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特別な夏だからこそできたメットライフドームでの2試合(狭山ヶ丘高校OB 金子侑渡インタビュー)

三人兄弟の長男の影響で野球の道へ

――野球を始めたきっかけについて教えてください
 自分の家族は三人兄弟で、長男の兄が野球をしていて、次男の兄がサッカーをしていました。長男の試合を観に行くうちに、自分も知らず知らずのうちに野球ボールを持って、野球を始めていました。

――チームに入ったのはいつ頃でしたか?
 幼稚園を卒園してからすぐに小学校のチームに入ったので、小学1年生の時から本格的に軟式野球を始めました。

――狭山ヶ丘高校への入学を決めた理由などを教えてください
 自分の父は凄く野球に熱心な人で、中学時代の自分は思うような成績を残すことができなかったのですが、高校選びをするときに埼玉県で上位を狙えて、なおかつ自分が試合に出られるようなチームを一緒に探してくれました。
 そうやって探す中で父が狭山ヶ丘高校に連絡をして、自分がセレクションに参加することになりました。そのセレクションで高校の監督から「是非」と言っていただいて、狭山ヶ丘高校への入学を決めました。

真冬に半袖で走った思い出の日々

――高校時代に掲げていた目標は何でしたか?
 狭山ヶ丘は毎年ベスト8、ベスト4が高い壁でした。自分たちの代は入学当初からすごく期待されていた代だったので、入学当初から埼玉県優勝を目指してやっていました。

――埼玉県優勝、そしてその先ある甲子園を目標としていた当時の思いなどを教えてください 
 自分自身は主将ではなかったのですが、2年生の頃から試合にも出していただきました。キャプテンがすごく厳しいチームで、監督も厳しかったので、とにかく1球1球を無駄にしないようにという思いで、毎日甲子園を目標にして練習に取り組んでいました。

――当時の練習で印象に残っているエピソードなどはありますか?
 冬場になるとランニングとかが多くなり、とても厳しい練習が多くなる中で、皆が本当に必死になって練習をしていました。寒い中でしたが、身体が温まってきて冬に半袖で走ったりというのは高校時代にしかできない経験だと思うので、今ではいい経験になったと思います。

――2018年の秋から監督が平沢監督になったとのことですが、その平沢監督は帝京高校出身で元プロ野球選手の杉谷拳士さんとも同期だったと伺いました。平沢監督は帝京イズムの猛練習を行ったとのことですが、そのことに関して覚えていることはありますか?
 平沢監督は若い監督で、コーチから監督に昇格したという形だったので不安はなかったのですが、とにかく練習が厳しくて、毎日自分たちよりもエネルギーがありました。ノックも1番打ってくれた監督で、本当に熱い方だったというのが印象的でした。

甲子園がなくても埼玉1位に

――甲子園中止の第一報を知った時はどういった感情でしたか?
 発表されたときは自宅で待機という状況で、とにかく本当に悔しいという思いが第一にありました。それでもその時にチームでは誰一人気落ちすることなく、大会を開催していただけるということだったので、甲子園がなくても埼玉の1位になろうという思いで、キャプテンを筆頭に監督含め皆で埼玉優勝を目指して毎日やっていました。

――監督が熱い方だったとのことですが、中止になった当時監督からかけられた言葉などはありましたか?
 監督さんも自分たちと同じで全く気落ちしていなかったと思います。印象に残った言葉としては、「お前たちの代はかわいそうだけど、同情はしていない」と言われて、とにかく自分たちがやってきたことは無駄ではないということを言っていただきました。
 そういったこともあり、キャプテンをもとに毎日ミーティングを重ね、とにかく埼玉1位になれるチームをということで、練習ができるようになってからは毎日やっていました。

共に初優勝がかかった決勝戦

――各都道府県で独自大会開催の動きが進みましたが、大会の開催を聞いたときの心境を教えてください
 まずはやっていただけるんだという気持ちが第一にあって、まだ同学年の仲間たちや後輩と野球ができるという嬉しさが大きかったです。

――独自大会の計8試合で印象に残っている試合はありましたか?
 5回戦の狭山清陵戦と決勝の昌平戦が印象に残っています。
 狭山清陵戦はこれまで壁であったベスト8がかかった試合で、序盤はリードされていて危ない展開でした。そこで1人のヒットがきっかけで逆転につながり、自分たちがやってきたことを出せた試合だったと思います。卒業した今でも「どの試合が印象的だった?」と皆に聞けば、決勝の次に狭山清陵戦が挙がると思います。
 決勝は狭山ヶ丘と昌平のどちらも初優勝がかかった試合だったため、気が抜けないという思いで、必死にやっていました。

――独自大会準決勝と決勝はメットライフドーム(現ベルーナドーム)での開催でしたが、そのようなことに関してはどう感じていましたか?
 埼玉県の独自大会が開催される前に、西武ライオンズの方がメットライフドームを準決勝と決勝で貸してくれるということを聞いたときには、これはやるしかないなという思いがありました。実際にその場に立った時は、本当にここで試合ができるのかと鳥肌が立つ感覚でした。

――金子さんは全8試合に1番レフトで出場し、全試合で安打を放たれましたが、ご自身のプレーを振り返って感じた点はありますか?
 独自大会は本当に助けられたことが多く、自分が仕事をできたのは地区大会の決勝と、県大会決勝だけだったと思います。大会の独特な雰囲気というか、色々なことを考えてしまいましたし、3年最後の大会ということもあって結果を残したいという思いもありました。調子が良くはなかったのですが、多少いい場面でチームに貢献できたと思うので、そこは良かったと思います。

――優勝した瞬間の心境について教えてください
 ツーアウトに追い込んだ時点で優勝が目の前にあって、それでも気が抜けない状況でした。その時マウンドに立っていたのがエースの清水で、頼むぞという感じで外野から祈っていました。優勝した瞬間は何とも言えないというか、とにかく無我夢中でマウンドに走っていったと思います。

一瞬一瞬が最高の思い出になるように

――この「あの夏を取り戻せ」というプロジェクトについて聞いたときはどう思いましたか?
 まさかこんな日がくるとは思っていませんでした。自分は大学野球を続けているのですが、チームメイトには他県の独自大会で優勝した選手が何人もいるということもあり、企画してもらえるだけでも嬉しい事なので、感謝の気持ちでいっぱいです。

――このプロジェクトでの目標について教えてください
 当日の内容はまだ確定ではないのですが、色々な強豪校の皆さんと交流できるということで、1試合や球場を貸してもらえるだけということになっても、その場を全力で楽しんで、皆であの時の夏を取り戻したいなという気持ちで、今はいい報告を待っています。

――最後に応援してくださってる方々へ意気込みをお願いします
 まずこの『あの夏を取り戻せ』というプロジェクトへの意気込みは、やっていただけることに感謝して、皆で野球ができるということなので、とにかく1球1球を大事にして、一瞬一瞬が最高の思い出になるように、自分たちもやれることをしっかりやって臨みたいと思います。
 お金もすごくかかるプロジェクトで、皆さんの支援が必要となってくると思うので、皆さん応援していただけたら嬉しいです。
 頑張ります!


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