先を生きる人
大人になってから分かる大人のすごさがあると思う。
ここ最近一番感じるのは教師ってすごいなということだ。
私は勉強にはそこまで苦労してこなかったけど、唯一数学だけは小4くらいからつまづき始め、中学には赤点常習犯(というか、赤点以外取ったことない)になっていた。
今でも仲良くしてくれる小学校の担任だった算数の先生と中学の数学教師には謝りたい。あんなに根気よく教えてくれてたのにさっぱりでごめんなさい。
教師にも色々いて、
本当に今思い出してもクズ中のクズだな、同じ社会人とは思えないなと思う人。
反抗期真っ盛りにはうるせえババアだなと思っていたけれど、案外今思えば面倒見が良くて私のことを思って言ってくれてたんだなあと申し訳なく思える人。
本当に世話になったなと今でも時々思い出す先生が4.5人いて、今何してるかはほとんど分からないけれど、大人になってからよく思い出す。
もし自分が教職に就いていても、あそこまで私生活を犠牲にして、朝から晩まで生徒がいなくなった後も働いて、それなのに生徒には反抗され、モンスターペアレント等と戦い、考えただけで今にも退職しそうだ。
私の彼氏や、私の友達は数名教員免許を取っているが、先生になりたいと大学に入った当初言っていた子たちも一人二人と諦めていった。
私は今でもしょっちゅう生きるのが辛くなった時、過去に浸っている時、中学時代の部活の顧問を思い出す。
中学時代は私の悪いところを全て爆発させたような人格だったから、あの頃の担任や顧問には本当に迷惑かけたなと思う。
顧問の先生は数学の担当だったから、教科でも私に大層な迷惑をかけられ、部活動でも私が暴れ、それはそれは大変だったと思う。
あっという間の3年間。
最初はメインの顧問の先生が別にいらっしゃったから、先生は表立って出てくる感じではなかった。
それが突然主顧問が転勤になり、突然指揮棒を握らされた。
正直私は、この先大丈夫なのかな…とか思ってた。不安だった。最後のコンクールはどうする?先生が指揮するの?誰が教えてくれるんだろう。
その頃部長に任命された私は、その先生と一歩一歩部活を一から作るような日々を過ごした。
何度もぶつかり合い、先生とも部員とも揉めまくり、とにかく波乱の日々だった。
先生の所に打ち合わせや数学の課題を出しに行くと(いや赤点すぎてしょっちゅう呼び出しを食らっていたのかもしれない)、先生の机には書き込まれた楽譜の山。譜面を読み込み、指揮をするために必死だったんだと思う。反抗期真っ盛り中学生から見ても分かるくらいみるみるうちにやつれ、それでも汗を流して絶対に私たちに付き合ってくれた。
クソガキだったから、本当にひどいことも沢山言ったと思う。
それでも先生は指揮を取り続けてくれた。
大人からしたら「ただの教師人生の中の一期の生徒のコンクール」かもしれない。
でも私たちにとっては一生に一度だった。この全員で、大会に出るのは一生に一度だった。短い人生の中では、それが全てだった。
先生もその熱量でいてくれたことが、今思えばすごく貴重なことなんじゃないかと思う。
コンクールは、史上初の金賞だった。
部長だから表彰台に上がったけど、何も景色を覚えていない。感動の涙が出る余裕もなかった。
県大会には行けなかった。いわゆるダメ金。でも結局一個下の後輩たちが史上初の県大会まで行ってくれた。先生と。だから私の3年間に悔いはない。
引退間近、またしても部内は大揉めした。
もう何もかも投げ出したかった。自分の甘さや弱さが招いたことだった。でも当時の私には受け入れられず、ただ唖然とし、先生に呼び出され、色々話し、とにかく記憶がない。支離滅裂なことを話していたと思う。
もう辞めたいだとか、私さえいなくなれば皆上手くやるんじゃないですかとか、部長なんてやるんじゃなかったとか、そんなようなことをどうせ口走っていたと思う。
私生活を全て投げ打って私たちに向き合ってくれた顧問に向かって。今思えば本当に申し訳ない。
もし私だったら、
こっちだって好きで主顧問任されたわけじゃねーよ!!部活のせいで休みもないんだぞ!!
とか、
こっちはお前たちのために色んなところに頭下げてきてんだぞ!!
とか、喉元まで来ると思う。
だって当時の私なんかどんなに泣いても悩んでも、家に帰ればご飯のある生活なのだから。今思えばちっぽけな挫折である。
でも、先生は声を荒げず色々私の話を聞いた後、
「でも、僕は千夏さんが部長で良かったよ。」
と、言った。
私は途端に大泣きした。
今でも、その時のことをふと思い出して涙が出る。それでよし、また人生頑張らなきゃなと思う。
頑張ったとか、そんなことないよとかありきたりなセリフじゃないそのセリフが、本当に私の一生の宝物になった。
きっと、死ぬ前にも走馬灯で蘇ると思う。
先生、ありがとう。思春期のめんどくさい私に沢山向き合ってくれて、認めてくれてありがとう。そのおかげで、なんとか元気にやってます。
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