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天気と、私と、


花粉症の鼻炎よりも連日の寒暖差の鼻炎に怯えながら迎えた初夏は閉鎖病棟で過ごすことになった。私の生きている世界、つまり自分の人生22年において雨は高確率で雨は降るし、予報にない雨も降らしてしまうので胸を張り『雨女』を自称しているが、雨が嫌い以前に気候変動に弱い体質なので、体質に合わない、である。結果的に嫌いなのはここだけのはなし、のつもりにしておこう


まあ、入院までの経緯はさておき、横に置くを通り越して一旦後ろに投げておくとしよう。私は今、かかりつけの精神科に入院中なのだが、冒頭にもある通り気候変動にとても" 弱い "という表現だと、少しばかり語弊が生じそうなので、言いたいニュアンスに最大限寄せて言うとするなら 

"  気候変動に心身の影響が強い体質  "

ということだ
それは勿論自分自身に限った体質ではない。精神でも身体でも比較的健康な人でも気候と心身や生活や仕事でのパフォーマンス能力や調子の変化の結びつきは強い要素で、それに調子の変動があろうがなかろうが天気の視覚的情報としても荷物やら仕事や外出の環境や段取りも崩れやすいので悪天候で気分がハイになる人は滅多にいない、となんとなく想像はつくのではないだろうか

私は気候変動の不調は昔からの体質といえ、年齢を重ねていくうちにますます酷くなってきていて、ここ1〜2年は気圧が低い雨模様の日は頭痛だけで済まず、全身の強い倦怠感と共に節々の凝りや痛み、違和感などで姿勢保持すら厳しくどの姿勢でいても体がこわばりに近い力の入り方のせいもあってか全身の疲労感で座位も臥床ですら疲れてしまいどれだけ疲れていても睡眠薬を服薬しなければ眠りにつくためのリラックス(半ば脱力)に至れない
そして精神面はそれまで比較的安定しているのに、その疲れや不調を含めたストレスから解離(転換)症状で入院という一通りの件を繰り返して5年近く。今回の入院も然り
無念なほどに人間は自然には抗えない、と痛感する


天気という不可抗力に対抗や対策どころかその力も心身のコンディションとしてできない。一般的に、適度な運動や入浴、リラクゼーションを勧められるがそれで改善したり上手く付き合えるならば万々歳であるが、そもそもそれができて対策できていたら、きっとこの不安定ループは既に断ち切れている。(勿論試みたり意識はしていたが)第一、それら対策や体質改善に近いことを習慣化し安定して行えるほどの精神面も体力など持ち合わせていなかったので、気候の不調や精神的なのもだし病気や悩むものに『〇〇したら良くなった』『〇〇するといいよ』などという励ましやアドバイス的言動は言われた側からしたら正直

遠回しに "   努力不足 " と言われている

と感じてしまう。被害妄想と思われたり、被害的解釈と思われそうな解釈だが、そもそもその人が何も努力せずその不調や現状に悩んでいるとは限らない。あくまでできたのはその人の体質や不調に上手く聞いたり作用したのもあるし、悩んでいてネットで調べたり受診をしている人はたくさんいる。薬ですら万人に効果ないのに自分自身に効いたからと言ってアドバイスや意見のつもりでもその部分だけ言うと相手がしてないという思い込みのニュアンスになり得るので一言相手に誤解がない言葉の調味料として

『 〇〇(各々の一人称)の場合はね 』

と自分のケースだよ、と言うことをおすすめしたい、この言葉ならば意見として相手は腑に落ちやすい

( 発達障害とかも関係なしに日本語というは非常に難しい、扱いにくさ、そして相手に伝える難易度は高い…と個人的に思うのだが、第一、私は海外は行ったことない以前にパスポートすらないので、不動の日本で日本語という母国語に苦戦している立ち位置である )

気候により体調と連動しなくても良いのに精神面も連動して不調を来たすが、極論としてそれで死ぬわけではないし、その不調の中でもちゃんと生きれているなら、自己への甘やかしとか肯定レベル下げてるとかではなく、大真面目に"生きていてはなまる"と思ってないとやってられない。四季が危うい日本の年々荒れが加速している気候で生きるという

サバイバル→ 規模:地球 /  期間→人生

という規模も期間もハードすぎるサバイバルを基盤に様々な人生の節目や環境や過去などのサバイバル要素も加わる

そう思うと大袈裟ではなくて、

“   生きてるだけではなまる   ”

と周りに励ましのつもりで半ば無責任に言い放つよりはきっと自分に一番その言葉で自己を労うことに意味もあることを実感し、それを素直に思えてこそ、他人に向けた時に説得力が生まれ、言葉がその人に伝わるのではないだろうか

説得力は言葉の正しさよりは自分の経験や自分が受け入れる、素直になれた時こそ生まれる気がするのだが、私の理屈としては身を以て経験したことで発見や価値観でテンプレートに近い文言以上の表現が生まれる…という持論でしかないが、それは

自分を大切にできない人に他人を大切にすることはできない

と同じニュアンスにもあるが、本当にそうだと思っている

これからも天候不良のハードなサバイバルで生き抜こうと思った梅雨入り間近の閉鎖病棟から


私も素直に自分を褒めて労おう(小声)
ご褒美は大事だよね…!(大声)



2022/06/06  BY. IRODORℹ︎