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 春休みに入り、息子の学習に対する向き合い方が変わってきたように感じています。春休みの課題は小学4年で学んだ内容の総復習プリント集です。この1年間、全く授業を受けていない息子にとってはなかなかのプレッシャーだと思います。

春休み初日、息子から「朝食後に課題をやるから1回だけ声をかけてほしい」と言われました。


 毎朝「今日は宿題どうする~?」と声を掛けます。すると「どうしよっかな~」とやる気のなさそうな返答が来ます。ここは安定のスルーです。そしてしばらくして「協力(算数のアドバイス)が必要だったら時間決めて教えてね」と言うと「●時からやるわ」と返答が来ます。


息子は計算ドリルのように同じことを繰り返しすることが苦手なため、算数は基本問題+応用のうち基本に無い問題に絞って進めています。1年前の息子は、わからないところにぶつかるとやる気が一気になくなり、鉛筆や消しゴムを投げて強制終了でした。しかし今の息子は、私の説明を聞きながら一つ一つ確実に進めながら、自分で決めた範囲を完了させます。


 今日、自宅に遊びに来ていた友達が、息子の勉強する様子を見て「なんで全部やらないの?」と聞いてきました。私は内心「息子が傷つくかも…フォローの言葉をかけるべきか?」と戸惑いました。しかし必死に口を閉じました。すると息子は「俺はこういうやり方なんだ」とサラッと友達に言っていました。


あんなに周りの目を気にしていたけれど、「人と一緒」にこだわらなくなってきたのかもしれません。むしろ、こだわってきたのは息子ではなく私だったと思います。そしてようやく私も「人と一緒」を求めなくなってきたように感じます。


息子は春休みに入る前から「休み中は毎日友達と遊ぶ!!」と張り切っていました。
有言実行?かのごとく、本当に連日友達と遊んでいます。サイクリングに行ったり、屋内プールに行ったり。中には同じクラスになったことのない子もいますが躊躇なく遊んでいます。完全不登校のころの夏休みも放課後登校のころの冬休みも同じように遊び、どんどん友人関係を広げてきました。


 「大勢のがやがやした音が苦手」「友達同士がふざけあってたたき合う姿を見ることが苦手」と話していた息子ですが…実際は、狭い部屋で7人でじゃれあって大騒ぎしていてもなんの苦痛もなさそうです。


また、友達同士の会話の中で「自分はケンカしたら1番弱いよ」「走るの苦手」「体に敏感さがある」など自分のウィークポイントをあっけらかんと友達に伝えている姿を見て「周りが先回りせず、何も言わない、何もしない」ことがいかに大切か、あらためて感じました。


 私自身の「みんなと一緒でいないと恥ずかしい」「弱みを見せたら苦しくなる」という意識が、私の心をざわつかせ、そうならないようにと手を出し口を出し…



 この1年「何も言わない、何もしない」…つまり「手出し口出ししない」ことの大切さと難しさを実感してきました。


 みんなと一緒でいないとどうなった?…何も変わらなかった。

 弱みを見せたらどうなった?…何も変わらなかった。



不登校・行きしぶりの子の親だけでなく、子育て中の親御さんの多くは「子どもが●●しないように」「●●にならないように」とわが子を案ずるからこそ、先を見据えて手出し口出ししていると思います。


しかし、子どもは親が子どもに抱く「●●な姿に不安」「●●できない姿にモヤモヤする」など「不快」な感情を見抜いていますよね。親が必死に隠そうとして平静を装ってももバレバレ。親子ですもんね。


例えば子どもが自分で「勉強しないこと」など「●●しないこと」を選択したときにイライラ・モヤモヤとするかしないか。


イラっと来たらそれは「恐れ」であり「束縛」であり「執着」…なのにその気持ちを押し殺しながらいることは、前回の記事でスクールカウンセラーさんにアドバイスされた「言いなり」にもなりかねないのかなと思います。


しかし、子どもがどんな姿であれ、子どもをしっかり見たうえで自然体で放っておける。これこそが「言いなり」ではなく「母親的自我状態(受容的/養育的/やさしさ/愛)」なのかと思います。※TA(交流分析)

 

これからも自分の感情や言動が「言いなり」なのか「母親的自我状態(受容的/養育的/やさしさ/愛)」なのか自分なりの軸をもって子供と接していきたいな、と思っています。

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