音楽という「目に見えないもの」に対しての私流向き合い方
こんにちは!
ミライフでキャリアアドバイザーをしております、れなです。
今回話したいのは「目に見えないもの」との付き合い方。
以前、無形商材について語りましたが、「サービス」は目に見えないものの代表ですね。
ちなみに私は音楽経験が長いのですが、「音楽」も目に見えないものの1つだと思います。
自身がどうやって音楽と向き合ってきたのか?を振り返りながら、「目に見えないものとの付き合い方」を考えていきたいと思います!
■幼少期~ヤマハ時代~
ピアノを習っており、「ヤマハ音楽教室」に通っていました。
楽譜ってヤマハオリジナルなんですよね。そしてあの曲たちって「タイトル」がついてます。
それこそ「かっこう」とか「SL」とか。もちろん内容もタイトルにちなんで様々。
でもそれにより「鳥のことを音楽するとこんな曲になるし、汽車のことを音楽にするとこんな曲になるのか~」という地盤が私の中にできあがっていました。
でも、イメージを持つだけ。別にだからといって演奏に変化があるのかというとそうではありませんでしたw
■小学生頃~ブルグミュラー時代~
小学4年生頃に、ピアノをグループレッスンから個人レッスンに切り替え、ブルグミュラー(作曲家)を習いました。
ピアノでクラシックに移った人間は必ずこの道を通ることでしょう…
相変わらず曲には「タイトル」があります。
今思えばブルグミュラーのタイトルってわかりやすかったなぁ。
そして未だに覚えているのですが、「天使たちの合唱」という曲を弾いたとき、母親(音楽未経験)から「大切な誰かを思って弾いてみなよ」と言われました。
またこの曲がとてもきれいな曲で、穏やかで、なめらかで、それこそ本当に天使が出てきてルンルン~♪と歌っているような曲でした。
そこで誰かを思う………となんだか心があったかくなってきて、自分の音にキラキラが乗りました。
めちゃくちゃ感情論ですが、おそらく幼少期の地盤もあって、これが私の「やり方」としてハマり、上手くいきました。
■思春期~ハーモニー時代~
中学生で吹奏楽部、高校生で合唱部に入ります。
今までとの違いは「演奏者が自分だけじゃない」。
誰かと一緒に音を出す、まさに「ハモり」の楽しさを覚えました。
ここで大切だったのは「合わせるとはどういうことなのか」?
Youtubeで合唱あるあるを載せていた方が「演奏会で『○○くんの声めっちゃ聞こえたよ~!』と言われると複雑」という話題を挙げていて、めちゃめちゃ共感しましたがまさにこれ。(この方ほんと面白い)
いかに周りと自分の音を融合させるかが肝で、これまでピアノソロでやってきた私に、チームワークの楽しさを教えてくれました。
あとはこの時に適材適所って大事だなと思いました。
私はメロディラインよりハモりの方が得意でした。メロディがあってこそのハモり。ハモりだけでは成り立たない。それがなんか良かった。
つまりサポートの方が性にあってたんですよね、この頃から。
■大学生頃~個性の爆発時代~
自己紹介にも書かせていただきましたが、大学は「日芸」を選択しました。
周りは強烈な個性を持ち、音楽への愛も凄まじい。これまでの環境とは違う。半端な気持ちじゃとにかくダサい。
ここで埋もれたくないとも思ったし、逆に個性をどれだけ出しても驚かれることはないとも思いました。するとちょっとずつタガが外れていき、新たな自分と出会えましたw
そこで表現の自由も感じました。今までピアノとか楽器とかハーモニーを良しとしてきた人生でしたが、雑音や無音と向き合ったり、教授陣は「野菜の楽器」とか「ゾンビ音楽」とか作り出すし…。とにかく何でもありでした。
形のないもの=自由な発想という魅力にどっぷり浸かっていた時だったと思います。
■社会人になって~上手くなりたい!~
学生時代は「サウンドクリエイター」を目指していたため、専攻も「情報音楽」という、DTPや音楽ビジネスなどに特化したところでしたが、一方で「声楽を極めたい」という想いがありました。
幼少期から色々音楽をやってきましたが、自分に一番フィットしていると感じたのが合唱を通して感じた「歌うこと」でした。
ピアノとかトランペットとかバイオリンとか、有形の何かを通してじゃない、「自分」を楽器にして音を出し、そこに「言葉」が入り表現することができる、ということにめちゃくちゃ魅力を感じていました。
大学に入ったら歌のレッスンを受けることができる、上達するんだ!と気合いを入れていましたが、やっぱり専攻じゃないとできることって限られてしまうんですよね。
「情報音楽」を専攻する私にとって、声楽は「副科」。思うような成果は得られませんでした。
それから社会人になって、ある出会いがありました。
新卒1社目、ポップスを主とするボーカルスクールで勤務していた時、なぜか一人だけゴリゴリのクラシック出身の講師がおりました。
不思議な人でした。
身体の仕組みから考えられた超ロジカルな発声方法。
でも「声が難なく出ればなんでもオッケー」の思想。
めちゃくちゃ感受性豊かでユニーク、人生経験も豊富。
演奏を聴くと繊細で、なぜかいつも涙がこぼれてしまう。
私もこんな風に歌いたい!教えてもらうなら絶対この人だ!と思い、満を持してその方に習い始めたのが、1社目を退職して3年後くらいのことです。
そして教わっていく中で、上達に必要なのはまず「量」なのだと気が付きました。(とても今更)
1か月に1回のレッスンじゃ、いつまでたっても上手くならない。
練習しないと。もっと歌わないと。目指すところにはたどり着かない。
コロナ禍のタイミング、スケジュール的にも金銭的にも余裕が出てきた私は、ここに来て「合唱」を習い事として再開することに決めます。
色々理由はありましたが、「1週間に1回でも歌える環境があるのは、間違いなく上達に繋がるだろう」という思惑がありました。
そして、やるなら高校の時(出身の福島県は全国でもトップクラスで合唱が強い県でした)と同じくらい、徹底的にやり込むところで続けたいと思いました。
■現在~譜面とにらめっこ~
合唱を始めたことは、私にとってものすごく大きな転機となりました。
指揮者の先生はとにかく細部まで楽譜を読む方だし、更に「ソロ」ではなく「合唱」、つまり「複数人で作り上げるハーモニー」にとことん拘る方でした。
そこで私が感じたことは、「音楽はロジカルなんだ」ということ。
譜面に書かれていることをいかに読み解くかという読解ゲーです。
抽象的な表現が多いから正解は存在しないけど、明確な「間違い」はある。
それを理解せず自分の感情だけで動いてしまうと、ハーモニーが成り立たない。
私はこれまで、「感情」をとにかく大事にしていました。
表現者ならそれがないとつまらない。もはや感情を表現するためにやってると言っても過言ではない、と思っていました。
でも表現=感情ではなかった。
表現するための技法は論理として存在していたんだ。
これに気付いた私は譜面をよく読むようになりました。(今更)
しかしここから面白いことに、声楽の師匠がどんなテクニックの上で表現をしているのか色々わかってきました。
且つ、感情を込めるのは最後のスパイスだということも。
師匠は言いました。
「カレーと一緒。ルーとご飯さえあれば美味しい。そこに野菜を入れるのかシーフードを入れるのかはその人次第」と。
なんてわかりやすい例えなんだと感動しました(笑)
■「目に見えないもの」
ここからもうひとつ面白いことに、仕事がめちゃくちゃ上手くいくようになりました。
おそらく目に見えないものとの付き合い方を理解したからだと思います。
今までは「なんとなくわかる」だったのを、譜面と同じように読み込んでいくことで、「自分の中の正解」を見つけ出しました。
これはきっと音楽だけじゃない、目に見えないもの全てに言えることで、私の中では自分の仕事である「無形商材の扱い方」にも繋がったんですね。
譜面はKPIや結果。
とにかくきちんと目に見えて存在するものを頼りに、様々な可能性を考え、導く。
それには知識も経験も必要だけど、それが私の中に溜まってきていた頃でもあったんだと思います。
■そして、これから
長年音楽をやってきて、やっとスタートラインに立ったようなもんです。
まだまだやれることはあるだろうと、日々研究あるのみ。
ちなみに最近は、声を前に出す・後ろに出す・上から出す・下から出す、の方向感覚が付くようになりました。
もはや何を言っているのかわからないと思うのですがw目に見えないものを動かすには、自分の中で言葉と行動に落とし込むしかないんだなとしみじみ思います。
それでもやっぱり正解はなくて、というかその人によって答えは違うし、自分にとっても今は正解でも来年は違うかもしれない。永遠に答えは出ない。
でも、それが面白い。
それが、「目に見えないもの」の良いところだと思います。
声楽の師匠ですら、
「未だにこの曲の歌い方の正解がわからない」と言うことがあります。
師匠ですらそうなんだから、もう私なんて何倍もわからないに決まってる。
だから考え続けなきゃいけないし、求め続けなきゃいけない。
それに、ワクワクしてしまうんですよね。
ドMなんですかね。(笑)
これからも、見えないものへの探究を進めて行きたいと思います!!
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