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白黒つけなくてもよいのでは?

最近、白か黒か、良いか悪いかなど、どちらかに決めようとしすぎていないかと思うことがあります。
物事(特に人の悩み事など)によっては、はっきりしない(できない)こともあると思うので、僕自身は明確に答えを出すような言い方はあまりしないのですが、そのような姿勢の僕は、時に相手をイラつかせたりするようで「あ~、はっきりどっちか言えよと思われてる😔」と心の中で焦りを感じることもあります。

常に正解や白黒つけるようなことを求められることが過剰になると、決めつけや勝ち負けにさらされることが苦手(空回りしてしまう)な僕としては、少し酸素不足になります。事柄によっては結論づけないといけないことがあることはもちろん理解していますが「曖昧さ」や「グレー」ということも大切な時があるようにも思います。
実際の生活でも、色々な人と関わっていると、正解や間違えないことに意識が行ってる人も少なくないように感じますが、時代や環境で正解は変わる問題もあると思うので、決めつけないような余裕も必要ではないでしょうか。

そのようにはっきりさせたいという方の場合、いわゆる「不確実な状況」を保持することが難しいようですね。はっきりしない不確実な状況は宙ぶらりんな感じで、不安を抱えることとなりますので、「早く解決してこの不安をスッキリしたい!」という気持ちなんだろうなぁと理解はしているつもりです。ただ、なんでも白黒はっきりつけようとすると、自分にも逃げ場がなくなり、気持ちに余裕がなくならないのかなぁと密かに思っています。

また、僕のような悩みを聴くような仕事に目を移すと、仕事的に明確な答えが出にくい(そもそもない)ですし、聴く側が固定化した価値観や答えを求めようとしすぎることは話す側に窮屈な空間と感じさせてしまい、安心して話すことのできない雰囲気を作ってしまいます。
無理矢理、白黒つけようとするよりも一緒に不確実な状況を漂っていることも時には必要であり、そのためにも、聴く側が心にゆとりを持つことを意識することも大切なように思います。

・・と色々書きましたが、僕は旅行やお出かけをするときは電車の時間や行くお店、行程なども割ときちんと決める方なので、不確実な状況を漂っていない感じもあります😅

とにもかくにも、心穏やかに平和に暮らしたいですね。

かず

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