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44.鼓動

子供の頃、母の背中に耳をくっつけて
大人のよくわからない会話を聞くのが好きだった。
話を聞いていたというよりは、音。
母の体の中で鳴っている声を聞くのが好きだったのだと思う

いつも聞いている声よりも、深く共鳴して聞こえる音と体温、かすかな鼓動とがセットになって、心地よいのであった。

私が5歳の時に両親は離婚した。
それから母は美容関係の店を開いた。
私にはふたつ年上の兄がいるので、当時2人の子供を抱えて店を立ち上げるなんて、相当の覚悟と裏の努力があったはず。
朝から夜遅くまで仕事していたけれど、
母親も、そして父親の役割も、
全部ひとりでしてくれた。
私も兄も惜しみなく愛をもらっていたし、
この歳になってから思い返すと、こんなに出来る人いるのかと改めて驚く。尊敬する人。

母はあまり弱音を言ったりする人ではないので、
あの日はなんだか特別だった。
私自身が母を包む母のような気さえして、おかしな気持ちがした。
横になっている私のお腹に母は頭をのせて一つだけ「つかれた」と呟いた。
母の半分ほどの大きさの手で、小さい娘はその頭をなでなでした。
すると母は「れなの心臓の音はいい音だ」と言った。
「れなもお母さんの心臓の音ききたい」と起き上がり、今度は母の胸に耳を当てた。
ゆっくりと、しっかりと脈打つ鼓動が綺麗だった。
「お母さんの心臓もいい音だね」と言った。

なんだか妙に残っている思い出。
懐かしい匂いがする
私の中だけにとっておきたい不思議な光を持つ記憶だったけれど。
誰かに話してみたくなった。

母の背中に耳を当てて聞いていた音をしっかりと思い出せるのは、
私の心臓が脈打つ音を褒めてくれたことが嬉しくて
その後よく、母の背中に引っ付いて心臓の音を聞いていたからなのだと思う。

私の心臓の音はいつか母の音に似るのだろうか。

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