国語の時間
学生時代の授業中のことを思い出そうとしてみたが、
そんなにいろんなことが頭に浮かんでくるわけではない。
特に何も考えずに日々過ごしていたのだろう。ある意味幸せである。
中学の何年生かわからない田島先生の国語の時間。いつも敬語で話す、いわゆる田舎者の雰囲気ではなく紳士的で学者的な雰囲気の先生だった。
たぶん漢詩で孔子の文章が出てきた時だと思うのだが、儒教の教えのうちの一つが「仁」だということで、「矢野の名前なんてまさにこれですよ」と言われたことがある。
ウィキによると「仁(じん)とは中国思想における徳の一つ。仁愛。とくに儒家によって強調されており、孔子がその中心にすえた倫理規定、人間関係の基本。」だそうだ。
自分の名前がそんなところから引っ張られてきたことなど考えもしてなかったのと、担任でもないこの先生が自分の名前のことまで気にしてたこと(今考えれば出席簿にあるからざっと見れば漢字は拾えるんだけども)にちょっと驚いたような気がする。
そしてこの風景は教室の真ん中目の列の、割と後ろの席位置からの視覚で記憶されている。
先日母と話していたときに、小学校の時、教室の前に貼られていた「自立・勤勉・至誠」(←この辺は不明)とかなんとかいうような校訓を'俺'が毛筆で書いたと言うではないか。
俺曰く、全然記憶なし。
いやいやいや、そのころ、クラスの歌みたいなやつを模造紙を切って横に繋げてつらつらと小筆で書かされたものが前の黒板の上に貼られていたのは覚えている。
母曰く、全然記憶なし。
こうして歴史は消えていくんだな。。。
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