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パニック障害が寛解しました(4年ぶり2回目)

 ここ数週間、調子がいい。発作も出ていないし、薬も飲んでいないし、強制的に不安にさせられる、あの不快な感じもほとんど表れていない。どうして症状が緩和されているのだろうか?その理由を、簡単に考えてみる。


心を開ける相手がいるから

 まず、これが最大の理由だろう。今、自分にはいつでも連絡できて、精神的に寄りかかれる人が何人かいる。不安を感じたときは、その人たちに「不安だ」と言えばいい。
 そういう友人は、前からいたのだ。ただ、自分が彼らに対して、パニック障害であるということをカミングアウトできるようになった。今までは、こういう病気を抱えていると打ち明けても、理解されないんじゃないか、気持ち悪いと思われるんじゃないか、せっかく繋がりを作っても彼らが自分から離れていってしまうんじゃないか、そういう気持ちが強くて周りに話すことが難しかったのだ。

 4年前に初めて寛解したときは、これでもうこの病気に悩まされることもないと考えていた。もう誰にも言う必要もないんだって。だからこそ再発したのだろうか?自分は昔から、たとえ友人であっても完全に心を開くことはなかった。自分の悩みを共有することもなかった。相手への信頼が強くなればなるほど、その人が自分を傷つける力も強くなるから。自分の周りにいてくれる人たちをもっと信じて頼ったほうがいい、再発した理由は、そういうメッセージを受け止めるためなんだろうか。


身体的接触ができる異性がいるから

 つまり定期的にセックスできる相手がいるということだ。彼女とは、まだ恋人ってわけじゃない。かといって、セフレと言うほど軽くもない。曖昧な関係。でも、セックスには応じてくれるし、不安なときには甘えさせてくれる。それが心の安定剤になっているのだ。
 身体の関係を持てる相手を見つけること。それは、パニック障害を持つ人にとって難しいことであるのは間違いないだろう。女性であれば、幾分簡単かもしれない。しかし男性となると、積極性と相手をリードすることを求められがちな社会の中では困難を極める。発作が起きないかどうか常に気にしていなければならず、積極的に相手にアプローチすることが難しくなる。気になる相手を食事に誘いたくても、障害のない状態と比べて数倍の勇気が必要になる。せっかくデートができても、あまり楽しめずに終わることも多い。
 バスケット・ケースの歌詞の中にもあるように、自分にパニック障害がある原因は、単にセックス不足なだけなんだろうか?確かに、身体を受け入れてもらえることは、心理的に安心感をもたらしてくれる。事実、ネット上にある精神病の治療記では、いわゆる「理解のある彼くん」がよく出てくる。同時に、そんなパートナーがいれば最初から苦労しないという批判の声もよく見る。だが、心と身体を許せる相手、身体だけでも許せる相手、そういう他者の存在は、パニック障害の治療において重要なファクターを占めているように思える。少なくとも自分にとってはそうらしい。肌と肌が触れ合える相手がいるということ。キスしたり、ハグしたりするとオキシトシンが出るというのも、天然の向精神薬として作用しているのだろう。

I went to a shrink

To analyze my dreams

She says it's lack of sex that's bringing me down

Basket Case/Green Day

いつでも好きなところに行けるから

 コロナ禍においては自由な移動が制限され、閉塞感が強かった。日本国内であればそれでも旅行自体は可能だったが、海外へ観光目的で渡航することは難しかった。街を歩けば、少し前までは当たり前にいた外国人観光客の姿もまるでなく、この島国に閉じ込められている、そんな気持ちがパニック障害を悪化させていた。
 今も、完全に自由かというと、そういうわけでもない。所属している組織があるから、行きたいと思ったその瞬間に、どこかに行けるわけではない。それでも、予定がない日は好きな時に好きなところに行くことができるし、海外にだっていけるし、余計な検査も必要ない。別に、嫌ならここにいなくてもいい――そんな気持ちが、気を楽にしてくれる。閉じ込められていないという感覚があると安心する。海外にいつでも行けるということは、ある意味、範囲の広い広場恐怖、閉所恐怖症が緩和されていると言えるのかもしれない。

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