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仲間に助けられ、刺激を受けた高校時代(桐生第一高校OB 大塚陸翔インタビュー)

中学2年の秋から結ばれていた縁

――野球を始めたきっかけについて教えてください
 父と小さい頃からキャッチボールやバッティングをしていたのですが、そういったことをしていく中でもっと野球をやりたいということを伝えて、小学2年生くらいの頃に地域の野球チームに入りました。

――高校を決めた理由はありますか?
 中学2年の10月くらいから桐生第一高校のスカウトの方から声を掛けていただき、長い期間にわたって声ををかけていただいたという縁もあり桐生第一高校を選びました。

仲間の存在が刺激となった高校時代

――ここからは高校に入学してからのお話に移っていきたいと思います。甲子園を目指していたときの思いや練習への姿勢について教えてください
 高校に入学したきっかけも甲子園に行きたかったというからという理由だったので、甲子園に対する思いは強かったです。練習も夜遅くまでやってキツかったんですが、一緒にやっている仲間を見ていたら負けていられないなという刺激を受けて毎日練習していました。

――やはり仲間の存在は心強かったですか?
 そうですね。仲間には何度も助けられたことがありました。

――そういった仲間とのやり取りで印象的なエピソードがあれば教えてください
 冬のランニングメニューに集団でのタイム走があったのですが、自分は長距離を走るのが苦手で結構死にそうになっていました。ただ隣で自分より走るのが苦手な仲間が必死になって走っているのを見て、「こいつがやっているのなら、俺も頑張らないとな」という思いになりました。
 そういう仲間からの刺激を受けて、冬の練習はどうにか乗り越えていました。

――新チームとなった8月に当時コーチだった今泉氏が監督に就任されましたが、今泉新監督は対話を重視する方と伺いました。監督との対話で印象的だったことありましたか?
 監督さんと話したことだと、自分は結構サイドスロー気味のフォームでピッチャーをやっていたのですが、その中で相手バッターを抑えるためにストライクゾーンの四隅を狙うこと。高さが使えないから、外と内の投げ分けはしっかりやれよということは監督さんから言われました。

――健康状態を把握するためのスマートフォンアプリを導入されたということも伺いましたが、その当時のことについて教えてください。
 毎日の練習の強度や、食事の内容を記載して1日にどれだけカロリーを摂ったかといったことを記入しました。その内容を見て自分の身体作りをやっていたので、そういう面では自分が成長するための参考になりましたし、あってよかったと思います。

センバツと夏の選手権、2度の中止で受けたショック

――桐生第一高校は春の選抜への出場が決まっていたと思いますが、選抜中止の第一報を知った時はどういった感情でしたか?
 中止連絡が出る前くらいから大会をやるのか、やらないのかという感じになっていて、その時は何とか無観客で開催してくれるかと思っていました。しかし中止になってしまって、甲子園という一つの夢がなくなってしまい、自分含めて皆がショックを受けていました。

――その後、夏の甲子園の方も中止が決まりましたが、その時はどういったお気持ちでしたか?
 選抜がなくなったから夏も多分ないだろうと考えていたので、まだ選抜の時に比べてショックは大きくなかったと思います。ただ休校が明けてから会った他のチームメイトは「あぁ、もう野球ないのか……」といった感じで気分が落ち込んでいました。

――甲子園が中止となった時に監督と話したことで印象に残っていることはありますか?
 夏の大会がなくなった次の日に3年生全員が監督とコーチとZoomで対話を行いました。その時は大学で野球をやろうと考えていたので、「なくなっちゃったものはしょうがないから、次のステージに向けて練習しようと思います」という内容を言ったことを覚えています。

――監督やコーチの方から言われたことで印象に残っている言葉はありますか?
 「言葉が出ない」ということを言われました。「自分たちは甲子園がなくなるということを経験したことがないから、お前らに何て声を掛けていいか分からない」ということを言われて、その通りだなと思いました。

選抜出場予定校同士での最強決定戦

――そんな中で代替大会の開催が発表されましたが、発表を聞いたときはどんな心境でしたか?
 正直そういう大会もないと思っていたので、やっていただけるだけありがたいと思いました。3年近く野球部に携わってくれた両親や関係者の方々への感謝の気持ちはプレーで伝えることしかできないので、そういった人たちのためにも勝とうという話になりました。

――代替大会では保護者や関係者の方々はスタンドに入れたとのことですが、そういう方々に直接プレーを見せることができたということは大きかったですか?
 何もないと親も思っていたでしょうし、遠いところから群馬に通っていた子もいたので、そういった親御さんにとっても代替大会というのはありがたいものだったなと思います。

――代替大会の決勝戦は2-2の6回に満塁ホームランが飛び出すという劇的な展開でしたが、どういった思いで決勝戦に挑んでいましたか?
 決勝戦の相手が健大高崎で、うちも健大高崎も選抜出場が決まっていた学校同士だったので、どちらが本当に強いのかハッキリさせようという思いで決勝戦に挑んでいました。チームメイトが満塁ホームランを打った時にはすごく興奮しました。

――最終回2アウトから1点差まで追い上げられましたが、優勝した瞬間のお気持ちを教えてください
 すごく嬉しかったです。前橋育英や健大高崎の2校が群馬県のトップみたいな感じで戦っている中で、秋に前橋育英を倒し、夏に健大高崎を倒して優勝することができたので、本当に桐生第一に入ってよかったなと思いました。

――選抜への出場が決まっていたということで甲子園交流試合もあったと思いますが、その交流試合が発表されたときはどういった心境でしたか?
 代替大会の時と同じように、まさか甲子園で試合をやらせてもらえると思っていなくて、1試合だけでしたが、夢だった甲子園で試合をやらせてもらってありがたかったです。

――先程「大学で野球をやろうと思っていた」というお話がありましたが、現在は大学の方で野球を続けられていますか?
 準硬式という形ではありますが、今も野球は続けています。

――大学での目標などはありますか?
 今は日体大に所属しており、準硬式野球部が2部リーグにいるため、まずは1部昇格を目指すという目標を持ってやっています。

またあの時のメンバーで野球を

――この「あの夏を取り戻せ」というプロジェクトについて聞いたときはどう思いましたか?
 最初は「へぇ~」くらいにしか思っていなかったですね。当時のメンバーも卒業して各地の大学に進学しているので、人が集まるのかな?というようなことを考えていました。正直開催は難しいのではないかと思っていました。
 しかし「甲子園でやらせてもらえるんだったら、是非やりたい」と元チームメイトが言ってくれて、運営の皆さんも自分たちが野球をやれるように動いてくださっているので、すごくありがたいと思っています。

――大塚さんは桐生第一高校の代表者を務めておられますが、代表者引き受けた理由などはありますか?
 自分も野球をやっていますが、硬式野球部でやっている人たちの負担にはしたくないと思ったからです。また、代表者を出してほしいという話を貰ったのが自分で、その流れもあってチームメイトからの賛同もあったので、自分が代表者を務めることになりました。

――このプロジェクトでの目標について教えてください
 高校のメンバーで集まれるのもこれが最初で最後になるかもしれないので、とにかく楽しんでまた皆と野球ができればいいなと思います。

――最後に応援してくださってる方々へ意気込みをお願いします
 全員集まることはできないかもしれませんが、できる限り皆に声をかけて一人でも多くの人数を集めたいです。最終的には、またあの時のメンバーで集まって楽しく野球をしたいなと思います。

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