やりたいのは「世界観をつくる」なのかもしれない
世界観とは?
「私のやりたいことは世界観をつくることだって気づいた!」と、センスの良い友人が言った。
彼女はイラストも描くしアクセサリーも作るし、インスタグラマーでもあるし、ネイルもやるし、動画も作る。
でも「イラストレーター」とよぶにも「ネイリスト」と呼ぶにも、クリエイターとよぶにもしっくりこない。
「でも、私という人間がもっているもののすべてをつかってその人の表現したい世界観を一緒につくりあげることが自分のやりたいことだなって思った」と。
なるほどね!
私も、どんな肩書きもしっくりこなかった
昔から、役職も肩書きにもさほどこだわりがなかった。13年人事や採用の仕事をやっても、それが自分の肩書きというのもしっくりこなかった。いまだに。
自分をなんといったらいいかよくわかんないけど、いろんな武器はもっている。
世界観をつくることが武器といわれた
そんな言葉を言われてふと、昔ある人にいわれたことを思い出す。
「ささきさんの武器は、世界観をつくれること」
たしかに私の熱量が最大級にあがるのは、
「この人の世界観を形にしたい」と思った時だ。
「世界観」をまだ定義しきれないけど、その人そのものであり、その人が描きたいことであり、夢であり、人生といえるのかもしれない。
世界観をつくる。
それは仕事においてもずっとそうだ。
採用の前線にいた時は、この会社のもつ、代表のもつビジョン、世界観を形にしたいというのが根底にあった。
もしかしたら、エージェントの仕事をしていてもそうなのかもしれない。その人の人生をよりよくする手伝いをすることは、その人の描く世界観を形にしたい、と思うことなのかもしれない。
今の会社でも、想いのカケラを集めながら、ある種の世界観を作り出そうとしている。私の場合は、自分の中にある強烈な世界観を表現したいタイプではない。
それよりも「こうなったら素敵だよね」という未来に向けて、自分の武器を駆使して誰かを、チームを輝かせることが好きなんだとおもう。
「世界観をつくる」という言葉には、とてもワクワクした。
「役に立つ」の時代から「意味がある」の時代へ
最近こんな本を読んだ。
「世界観」がひとつのキーワードになっていた。
例えばこのCM。
相鉄線の100周年のCMだ。
相鉄線といえば、神奈川県民の私はわかるけども、若干ダサいイメージがある(スミマセン)
でもこれは、キャスト、音楽、映像ともにすてきすぎる。相鉄線ぽくない。かっこいい。最高。
どうやら、著者の水野さんがクリエイティブをてがけたようだ。
最初、経営層は「相鉄線がいかに便利になるか」という機能の部分を、テキストもまじえてつめこんでおそうとしていたようだ。
それだとたぶん、めちゃくちゃダサいCMになっただろうな(スミマセン)
でも「世界観を全面に出す」ことにふりきった。
相鉄線にのること、その街で暮らすこと。
その先にどんな未来があるんだろうとワクワクさせる世界観をつくりあげている。
だから、心に届く。
説得の時代が終わり、共感の時代へ
著書では、有名なキング牧師のスピーチ、「I have a Dream」にもふれられていた。
頭ではなく、心に届ける。
こんなことができたらどうかな?
こんな世界になったらすてきじゃない?
ビジョンを語って、共感してもらう。それを叶えていく背中を見せるということだろう。
それもすべて、世界観をつくることにつながる。
とするとやっぱり「世界観をつくる」はしっくりくる
可能性が広がっていくこと。
押し込めずに自由にのびのびと表現される。
そこにはまだ、見たことない景色がありそうだ。まだまとまらないけど、今の気持ちの記録として書き残そう。
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