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薄っぺらいものが目立つ場所(薄っぺらいもの・04)

 世界は薄っぺらいものに満ちている――。

 そんなふうに考えていると、何でも薄っぺらく見えてくるのは、私が薄っぺらいからにちがいありません。

 私は自分の中に薄っぺらいものやぺらぺらしたものがあると感じて生きています。

 たとえば、ぺらぺらした紙を見ていると自分の中にぺらぺらした紙みたいなものがあるように思えてなりません。

「ぺらぺらした紙」を、たとえば「タブラ・ラサ」、「一冊のノート」、あるいは「巻物」と言い換えるだけで、なにやら意味ありげなものに見えてくるから不思議です。

 薄い白紙だけに意味性や象徴性を帯びるのです。

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 人の作るものは人に似ている。人は自分の作るものに似ていく――。

 これは以前からずっと思いつづけていることであり、私のオブセッションと言ってもいい気がします。

 以下の記事では、「分ける」や「切る」という行為が、人の中で衝動(衝き動かすもの)としてあって、その行為をじっさいにおこなうことによって生じたものが、直線状であったり四角形をしたさまざまな人工物だという話をしています。

 話はそれだけでは済みません。人の作ったものが、今度は人の衝動をさらに刺激して人が人工物に似ていくのです。その無数のくり返しが世界史だと言えます。

 分ける、切る。やっぱり、これは人の中にあるのでしょう。欲求とか欲望のことです。それが直線や長方形や四角という形として、人から出てくる、というか人がつくる。
(拙文「あいまいでやさしい境」より)

 その典型的な例として取りあげているのが地図なのですが、地図は薄っぺらいものです。 

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 地図と言えば、学校の教室を連想します。

 教室ほど薄っぺらいものが剥き出しで存在する場はあまりない気がします。これ見よがしに、ぺらぺらしたものがあちこちにあるのです。

 教室の中心はなんと言っても黒板でしょう。いまはどうなのか知りませんが、私が小学生、中学生だった頃には黒板の上には年表が貼ってありました。

 黒板の右か左には世界地図や日本地図があったはずです。黒板の下には大きな三角定規や物差しが掛けてあった記憶があります。

 教室の壁にはあちこちにやたら紙が貼ってありました。そう言えば、音楽室には歴代の大作曲家の肖像画が年表のように時系列っぽく横並びに掲げてあったことを覚えています。

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 教室に縦横に整然と並べてあった机と椅子たちにも、特徴がありました。軽いのです。

 それはそうでしょう、児童や生徒が移動させやすいように軽く作ってあったと考えられます。

 教室にあった机や椅子は金属製の枠というか骨組みに薄い板を張り付けたシンプルなものでした。

(薄い板が正面にあり、あちこちに薄い紙が貼られた教室で、各自が薄い板に身体を載せ、薄い板に背中をもたせ掛け、薄い板の上にうつむいて、文字や絵や写真が載っている薄い紙(いまではタブレットの薄い画面もあります)に目をやっているのが、こどもたちなのです――。)

 椅子は人にとってきわめて大切な意味を持ちます。

 王座、議長の椅子、チェアマン(いまでは単にチェアと言うのでしょうか)――。これだけでも、椅子の意味性と象徴性の高さが実感できるはずです。

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 立派で重厚な椅子が並んでいるところはどこでしょう? 

「まつりごと・政・祭事・歳事」と関係のある場所だと思います。政治や統治だけでなく宗教とも関係があります。

 そうした場では、短小軽薄とまぎゃくな属性が重視されます。

 長々しく大げさで重厚な「物」がこれ見よがしに据え置かれ、長々しく大げさで重厚な「事」が演出されます。

 大切なのは効率ではありません。コスパとは正反対の論理が働く場なのです。

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 いっぽう、教室では知識と情報を効率よく伝えることが優先されます。

 地図、年表、スケジュール表、カレンダー、辞書、図鑑、教科書、プリント類、ネームプレート(名札)――。

 こうした物たちはどれもが一枚の薄っぺらいものであったり、複数の薄っぺらいものを巻いたり綴じたり束ねたり折ったものです。

 その薄っぺらいものに載っているのは、数字をふくむ文字、記号、絵、図表、写真だったりします。薄っぺらいものに載っているのですから、薄っぺらいはずです。

 念のために言いますが、良い悪いの話をしているのではありません。

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 知識や情報は抽象ですから、物に写したり映すという形で載せることができます。「写す」と「映す」という言葉から分かるように何にもまして視覚的な情報なのです。

 視覚的な情報を口頭で伝える、つまり聴覚的な情報(音声・話し言葉)に変える(変換する)ことも、もちろん可能です。

 いずれにせよ、情報はさまざまな軽薄短小な形態の物(物体・物質)に変えて効率よく伝える(拡散・継承する)ことによって、その目的を果たしていると言えるでしょう。

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 教室ほど薄っぺらいものが剥き出しで存在する場はあまりない気がします。重く厚く見せるための装飾や演出を施されることもなく、これ見よがしに、ぺらぺらしたものがあちこちにあるのです。

 軽くて薄いものをいかに重厚に見せるかが最優先される場の対極にあるのが教室だと思います。

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