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あいまいでやさしい境

 小学校の低学年のころに、市内の書店からカレンダーをもらって勉強机の前の壁に貼っていました。世界地図が大きく載っていて、カレンダーの部分は下の方に小さく印刷されているだけでした。

 この地図は中学生になっても貼っていて、よくながめました。メルカトル図法なので、北極地方や南極大陸がばかでかく見えるのです。

 地球儀は高価で買ってもらえなかったのですが、その存在は知っていました。それなのに、目の前のばかでかい両極をリアルに感じていました。

 地図というのは不思議なものです。いまでも不思議でなりません。立体的な地形と地勢を平面上に描いてあります。

 地球規模でいえば、球を広げた形で平面化してあるわけで、生き物の皮を剥いでその皮を壁に貼ってあるようなものです。

 どこか殺伐としているし、きな臭いし、生臭い気がします。

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 メルカトル図法の世界地図をながめながら、大陸、半島、列島、島の形を見て、あれこれ思いをめぐらしているなかで、経線緯線、赤道、日付変更線、国境に目が行き、どういうことなのだろう、何なんだろうと考えていた記憶があります。

 何を考えていたのかは覚えていません。記憶はあるけど覚えていないというやつです。

 大人になり、老年になったいま、あらためて地図帳の世界地図をながめています。あと日本地図や道路マップもそばに置いています。

 やっぱり地図って不思議でなりません。

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 目立つのは直線です。経線緯線、国境、県境、道路、線路、川。いびつな形の中にある直線は異様といえば異様です。そもそも自然界には直線はあまり見えないからでしょう。

 外に出て空を見ると、電線、電柱、飛行機の飛んだ跡の白い線。まわりには、道路、建物、家屋、標識、看板、駐車場や駐車スペースの仕切り、ガードレール。どれもが人のつくったものです。

 世界地図で国境に注目すると、直線が目立つのはなんといってもアフリカです。あと中東のある部分も。まだまだあります。歴史的経緯から、いまは少しずれて歪んではいますが隣国にもあります。

 北アメリカの国境には不自然に長く伸びる直線が目立ちます。米国の州境を見て既視感を覚えたので何だろうと考えているうちに、アフリカ大陸に見られる数々の国境にとても似ていることに気づきました。

 そっくりなのです。地図で見ると、アメリカとアフリカが、なぜかそっくり。

 文字でも音でもそっくりじゃないですか。頭では違うと知っていても、字面と発音がそっくり。

 アメリカ 亜米利加 America
 アフリカ 亜弗利加 Africa

 そっくりに感じられるのは抽象だからでしょう。記号みたいなものだからでしょう。私にとって、両方とも文字であり音であり地図で見た形であり、つまりは記号なのです。

 What's in a name? 名前がなんだっていうのでしょう?

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 飛躍しますが、数字がそうです。

 抽象的なものは、人の目には似ていたり、そっくりだったりします。だから簡単に複製ができるし、数字として簡単に処理も処分も廃棄もできます。何をって、人を、人がです。

 個性が消えているからかもしれません。顔が見えないのです。顔が見えないものや顔が感じられないものに対して、人は冷淡で残酷になります。無関心にもなります。

 ニワトリやサンマの顔が見分けられますか? 私にはそっくりに見えます。無関心だからでしょう。そうでないと生きていけません。

 だから食します。ただし、いただく前に手を合わせます。

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 話をもどします。北アメリカやアフリカの国境には不自然に長く伸びる直線が目立つという話でしたね。

 切り分けたのでしょう。切るためには直線が必要です。刃物は直線部分があります。ぴんと張った細い紐でも切れますね。手術でも、ある部分に糸を巻いて両方から引っぱって切断していたような気がします。

 縄張りを思いだします。縄を張って直線をつくり、こっちはわたしのものとか「うち」、あっちはおまえのものとか「よそ」と決めるイメージです。張る、切る、分ける。張り切って分けていたのでしょうね。

 分ける、切る。やっぱり、これは人の中にあるのでしょう。欲求とか欲望のことです。それが直線や長方形や四角という形として、人から出てくる、というか人がつくる。

 直線や角があるものは、人がいる、あるいは、いたという印しなのです。自然界にはあまりない。人は反自然であり不自然ですから。

 見れば見るほど、直線からなる国境や州境は、鋭利な刃物で切られた切断面を連想させます。おびただしい量の血が流れたはず。数えきれない人たちが死んだはず。

 張る、切る、分ける。張り切って分けていたにちがいありません。

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 見れば見るほど、国と国の境が直線で区切られているのは不自然な気がします。もともと人間が不自然で反自然だと考えれば不自然ではないのですけど……。

 その不自然さは、コンビニや量販店にずらりと並ぶ商品の大半が四角であるのと似ています。人がつくるものは四角いのです。

 たぶん、規格化された製品を大量生産にするためには、直線で切って四角いものをつくるやり方が適しているのでしょう。処理や作業がしやすいにちがいありません。

 さもなければ、あんなに整然とした角(かど・かく)があって四角い物たちがあんなにたくさん存在し、それが直方体の箱たちに詰められて運ばれたりはしません。

 とはいっても、専門家ではないので、見て思っただけです。印象にすぎません。

 直線、角、四角、長方形、立方体といったものは、ぜんぶ学校で習ったもの。文字といっしょに習ったもの。これは確かです。

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 日本地図を見ていると、県境の形に目が行きます。かつて都が置かれたあたり、いま置かれているあたり、戦国の武将がいたあたりは、いびつに見え、その周辺や辺境になると直線が多いような気がします。

 いや、よく見ると直線に見えるのは山脈や川を境にしたからかもれしれません。それなら納得できます。

 道路に目を転じると、そうした周辺や縁へといたるたくさんの道が直線なのは何もないところにつくったからでしょうか。当たり前といえば当たり前、不思議といえば不思議。

 かつての都の街路は碁盤の目のように整然としています。そこから遠く離れた北の大都市もやはり直線できれいに区切られています。なんでそうなっているのかは、小学校や中学校の社会科あたりで習った気がします。

 外国の都や都市、しかも先進国のそれを真似たらしいという話。まつごと(政治や体制)やあきない(経済や交易)の匂いがします。

 こうした整然とした美しさには特有のきな臭さがあり、同時に美しい建造物を築きあげた人びとの汗や血や涙の匂いも漂います。

 理屈、抽象、概念といったものと、具体的な形や線や匂いとのあいだを行ったり来たりする。知識や情報と、印象やイメージとのあいだで揺れる。

 そういう曖昧な境が心地よく感じられます。すぱっときれいに切る必要はないのです。境は曖昧なほうがやさしい気がしませんか。


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