僕らには果たして、「日々の積み重ね」しかないのか。
良く書こうとするのはやめる。
思ったことを書いていく。
最近よく思うんだけど、僕らには本当に、「日々の積み重ね」しかないのだろうか、ってこと。
なんていうんだろう。楽をするためには苦労する必要があるし、無理をしなくて良くなるために、無理をしなければならない。
働かなくて良くなるために働いている。
働き始めると、なにをするにしても、就業時間外でやることになる。
定時で終わったとしても、寝るまでの時間で家事、食事、風呂に入ったり最低限のことをするとあっという間に一日が終わる。仕事を中心に生活を送ることになるし、たくさんの制限の中、余った時間や、なんとかひねくりだした時間で、自分の好きなことなどをやることになる。
僕は2回転職をしている。逃げで職業訓練校(失業者が手当をもらいながら通う学校)にも入った。2年間もいた。
その、一日がほとんど仕事に染まっている、汚染されている生活が恐ろしくて、なんだか耐えられなくて。
なにをするにしても余分な時間でやるしかないのか。そんなの耐えられない。
とにかくもっと、最短経路はないかなって思ってた。
でも、結局の所僕らに残された道は、「積み重ね」しかない。
本業に慣れれば余力が生まれ、その余力で人生を豊かにだってできる。
一旦無理する期間を作れば、無理しなくて良い期間が手に入る。
最初から無理しなくて良い期間を求めるから手に入らない。
いや、わかる。
わかるようになってきた。
ただ、本当に他にないのか。もっと近道、もっと効率的、もっと、もっと。
でも一つだけ言えるのは、そうやって近道を探している時間がもう、遠回りだってこと。
愚直に何も考えず、先へ進む。
本当はあるはずなんだ。本当はどっかにもっといい道はある。
でも、その探す時間があるなら、とにかく余力ができるまで、本業に専念するんだ。積み重ねるんだ。
それしかないんだ。
何度も言うけど、本当はあるんだ。もっといい道が。
でも、それを見つけるには少なくとも余力が必要だ。
安定が必要だ。
次の良い環境は、良い環境にいるときしか見つけることができない。
余力があるから、次の良い場所が見つかる。
悪い環境にいるときは、次を見るときはどうあがいてもマイナスな動機になりやすい。
あまりにも最悪な環境なら別だ。
ただ、とにかく良い環境に行きたいなら、いまの環境が少なくとも「悪くないな」くらいに思える状況でなければ難しい。
結局の所何が言いたいのかと言うと、
人生の最優先事項は、余力が生まれるまで積み重ねること。
そして、新しくなにかをするのは今の環境が「悪くないな」と思えたときだということ。
そんな気がするのです。
みんなは、どうなんだろう、、