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中東情勢で改めて浮き彫りとなった宗教の力

連日、世界中のメディアで報道されている中東情勢で胸を痛めている人も多いはずです。多くの民間人にもその被害が及び、その惨劇に言葉もありません。そして、宗教の違いからここまでの事態に発展してしまう恐ろしさを改めて感じています。


世界的にも珍しい日本人の宗教観

学生時代、海外の人が日本や日本人について疑問に思うことを英語の質問と回答形式でまとめた本を英語の勉強に使用していたことがあります。その本に書かれていた質問の一つが、「日本人はなぜ信仰深くないのでしょうか」というものでした。

ニューヨークで暮らして14年経ち、学生だった時よりも、世界のことが分かるようになったり、日本のことを客観的に見ることができるようになった今でも、正直なところ、この質問に対するきちんとした答えはいまだありません。

木や石など、万物に神様が宿っているというアミニズムの思想が古くからある日本では、神様は唯一無二の絶対神ではないという発想をどこかで持っている人たちは多いのではないでしょうか。そうした背景もあって、特定の宗教に対して傾倒する人は少ないのかもしれません。時と場合に応じて、神社にもお寺にも参拝する人は多いと思います。

しかし、こうした価値観は世界的に見ても極めて特殊であることを、渡米した後、身をもって体験することになりました。

たまたまマンハッタンの国連近くで遭遇したデモ。チベットという文字が書かれた旗があったので、チベット出身の知人に聞いたところ、この日(3月10日)は、中国の支配に抵抗するチベット民族蜂起記念日であると教えてもらいました。世界中の生きた歴史が学べるのはニューヨークならでは

英語の壁、見えない差別があった最初の米系の会社で親切だったアメリカ人男性

英語も自由に操れない状態なのに運よく採用してもらった初めての米系企業では、日本と同じ職種だったため、仕事の内容自体は問題なかったものの、英語が未熟なために苦労することが多かったです。ニューヨークのように移民が多い場所でも、ニューヨークで生まれ育ったいわゆるアメリカ人で、英語がネイティブの人以外と学校や会社でほとんど交わったことがないという人は多いです。そうした人たちは、英語が母国語でない私を、口にこそ出さないけれど、自分より下に見ているんだろうな、と思う場面は、最初の米系の会社で割と多くありました。

そのような状況の中で、いつも親切にしてくれた同僚は、敬虔なクリスチャンでした。何度か一緒に出張に行った時には、数時間に一度は、"Are you okay?"と、2、3歳の子供に話しかけるような優しい口調で、私の様子を確認してくれていたことは、今でも忘れません。その同僚は、ラグビー選手のように縦にも横にも大きな黒人男性。ニューヨーク出身ですが、家族のルーツは南部のプランテーション農家で、いわゆるバイブルベルトのエリアにあるそうです。両親の影響もあって幼少の頃から信仰深かったのでしょう。携帯に聖書のアプリをダウンロードしていて、社会人になった忙しい日々でも、毎日欠かさず聖書の一部を読んでいる聞き、驚きました。特に、人生で困ったことがあったときには、聖書の関連箇所を読むことで、生きる指針が得られるそうです。困っている人を助けるという教えがあるキリスト教の敬虔な信者だったからこそ、私のことをいつも助けてくれていたのだと思います。

過去に働いたいくつかのアメリカの会社では、毎週教会に通うような敬虔なクリスチャンに会ったことはほとんどありませんが、ホリデーシーズンになると、街中でクリスマスをテーマにした装飾等をたくさん見かけ、アメリカのキリスト教人口の多さを感じます

仏のような同僚は信仰深いムスリム

締め切りがタイトでありながら難易度がそれなりに高くて作業量も多いプロジェクトで私の直属の部下として熱心に働いてくれたパキスタン出身の同僚は、奥さんと子供と一緒に毎週モスクに通う敬虔なイスラム教徒でした。ニューヨークに来てから、いくつかのモスクを見学に行き、自分たちに合ったモスクを見つけたそうです。どんな時でも仏のように穏やかだったので、どうしてそんなにいつも平穏なのかと親しくなったある日尋ねたところ、大変な状況の時こそ、イスラム教の教えを思い出すことで乗り越えられると話していました。

イスラム教徒の多いニューヨークでは、ハラルフード専門のフードトラックもよく見かけます
ハーレムに突如現れた白い軍団のパレード。観客に聞いたところ、セネガルにイスラム教徒を広めた男性を祀った行事だと教えてくれました

ヒンズー教徒のベジタリアン男性に起こった忘れられないある事件

社内での厳しい選抜試験をくぐりぬけて、インドから研修生としてやってきて私のチームに加わった男性は、信仰深いヒンズー教徒でした。そして、宗教上の理由からと完全なるベジタリアン。コネチカットの田舎にあるクライアントのプロジェクトで一緒になり、毎日夕飯も一緒に食べました。何もない出張先での唯一の楽しみが夕ごはん。その方以外全員日本人というチームだったので、和食が恋しくなって、インドの研修生も連れて和食屋さんに行った時のことは、あれから10年近く経った今でも忘れることはありません。

初めて見る和食のメニューに目をぱちくりさせていたそのインド人研修生は、ベジタリアンのため、食べられるものが限られていました。英語表記のメニューを見ていても、初めて見る和食のメニューの中でどれが自分が食べられるものか分からなかったようで、片っ端から、メニューに含まれている原材料について質問を受けました。そして、魚ベースの出汁で作られたお味噌汁について聞かれたとき、具材が全部野菜だったため、私たちは、「大丈夫、食べられるよ!」と自信をもって返事をしてしまったのです。そして、その研修生は、「こんなに美味しい食べ物があるんだね」と言ってとっても喜んでお味噌汁を味わいました。

翌朝、何気なく前の晩のことを振り返った私は真っ青になりました。その時は疲れていて頭があまり回転していなかったのですが、インド人男性が一生食べてはいけないものを私たちの不注意で食べさせてしまったのです。もしそのことを彼が知ったらパニックになって寝込んでしまったかもしれません。気づいてしまった以上黙っているわけにはいかないと思ったものの、どんな事態に発展してしまうか分からないので、日本人のチームメンバーにそっと話したところ、その方はどうやら気づいていたようですが、面倒だったので特に指摘しなかったそうです。「美味しく食べていたんだからいいじゃない」と言われて、この事件はお蔵入りとなりました。

浮世離れしているようにも見えるユダヤ教徒たちの暮らし

頭にヤムカをのせていて、今まで会ったユダヤ教徒の同僚の中で誰よりも敬虔深かったある同僚は、コーシャーとして認定された食材で調理されたものしか食べないため、毎日お昼ごはんを持参していました。冬の寒いある日に、私とアメリカ人の同僚たちがランチを買いに外へ出る時、ずっと会議室にこもっているから外の空気が吸いたいと一緒にやって来たものの、私たちがテイクアウトの食べ物を注文している間、凍り付くような寒さの中で、お店の中に入ろうとしません。なんと、コーシャー認定されたお店でないから、店内にすら入ることができないと言うのです。

そして、その同僚は、金曜日は日没前にシナゴクに行くために、日が短い冬になると、3時半ぐらいには退社してしまい、繁忙期で皆が土曜日も仕事をしていた時でも、金曜日の日没から土曜日にかけて電化製品を使うことができないからと、ひとり日曜日に仕事をすることもありました。敬虔なユダヤ教徒たちは、毎週金曜日の日没後から土曜日にかけては休息日である教えを守っているため、電化製品を一切使うことができず、携帯の電源を切るだけでなく、家中の電気も消したままろうそくで暮らすのです。ユダヤ教徒が経営しているマンハッタンの病院では、週末になると、エレベーターが自動で全ての階に停まるそうです。ユダヤ教徒の人たちがエレベーターのボタンを押すことができないため、このようなことが起こっています。こんなに近代化した社会で、それもニューヨークのような大都市でのこととは考えられませんが、それが現実なのです。

ブルックリンのシナゴグ。ユダヤ教徒の人たちはクリスマスは祝わず、毎年12月にハヌカのお祝いを行い、その時期には毎晩メノラと呼ばれるろうそくに一つずつ火を灯していきます。この時期はニューヨークの街中で様々な大きさのメノラを見かけます(写真手前がメノラです)。クリスチャンんばかりではないニューヨークでは、クリスマスの季節の挨拶は、Merry Christmasではなく、Happy Holidaysであることも、ニューヨークで住み始めてから学びました

ニューヨークで体感した宗教の力

世界を見渡すと、自ら信じている宗教が生活の中心となり、さらには精神的な支えともなっている人たちは、私たちが考えている以上に多いです。それが自らのアイデンティティーにもなっているのです。

神社にもお寺にも参拝し、美味しいものを食べることが趣味の一つとも言えるぐらいに大好きな私にとって、宗教によって、食べるものが制限されてしまうということ自体が想像を絶していて、人生の楽しみを自ら放棄してしまっているのではないかとさえ思うのですが、信仰深い人たちにとっては、そういった発想は全くありません。日々宗教と共存しながら、人生を謳歌しているのです。

こうした生活スタイルの人たちを目の当たりにすると、今回中東で起こっている出来事の見え方も変わってきます。武力は何の解決にもなりませんし、無実の民間人が犠牲になってしまうことは許されるべきものではありません。しかし、宗教が根底となった争いは、どちらも譲ることは決してないため、誰もが納得する落としどころを見つけることは難しいでしょう。そうであるからこそ、繰り返されてきた中東の歴史。こじれにこじれた歴史を背景とした領土をめぐる争いというだけでも複雑ですが、そこに宗教も絡んできているので、事態はさらに混迷を極めてしまっているように思います。これ以上の惨劇とならないように、事態が収束することをただただ願うばかりです。

2009年に単身NYへ渡り、語学学校から就労ビザ、グリーンカードを取得したアメリカでのサバイバル体験や米国人と上手に働くためのヒントをまとめた「ニューヨークで学んだ人生の拓き方 」がキンドルから発売中です。渡米したい方、日本で欧米企業で働いている方に読んでいただけたら嬉しいです。