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神さまがいるのだとしたら

私はアッラーもイエス・キリストも仏陀もなんでも好きだ。
自分で言っていて意味不明だが、漠然と好きなのだ。

日常生活で何か頑張らなくては乗り越えられないことや、しんどいことがあると
「ハァ〜神が与え賜う試練っすね〜」
って言う。マジで口に出して言う。周りからするとちょっと変なやつかもしれない。

都合のいいようにしか神を信じていないので、別に敬虔な何かの信者ではない。ただ自分が何かを頑張る時、人のために生きる時、どこかで誰かが見てくれていると思いたいのだ。創造主、きっと私のことも愛してくれるだろう。
「良いことも悪いことも必ず還ってくる」と心の底から信じているから、どんなに誰もいないと分かっていても恥のある行動はしたくない。神が見ているからだ。神と、あとわたし。わたしがわたしのことを好きでいるために、「神様がみてるからちゃんとしよ〜」って規律を守る言い訳に利用しているのだ。

わたしの恋人は、神を信じていない。
この世で唯一信じられるのは自分自身だけだそうだ。すっげ〜(いろんな意味で)
わたしはわたしのことを最も疑っているので神が必要なのかもしれない。なんて思った。

そんな神を信じない恋人がある日ぽろっと言った。
「本当に悪い考えなのは分かっているんだけど、イスラム教の布を巻いている人、怖いと思っちゃう」

彼は勿論わたしが大学でアラビア語を学び、イスラム教について専攻していたことも知っている。ほんで新約聖書を愛読書とし、幼少期からの夢であったイスラエルまで旅に出た女だということも重々承知である。

それを知らない人に件の発言をされたら、殴りかかってしまうかもしれない。はい。これが戦争の始まりです。

という冗談はさておき、まぁそうでしょうね、怖いっすよねー分かります分かります。と思った。口頭では「オメー、この世で1番あたしに言っちゃいけねえ台詞だぞ」って言ったけど。あっ怒ってないです全然。

わたしにできることは、16歳でシリア難民に会いに遥々岩手県から中東ヨルダンへ行ったあの日から、ずっと同じなのだ。

「宗教=怖いじゃないヨー!宗教おもろいヨ!日本人にも神を信じる文化はあるじゃーん!宗教危なくないヨー!!(※危ないのも、ある)」
「イスラム教徒?いい奴やで!日本人全員サムライハラキリじゃないっしょ?それと同じやで!」

って笑顔で言い続けることなのだ。
ポイントは笑顔で、サラッと言うことだ。
熱く語りだすと、「怖い宗教の人」の一員に仲間入りしてしまうからだ。サラッと、満面の笑みで、本当に「すきなもの」の話として話している。

そうすると大概の人が「え、そ、そうなの…?」ってオドオド答える。

こんなもんでいいのだ。
なんたってわたしと7年?8年?一緒にいる恋人ですら、「頭に布巻いてる人こわく見える」とか言っちゃうんだもん。まあね、仕方ないよね。顔見えないと特に怖いよね!目しか出てないし!なんなら布、黒い時あるしね!わかるわかる!動物的に怖いよね。本能で怖い。

でもね私知ってんだ
彼らが愛妻家すぎ&まじめムスリムすぎるせいで、うちの最高に可愛い奥さんを周りに見られたくないからガッチリ布巻いてる家庭もあるところを。
奥さんの写真すら表に出さない、可愛すぎて世の中に妻が可愛いとバレて狙われたらどうしよう、とか真剣に言うんだよ。
そういう人もいるんだよ。これを愛と呼ばずなんと呼ぶわけ?なんならちょっと羨ましいが?

あとなんか知らんけどアラブ人って隙あらばみんなで手繋いで踊り出すよ?みんなでお歌も歌っちゃう。
あとめっちゃ親切だよ?頼んでもないのにいろんな話とかしてくるしどこからともなく現れた観光案内してくれてたおじさんがただの一般人だったりするよ?

わたしは全ての神も、神を信じる人たちも悪だとは思わない。

人が生きることは、思想があるということだ。
その中には過激なものも、他人に迷惑をかけるものもある。
それは断じて許されることではない。けれど、コーランに人を片っ端から殺せなんて書いてない。ささやかな日々の幸せを祈る人たちに罪はない。キリスト教徒も、イスラム教徒も、ユダヤ教徒も、大多数はただ生きているだけ。歴史の中で、沢山の争いがあって、説明はしきれないけれど、少なくも「宗教が絶対悪」と思わないで欲しい。
宗教が大好きなわたしの願いはただそれだけなのだ。勿論宗教は押し付けられるものではない。わたしは宗教を文化として愛しているが、なにかを激しく信仰して人に押し付けるようなことはしたくないししないと思う。これだけは絶対守るべき。

日本国内でも「宗教二世」で苦しむ人たちがたくさんいる。わたしの知人にもいる。
再三言うが宗教は自由だと思う。神なんか俺は信じないねと言うなら、親はそれを尊重して欲しいなと思う。森羅万象、なんだって信じすぎたらカルトだ。

わたしは神を信じる。
いてほしいなと思うからだ。
でも神がいるのならば、このような世界を見てどうお考えなのかしらとも思う。
ただその答えはわたしの中で出す。誰かにこうですよと言われる筋合いはない。わたしが信じているのは神であって、どこの誰かも知らんお前ではない。

神は、わたしの中にいるのだ。

え、わたしが神ってことかな…⭐️

そんなことを考えながら、今年のクリスマスは近所の教会で過ごしました。
平和を祈る気持ちに、差違なんてないと思うから。

誰もがそんな気持ちで生きていけたら、戦争なんか起きないのは分かってるよ。
赦し合い、尊重して生きていけたら。
この因果を断ち切って、前を向くことができたら。
復讐を、止めることができたら。

夢物語だと言われても、わたしは祈り続けるし、行動し続けるよ。
信じて生きていくほうが、希望を捨てないほうが、苦しくないから。
ただそれだけ。

今年のクリスマスはクリスマスケーキもイルミネーションもどうでもいい。わたしは祈った。讃美歌を歌った。
あの日美しいモスクや教会をたくさん巡った、イスラエル・パレスチナに思いを馳せながら。


すごい人懐っこい、モスクにいた猫


(ちなみにこの記事のトップの写真は、キリストが天に昇った場所のすぐ近くからの景色です)

イエスキリストはこの景色の中、天に還ったのかな。


どうか、血を流す人が一人でも減りますように。
世界が平和になりますように。


かの有名な「壁を作るな、ホンモスを作れ」
ホンモス食べたい。
イスラエルでガニ股を披露するあたし






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