幸せの定義を改めて考えてみる。
どんな時に幸せを感じるかは
人それぞれだと思う。
そしてもう1つ、
幸せを感じる幅がどのくらいあるか?
これも人によって違う。
そして、この感じる幅こそすごく大事だなと思う。
以前の私は、ジェットコースターで
駆け抜けるような、突き抜けるような時に
”幸せ”を感じていた。
その感覚”だけ”が幸せなのだと思っていた。
幸せの幅を25mプールで例えるなら
駆け抜ける・突き抜ける幸せはMAXの25mに達する。
今は、
・布団にくるまる時間
・湯船につかって解放感を感じる時間
・夫とご飯をともに食べる温かい時間
・ジャーナリングを自分と向きあう時間
・掃除をして心まで綺麗になった瞬間
こんな風に日常の中に幸せを感じている。
25mプールで例えるならば
これらは3~5m位に位置する幸せ。
駆け抜ける・突き抜けるような
爽快感・達成感はないし、自分の中からアドレナリンが
出ている感覚も全くないけど
間違いなく、私にとって幸せに変わりはない。
湯船に浸かることも
他の日常も以前からやっていた。
昨日始めたことではない。
ただ、私が勝手に25mの幸せじゃないと
幸せとは言えない。認めない。
そう定義付けていた。
言うても、駆け抜けたり突き抜けるような
出来事は、そうそう毎日は起こらない。
そして、それらは幸せでもあり達成感もあるけど
同時に体力・気力ともに消費が激しい。
とても毎日は感じていられない。
体ひとつじゃ足りなくなる💦
例え、1mでも3mでも
”幸せ”には変わらないのだ。
25mあれば完璧!ではない。
幸せに完璧なんてないのだから。
1m・3mの幸せに気づくには
”当たり前”という考えを手放すこと。
自分の日常に対しても
相手がしてくれたことに対しても
”当たり前”を手放すと
感謝と幸せが見えてくる。
幸せの定義なんて自分にしかわからない。
他人や世間の幸せは参考程度にとどめて
そろそろ自分の感じる気持ちに
正直であろう☺︎
そんな事を思った月曜日の朝でした☻
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