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父と同じ学校で、父の成績を超えることを目標に(いなべ総合学園高校OB 舘駿介インタビュー)

父も指導を受けた監督の下で野球を

――野球を始めたきっかけについて教えてください
 父が野球をしていて、父の影響で物心がついたころには野球を始めていました。父の高校時代の恩師が自分の高校時代の監督でもあるいなべ総合の監督で、親子二代で同じ先生に指導していただきました。

――高校を選んだ決め手は、やはりお父様の恩師がいらっしゃったからですか?
 そうですね。それとクラブチームの先輩がたくさん進学されていたので、その二点で高校を決めました。

自主練の中で築き上げたチームの絆

――ここからは高校に入学してからのお話に移っていきたいと思います。高校時代に掲げられていた目標は何でしたか?
 高校時代は甲子園に出場することと、甲子園で勝つことを目標にしていました。キャプテンを中心にメンバーも揃っていたので、甲子園で勝つことを目指して練習していました。

――甲子園を目標としていた当時の思いや、練習に対する姿勢を教えてください
 学校の授業が早く終わって練習時間がとても長かったため、効率よく時間を無駄にすることなく練習することを心がけていました。レギュラーやベンチ関係なく、全員がグラウンドに立てるようになるレベルまでみんながレベルアップできるように練習していました。

――高校時代の印象に残るエピソードなどはありましたか?
 みんなでバントをして、全員が決まるまで終われないというような練習がありました。他には先生などから何も言われなくても、ポール間を自主的に走るというようなことがありました。

――そういった練習の中で、チームメイトと掛け合った言葉などはありましたか?
 ポール間走などは自主練という形でやっていたので、どうしてもやりたくない人や他の練習をしたい人がいました。そういった中でも、そのような自主練習を全員でできたということでチームの絆ができ、そこで「頑張ろう」といった言葉を掛け合ったことは思い出に残っています。

父の成績を超えることが叶わなくなった甲子園中止

――甲子園中止の第一報を知った時はどういった感情でしたか?
 高校が公立高校ということでコロナが流行してからは練習が全くできず、チームメイトとは離れ離れになっているときに中止のニュースを見ました。頭が真っ白になりましたし、個人的にはプロ野球選手よりも甲子園を目指していたので、今までの努力を考えると切り替えができなかったです。

――中止が発表されてから監督とのやり取りで印象に残っていることはありましたか?
 先生からはLINEで練習方法などの動画を送っていただきました。甲子園はなくなってしまいましたが、それでも動画などでご指導いただいて頑張ろうと思いました。

――お父様もかつては高校球児で同じ監督の下で野球を教わったとのことでしたが、お父様と何かお話しされたことはありましたか?
 父の最高成績が県で準優勝だったので、個人的にはその成績を超えたいと思っていましたが、それが事実上叶わなくなってしまいました。それでも野球をするのは甲子園のためだけではなく色々な経験ができたので、良かったのではないかということを言ってもらいました。

2試合連続の逆転サヨナラ勝利で見せた粘り強さ

――そんな中で代替大会の開催が発表されましたが、発表を聞いたときはどんな心境でしたか?
 独自大会すらできないという可能性もあったので、大会があるということはとても嬉しかったです。しかし、個人的には甲子園がないということでモチベーションが上がらないのではとチームメイトに会うまでは思っていました。ただ練習が再開してからはキャプテンを中心に「独自大会で勝って終わろう」という感じの雰囲気になっていたので、独自大会を開催していただいて本当に良かったです。

――大会の中で特に印象に残っている試合はありますか?
 準決勝と決勝ですね。準決勝はなかなか点が入らない展開で、8回裏に1点先制して、9回を抑えれば勝ちという場面でした。しかしピンチを招いて、相手の打ったファーストゴロでエラーが重なり2失点してしまい逆転されてしまいました。9回裏はみんなが泣いていて「もう終わりだ」という感じだったのですが、どこか逆転できるのではないかという思いもありました。そこでチャンスを作って同点に追いつき、サヨナラ勝ちを収めることができました。
 決勝も9回裏まで負けていたのですが、9回裏に2点取って逆転サヨナラ勝利を収めることができました。2試合続けて逆転サヨナラで勝つことができたので、その2試合がとても印象に残っています。

――2試合連続での逆転サヨナラ勝利とのことですが、そういったチームの粘り強さはどういったところから来ていると思いますか?
 どこか負けていても逆転できるのではないか、打ってくれるのではないかという自信からだと思います。そして、自主練などでみんなの努力を見ているので、ここ一番で売ってくれるのではないかという期待があることからだと思います。

――代替大会ではあるものの三重県優勝ということで、お父様の準優勝という成績を超えられましたが、そこについては感じるものはありましたか?
 チームの成績的には勝ったのですが、父は素晴らしい選手でしたので個人的には勝ったとは思っていません。ただチームとして勝ったことは嬉しかったです。

――三重県では代替大会後に岐阜県の王者である大垣日大との交流試合が設けられましたが、その交流試合の感想を教えてください
 負けても勝っても高校野球最後の試合だったので、全員で楽しんでいこうという気持ちで試合に臨みました。序盤はリードしていたものの、終盤で逆転されてしまいました。しかし県大会の2試合と同じような展開だったので、最終回に何かあるんじゃないかと思っていました。最終回に1点は返したものの、惜しくも1点差で敗れてしまいました。
 試合後に先生の「8対9というのは『野球』という数字になっているので、何か運命的なものがあるんじゃないか」という言葉が印象に残っていて、すごく思い出に残る試合でした。

メンバー全員が揃う最後の機会に全員が楽しんで

――この「あの夏を取り戻せ」というプロジェクトについて聞いたときはどう思いましたか?
 当時のチームメイトは野球を続けている人が多く、プライベートでよく会って遊ぶことも多いです。そんな時に「また野球できたらいいな」ということを皆で話すのですが、それがもしかしたら甲子園に出られなかったチームと一緒にできるかもということで、実現したら思い出に残るだろうなと思いました。

――当時のチームメイトの皆さんはこのプロジェクトの話を聞いてどういった反応でしたか?
 最初に先生からこういう話があるとLINEが来て、みんなにこのことを伝えました。「本当にできるのか」とみんな驚いた様子でしたが、できたら思い出に残るのでやってみたい、もう一回みんなで集まってみたいという思いは全員同じだったと思います。

――このプロジェクトでの目標について教えてください
 当時のメンバー全員が揃って野球をする機会は今後ないと思うので、試合が開催されたら勝ち負けにはこだわらず、全員が楽しむことを第一に試合をできたらなと思います。

――最後に応援してくださってる方々へ意気込みをお願いします
 同時のメンバー全員で楽しむぞ!
 おー!


プロジェクト公式サイト:https://www.re2020.jp/
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