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焦燥の赤い糸②

目覚めの朝に

次の日も相変わらず、糸は見えている。この糸は触ろうと思えば触れるようだが、普段生活する上では特に支障はないらしく、X線のように体を突き抜けていく。複雑に絡まりあいながらも美しく伸びている糸を見るのは、決してハッピーエンドでは終わらない人間模様を映し出しているようでもあった。
 
 楽しそうに早朝の慌ただしい街を歩く、高校生のカップルの指に繋がっている糸はそれぞれ別の方向に伸びていて、女子高生の方は信号待ちをしている隣の若い男性に繋がっているし、男子高校生の方は長くどこかに向かっている。一見すると穏やかに歩く幸せそうな子供連れの夫婦の赤い糸は繋がっておらず、これから起こる悲しい結末が私には想像できてしまった。そして、途中で切れてしまった糸をぶら下げている男女も一定数いて、人間の人生は結婚が全てではないということを物語っているかのようでもある。

 悪趣味に手を染めているようでもあるが、実際、見えてしまっているのだから仕方ないよねと、楽しんでいる自分もいる。社内で噂になっている上司と若い社員のお互いに切れている赤い糸を見るたびに、上司の奥さんを気の毒に思い、かわいいと社内でも評判のあの子はこんなにも男性にちやほやされているのにもかかわらず、一生結婚できない未来になっているのかと心の底でほくそ笑んでしまっていた。
 この糸は見える当事者の性格も悪くする効果があるらしい。少なくとも私は今まで人間観察をすることはなかったし、人様の心を覗き見て嘲笑ったり見下したりすることもなかった。誰かの未来や、奥底に隠れている思惑のようなもが見えるようになるだけで、こんなにも歪んでしまうものなのか。
 
 自分にがっかりしながら仕事を終えて、私はあるカフェで待ち合わせをしていたのだった。心地よいチルミュージックがかかるウッドベージュを基調にした落ち着いた雰囲気のお店は、やや場違いな感じもしていたが、ここは私の大学の後輩が経営する店で、待ち合わせにしやすいからという完全な相手の都合だった。客の出入りも比較的多く、ネットを見ても高評価で人気のようだ。彼女も忙しそうに動き回っている。
 カウベルが鳴りまた客が来たのかとコーヒーを飲みながら思っていると、知人に連れられて二人の男性が私の向かいの席に座る。2人用の席が空いているのに広い席に通されたのはそのせいかと思っていると、知人は今までにない笑顔で話し始める。
 
 「私、この度こちらの方と結婚することになりまして、その報告だったんです」
 「え、そうなの?ずっと一人身でいるかと思ってたのに」
 
 結婚の社交辞令なんて、慣れたものだった。あぁ、かわいがっていた後輩にさえ私は先を越されてしまうのか。小指についた二人の糸はしっかりと双方で繋がっている。ここまでちぎれたもの同士やそれぞれ違った方向に糸を伸ばしながら、この人が運命だと信じて疑わずに必死になっている者たちを見ても来た私は、社交辞令とは別の、本心だと確信できるような祝辞の気持ちが沸き上がる。

 「おめでとう。本当に」
 「ありがとうございます。それで、私どうしても彼のお友だちを紹介したくて」
 「初めまして、よろしくお願いします」

 スレンダーで硬派、仕事帰りと思われるネイビーのスーツと少し通るような声は、上品さがにじみ出ている。古臭い昭和のドラマに出てくるような男性だと言われてしまえばそれまでだが、それに準ずるような落ち着きが心地よい。住宅会社の営業職らしく、紳士的な話し方と内容に話は弾んでいく。紹介というくらいだから、お付き合いを前提に、ということだろう。年齢なりに交際した男性はいたし、その人を彼女に紹介したこともある。だからこそ、この人を連れてきたのだ。後輩の事だから、それほどおかしな相手を紹介するとは思えない。
 穏やかな笑顔から、後輩の婚約者に見せる少年のような表情。なぜこの人がずっと独身でいるのか理解ができず、もはや本性に問題があるのではと警戒さえしてしまうほどだった。それでも彼に引き込まれてしまうのは、培ってきた話術や元からの素質からか、驚くほど私は彼に引き込まれていく。
 
 連絡先を交換し、私たちは店を出た。店主自ら閉店時間を忘れていて、すっかり時間が遅くなってしまっていたのだ。店員が気を利かせてくれ、看板はCLOSEにしてくれていたのだが。この時間になると先日まで肌寒かった空気も、今日は気持ちよいほどの温度の風が吹いている。
 久しぶりに良い日だった。なんとなくうつ向きがちになる毎日になっていたが、誰かと話して穏やかに過ごせるのが、これほどまでに充実した1日にしてくれるとは。お互い別々に向いた彼との糸は、短くなることはなかったし、それどころかそれぞれどこまでも長く続いていた。あれほどまでに引き込まれる人は今までにいなかった。
 だけど、好きになってはいけないのだ。これまで見てきた中でも、近くにいれば結婚もしてなくたって糸は短くなっていた。だけどそうではないなら、私の相手ではないのだ。タクシーの中で自分の糸に触れる。強く触れてしまえば、相手に振動が響いてしまいそうで。
 
 そんなことはお構いなしに、次の日の昼、彼は連絡を寄越してきた。登録していたラインアカウントの、着信の通知に私は文字通り飛び上がる。よくあるお礼の連絡ではあったものの、私は即座に返事を送る。定型文のような、よくあるお礼の連絡。昨日会った後輩の婚約者の友人。たったそれだけ。これだけ長く人とのかかわりをこなしていれば、何のことはないメッセージでしかない。だけどなぜか私は、この時ふわふわと踊るような感覚に包まれていた。
 スマホを持つ手が震わせながらも、私もありきたりなお礼の連絡を送る。一目ぼれなんて、若い子がするものだと思っていたのに。

 楽しい。楽しい。

 きっと、私の昼休憩が終わるころ、彼の休憩も終わるのかもしれない。きっと私はその時不安になる。今までしてきた恋だって、こうして自分勝手な思いで不安になってきた。これはその自分勝手な思いと同じもの。この赤い糸は何かの間違いで、本当はこの指に巡り巡って繋がっていて欲しい。



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