混沌と自由への招待~私がムタファイナルを見て感じたことについて~
はじめに
私は、グレート・ムタの歴史を、あまりよく知らない。
ABEMA中継内で大会前に紹介された情報や、オープニングやメイン前のVTRで、歴史の流れを大まかに把握したものの、所謂ムタに対する思い入れみたいなものは、他の方に比べても希薄だったように思う。
それでも、大会終了のアナウンスが流れてから暫くの間、私は余韻に圧倒されて、客席から立ち上がることが出来ずにいた。
まるで異世界に飛ばされたかのような非現実感と、「これが本当に最後だったのか…」という夢現。
【グレート・ムタ最後の降臨】と銘打たれた、1・22NOAH横浜アリーナ大会。
メインのムタファイナルに重点が置かれた今回のカード群は、タイトルマッチの隊列に『グレート・ムタvsシンスケ・ナカムラ』が組まれた2023年元日の日本武道館大会と、色合いを大きく異なるものにしていた。
今大会でGHC王座の防衛戦を排した事も、ムタ独自の世界観と、大会そのものの意味合いを守る上で英断だったと私は感じている。
とはいえ、素晴らしかったのはメインだけではない。
2月シリーズで組まれている王座戦の前哨戦を絡めつつ、通常興行とは異なる取り組みがなされたのだ。
全試合にサブタイトルが付けられるなど、コンセプトを設けた試合の数々。
序盤で会場を沸かせた女子プロレスのタッグマッチ。
2022年10月の有明ビッグマッチでも導入された、マーシャルアーツルールの試合。
ユニットの枠を超えて、GHC王者を集めたチャンピオンナイト。
ジュニア勢の豪華競演。
少なくとも、ノアの通常興行で女子プロレスやマーシャルアーツルールを組んだなら、異端として扱われそうなカードだろう。
それくらい実験色の強い内容で、『ごった煮』になる危険性を孕むチャレンジではあったものの、いずれの取り組みも見事に成立したのはムタの持つ魔力ゆえなのか…?
そう思わざるを得ないくらい、試合のカラーもテンポも上手く纏められていたのだ。
2022年までのノアは、「豚カツ定食の後にカツ重が出される」ようなボリュームに満足する反面、やや胃もたれするきらいもあったのだが、2023年に入ってからは試合数の多さに対してテンポの良さが目立っている。
そうした傾向が、今大会の纏まり方にも寄与していたかもしれない。
ムタファイナルのラストピースは、白使だった
メインイベントのムタファイナルを見て真っ先に感じたことは、【プロレスの試合】という範疇を超越するアートだったという点だ。
生み出す空間は唯一無二で、まるで1本のドラマや映画を見ているかのよう…。
グレート・ムタが生まれてから30年以上。
その歴史を知っていても、知らなくても、圧倒されてしまう存在感。
この壮大なる大河ドラマを終焉させる上で欠かせなかったのは、ムタの対角に立った白使の存在である。
スティング、AKIRA、丸藤正道に加え、新進気鋭のダービー・アリンが入る錚々たる顔ぶれにあって、ムタの天敵として聳え立ち、メインで中核を担った点は決して見逃せない。
ムタのラフファイトを喰らい、血を流しながらもムタの目の前に立ちはだかるその姿は、カメラのファインダー越しでも圧倒された。
それでいて、大ベテランとは思えぬ軽快な動きなのである。
ムタが閃光妖術で白使に勝利した直後、白使の額についた血で卒塔婆に書かれた【完】の一文字。
戦前、ムタとスティングの競演が盛んにクローズアップされていたが、ムタファイナルにおけるラストピースは、他ならぬ白使だったのではないだろうか?
ムタファイナルにおける世界観を構築する上で、白使の存在は大きかったのである。
私にはムタと白使が、ある種の一心同体のようにも見えた。
まとめ~混沌にして自由~
ムタファイナルは、マイクアピールの無い退場シーンも含めた【如何様にも解釈出来る幅の広さと思考の余地】を残して、終焉を迎えた。
試合後のマイクアピール一つで今後の展開や方向性が決まるプロレスも多い中で、【見た者の想像力に委ねられる箇所が多く残された試合】は、私自身あまり記憶になかった。
長年追っている人にとってスティングとムタの競演は感慨深いものがあるのだろうし、ダービー・アリンがレジェンドの終焉に携わった事に心踊らされる人もいただろう。
大会後にフォロワー様と感想を話し合った際、「スティングが生で見れると思わなくて、泣きそうになった」と語る姿を見て、ムタが築いた歴史の深さと重みを思い知らされた。
世代を超えてリーチする、グレート・ムタの偉大さ…。
今回のムタファイナルには、試合を見た者の歴史と記憶と感想によって、幅広く解釈できる余地が多く残されていたように私は感じている。
私が『異世界』や『映画のよう』と評したのも、その部分が大きかったからかもしれない。
【ムタ最後の降臨】という1点の事実を除いて、解釈を限定する決定的事象は会場にもリングにも、何一つとして存在しなかった。
まさに、混沌にして自由。
私の中では、「またどこかで見られるのではないか」という淡い期待も捨て切ることが出来ず、これがムタにとって最後の試合だとは信じがたいものがあった。
最後にしては、あまりにも悲愴感が無い終わり方だったから。
それでも、カメラで撮影した【完】の文字を眺めて思うのだ。
「これで、本当に最後だったのだ」と。
素敵なものを見せて貰えたという感謝と感動。
本当にありがとうございました!!
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