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『愛は時空を超える』〜映画インターステラーを見て感じた、真実を捉える姿勢の豊かさについて

『愛だけが、時間も空間も超えられる。』映画『インターステラー』の印象的なセリフだ。愛が時空をこえるだって?そんなことは馬鹿げている。強力な科学力を有している現代人は、簡単にその言説を一蹴することができる。けれど、科学は確かに自然の摂理に則した事実を映し出すけれど、それが必ずしも真実とは限らない。『科学的に物事を見る』確かにそれは重要な視点だがそれが全てではない。
今日は、愛・真実・科学の力・迷信・不思議な悪寒の正体について考えてみようとおもう。

先にこの映画の概要と
その中の今回取り上げる点について引用する

2014年の公開作『インターステラー(Interstellar)』。地球規模の食糧難と環境変化によって人が住めない星になっている地球。人類の滅亡のカウントダウンがはじまるなか、農場を営むクーパーは、NASAからの要請で「ラザロ計画」というプロジェクトに宇宙飛行士として参加する。ミッションは、地球外で人類が居住できる惑星を探し、人類を移住させること。クーパーは娘に「必ず戻ってくる」と誓い、アメリア博士、ロミリー博士、ドイル博士と一緒にに未知の銀河系に向けて出発する。

同映画は、特殊相対性理論(ウラシマ効果)やニュートン力学、漆黒の宇宙空間、運動の三法則など科学知識に裏づけられた理論、つまり学説ありきの要素を含んでいる。…説明の字面だけでもハードコアな映画だが、登場人物だってときには歯の浮くようなセリフを言ったりもする。アメリア博士の例だ。

「Love is the one thing we’re capable of perceiving that transcends dimensions of time and space. Maybe we should trust that even if we can’t understand it yet.
(愛だけが、時間も空間も超えられる。たとえ理解できなかったとしても、信じてみるべきなのかもしれない)」

インターステラーは、物理オタクにはたまらない映画

この映画は僕のような物理オタクにとっては、一際、最高に面白い。

重力の効果はアインシュタインの一般相対性理論によって整理された

その理論によると、相対的に重力が強い空間では、時間の流れがゆっくりになるということが示唆されている

単純化すると、もし僕が、地球より重力の強い惑星に5年間移住して地球に帰ってくると、なぜか地球は2026年ではなく2040年になっていたりするのだ

地球を立つときは小さくて可愛かった姉の娘は、もう二十歳にもなる立派な大人になっている。でも僕は5歳しか歳をとっていない。

なぜなら時間は『相対的』なものであるからだ。
時間の流れの速さを操るという、不思議な力が重力にはある。

映画の中では、母船を離れて惑星探査をする時、その星の重力が強力なので「その星での1時間は地球での7年」というとんでもない状況も起こる。数時間惑星探査を終えて帰ってくると、少し前まで一緒にいた乗組員は変わり果てた姿になっている。

(地球を救うために宇宙に飛び立ったのに、5時間もいたら35年も地球では時が流れ地球が滅亡してしまうではないか!)

人間がもつ唯一の可能性〜『愛』の物語〜

先に紹介したセリフに話を戻そう

「愛だけが、時間も空間も超えられる。たとえ理解できなかったとしても、
信じてみるべきなのかもしれない」

この映画は、人間に宿る『自己愛』という醜さと『他者への愛』という美しさの対比を、鮮やかに描き出す。

「人間がこれから『地球規模』の困難に立ち向かう時に、本当に必要なのは己のみを守ろうとする『自己愛』なのではなくて隣の誰かを、そして大切な人を想う『他者への愛』なのかもしれない。
映画を見終わった後に、僕はそんな感情を抱いた。

地球にいる大切なあの人と、たとえどれだけ空間的に離れていていても。
地球にいる大切なあの人と、重力によって時間もどんどんすれ違っていったっとしても。

『愛』という力はその時空間の距離を、重力による『ワームホール』のように意思を繋ぐ。愛という想像の力によって、人間の意思は時空間の不可逆な流れを飛び越えることができる。

『愛』を信じてみると見えてくるもの

先日、母は車を運転していて『一時停止』の場所での停止が甘かったらしく、白バイが近くにいて止められて7000円の罰金と、2点減点を喰らったらしい。

ずっとゴールド免許だった母は、ひどく落ち込んでいて『7000円をドブに捨てたことが悔しい!!』と嘆いていた。隣で僕は笑っていた。

すると母がこんなことをいった。『車を運転するときになんか嫌な予感がしたのよね。今日事故でも起こすのかと思ってた。』

『それは単なる気のせいでしょ。』
僕はそう思ったが、インターステラーを見た直後の僕は、こうも思った

「人間が感じる『虫の知らせ』や『悪寒』は誰かからの愛のメッセージなのかもしれない」

なぜか嫌な予感がするときは、誰にでもあると想う。
あの感覚は不思議だ。本当に、なんだかよくないことが起こるような気がする。そして時に的中する。

僕のような科学好きは、それを『単なる迷信』と捉える。
『そんなの確率の話で、悪寒がして実際に良くないこともあるし悪寒がしてなにもない時もある。そして、一度『悪寒がして悪いことがあった』という経験をするとその経験が印象的すぎて、10回中一回しかそれが起きていなくても、あたかもいつもそうであるかのように人間は思い込むからだろう』と考える。

でももしかしたら、その悪寒はその人に向けて過去の祖先か、未来の子孫か、共に生きる現代人からの『危険信号』なのかもしれない

『君に今から恐ろしいことが起こるかもしれない。だから備えてね。』
そんな知らせなのかもしれない。『愛』という不思議な感情が生み出す、時間も空間も超えたメッセージかもしれない。こんなことを考えるのは、馬鹿げているのだろうか?

科学が照らす真実と、喪失する思考の拡張性

もちろんこんな話は『幻想』だ。こんなこと言っても誰も信じないだろうし僕も
本気でそう思っていない

でも僕はこうも想う。『科学が立証してきたものは事実ではあっても真実ではないのかもしれない。真実とは、人間の意識の世界が形成するものだから。』

科学という強力な権威を使えば、『愛のメッセージなんて幻想だ。馬鹿らしい。』
と一蹴することができる。

でも人間はその力を信じてみることで、より自由で豊かな心を持てるかもしれないと想う。

僕を含め、科学を知り過ぎた現代人は神秘の多くを簡単に否定する。

『科学的に物事を見る』。確かにそれは重要な視点だがそれが全てではない

僕たち人間が信じてみてもいい、ゆたかな『真実』が、あるのかもしれない

そのことを心に留めて科学的事実だけを追い求めないように、生きていこうと想う



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れんてん
ただ、ありがとうございます。 きっとまた、「なにか」を届けます。

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