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#26 「私の夢」

BKSを初めて4か月。念願叶ってお題を出す機会を頂いた。


BKSの略は 「ブログ 強制 制度」お題に対して1週間の期間でブログを書き続ける。


当初40名程で始まったグループも現在56名と増えてきた。その中である時、事件が勃発した。そう第1次BKS事件簿。

最初はみんな頑張って書いていたけど、毎週お題に対してブログを書く&ブログを読むという行為は想像を絶するほど大変だった。


そして出た答えが、

「みんながみんなのタイミングでやれる時にブログを書く」という所に落ち着いた。

BKS→「ブログ 書く 制度」になってしまった。もちろん色々な理由があったのかも知れない?そこには沢山のBKSへの愛、そして優しさがあったのかも知れない。


しかし自分は

「ブログ 強制 制度」

にとても熱さを感じた。なぜなら本気で取り組まないとブログは書けないし、みんなのブログも読めない。「強制」という名の背中を押す制度が自分にはピッタリだった。

ここまでの4か月、毎週ブログを書くなんて自分1人ではとても出来ることではなかった。


そして今を本気で取り組むことによって、色々なことが見えてくる。

本気でやるから、本気の結果で出る→それを改善すれば、本気で人生が変わる。


夢は本気でやらなければ、とてもじゃないが叶わない。そう自分は思っている。

みんなの本気が知りたかった。だから「私の夢」のお題を出させて頂いた。


「いつか~」なんて言ってたらその「いつか~」なんてやってくるはずがない。夢は期日があるから、今を本気で生きれる。





高校受験の時、そこそこ勉強を頑張ってそれなりの進学校に入ることができた。

だけど入るのが目標でその先の夢があるなんて、誰も教えてくれなかった。


高校を卒業して、その先の進路を考えるときにとりあえずなんか直観で、スタイリストになろうと思った時があった。ファッションが好きだったし、ファッション業界の煌びやかな世界、オシャレな服を着飾ることで自分もちょっと自信ついたり。


そんな話をしたら父と大喧嘩になった。

父は自分に教師になって欲しいという想いを込めて、この名前を付けてくれた。

だからそんな自分の行動を許せなかったのだろう。
父は本来無口で、話す言葉は耳を塞ぎたくなるような言葉が多かった。


拒絶するしかなかった。


そんなことから、「夢を見てはいけない」とどこか心に刻まれてしまった。


上京して挫折して帰ってきた自分は、目の前の求人誌からしか将来の仕事を選んではいけないという思考に陥ってしまった。




今回このお題を出すときに気付かなかったというかすっかり忘れていた。

そう。自分も夢なんてなかった。

夢って何?夢ってないとダメなの?



「結局お前は何がしたいの?」

そう散々言われてきた。その度に呆然と立ち尽くすしかなかった。自問自答しても答えなんて出なかった。周りは自分の好きなことで生きている。


いつしか自分はダメ人間のレッテルを貼られていた。






だけど東日本大震災が自分の生き方を大きく変えた。それは

自分の「夢」で生きている熱い人たちとの出逢いだった。





自分の実家は浪江町津島。ご存じの方は知っている「福島ダッシュ村」があったところだ。

毎年お盆に家族が集まり、庭で竹で使った流しそうめんをしたり、スイカを食べてはタネを飛ばし、みんなではしゃいで花火をした場所。

ここは家族の温かさが詰まっていた場所。


裏には山があって、タケノコも取れて。ここでフェスなんかもやっちゃって、人沢山呼んでワイワイ楽しもう。



震災がなかったらそんなことも考えてたかもしれない。


色々なご縁で、有名なキャンプ場をやられていた方とお会いすることができた。全国色々見て回り自分たちの最高の理想の場所を探し、そしてこの津島でキャンプ場を作ったということ。

残念ながら震災があって、場所を変えてキャンプ場を現在されているが、そんな方が見つけてくれた場所が自分の故郷、嬉しさを感じた。


母は13年前に他界して、誰も住んでいない場所にいる。

会いに行く度にゲートが断ち塞いでいる。


誰とでもすぐに仲良くなって、困っている人なんてほっとけない。
思い立ったらすぐ行動!

自分でも思う。

本当に面倒くさい、でも嫌いじゃない。


この性格は完全に母親譲りだ。


今の福島のことを知ったらどんな顔するのだろうか?





「福島の 自然を通じて 出逢うきっかけの場所を創る」
そんな想いでキャンプ場を作った。

けど、色々あって自分は離れた。

これは夢だったのだろうか?悔しさで行動しただけだったのだろうか? 

ただ一つ言えるのは原発が悔しかった。


放射線の影響で子どもたちが外で遊べない期間があった。そして保養という形で、自然の中で遊ぶ機会があった。

外で遊んで居ないから、自転車も乗れない。ちょっとした坂で転んで泣く。てかそんな遊びを今の子たちはしない。ゲームやネット回線を通じて二次元の世界で友達と遊ぶ。

最近よく可笑しなニュースを耳にする。子どもが人を簡単に殺めたり、虐めや、暴力。いつから世の中ってそんなことになってきたんだろう?


色々な人との出会い、会話は増えたけど果たして相手の気持ちを汲み取って、自分の価値観を本気で話す対話はあるのだろうか?

生きてきた環境が違うから価値観が違うのは当たり前。それをもってちゃんと違いを認め合って、話し合うこと。

ネット社会が大きく世の中を変えてしまっている。繋がりはあるけど、それは本当の繋がりなのだろうか?


世の中が便利になれば成程、人の大切なモノを失っている気がしてならない。




自然が自然と本当に大切なことを教えてくれる。


水道が止まって、ポリタンクを持って水を入れて運ぶ大変さ。トイレ一回流すのに18ℓがなくなる。どんだけ大変な思いをして持ってきたんだよと。

電気があるから、今の便利な生活をすることが出来る。スマホの充電にどれだけ心配してるのよ。

火があるから暖をとることが出来る。そして自然と人が集まり、自然と会話が生まれる。そして美味しい料理も作ることが出来る。

家があるから雨風を防いで安心して眠りにつける。


当たり前のことを改めて感謝をすることが出来る。



登山でも人とすれ違う時挨拶をする。それはやはり危険がすぐ側にあるから、「気をつけて」の祈りを込めながら。




遠い太古では人と人が助け合いながら生きていた。

そうでなければ人は生きていくことが出来なかったから。
だけどそこは自然と共存し、争いのない世界が広がっていた。





どうやったら争いのない世の中になるだろうか?

どうやったら人と人が心から信じ、助け合うことができるのだろうか?

どうやったらみんなが最高の笑顔になって、最高の笑顔のサイクルで世の中を明るくすることができるのだろうか?

どうやったらみんな夢を持てて、夢を叶えることができる世の中になるのだろうか?

どうやったらみんなが幸せになって過ごすことができるのだろうか?

どうやったら差別のない世の中になるのだろうか?

どうやったらみんなで手と手を繋ぎ仲良くできるのだろうか?

どうやったら...




こんなことを言っていたら「綺麗ごとだ」という言葉が聞こえてくるだろう。




有難い。




だから本気でまた自分はこの問いを、自分に出来る。



まずは目の前の一つ一つの問題。それを一つ一つ本気で乗り越えていく。


すると



自然と自然が教えてくれる。








まずはそんな拠点を作る。

期日は2021年9月10日(金)

残り788日。


通過点に過ぎないし、間に合わなかったら2022年9月10日(土)にするだけ。


失敗なんてない。諦めなければ夢は必ず叶う。


これが自分の人生。






自分との約束。


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