

 それらは、すべてが信号なのです。

 信号とは生きている、あるいは息絶えようとしているものの「しるし」。蛍の光のように明滅している。

 明滅、ONとOFF、吸うと吐く、あうん。

 明滅するのは知らせ伝えるためなのでしょう。何を知らせるのかは、信号には分からない。

 送るものと受け取るもののあいだで生きる明滅。ツーツー、ピーポーピーポー、1と0、〇とX、開けると閉じる、目くばせ、まなざし、表情、顔。

 明滅を繰り返すことで信号が何かを訴えている。その意味では息をしているし、その意味では生き物なのかもしれない。そんなことを、いまになってとりとめもなく考えています。

 本日、二月二十三日は母の命日です。雪の多い年に亡くなりました。

 病室の 明かりで眠る 白い影


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