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「ザ・ピーナッツバター・ファルコン」の考察

アマゾンプライムで無料視聴できる「ザ・ピーナッツバター・ファルコン」を鑑賞したので、その感想を書き留めておこうと思います。
以下ネタバレを含みますので、視聴後に読んでいただけると楽しんでいただけると思います。

物語の主人公はザックとタイラーの二人です。ザックはダウン症で施設で暮らしていますが、大好きなプロレスラーに弟子入りするために施設を抜け出します。その道中で出会ったのが、兄も仕事も無くし、孤独な漁師タイラーでした。

4つの観点から考察する、タイラーがザックを受け入れた理由とは?

初めて出会った二人が、急速にお互いに惹かれていったのはどうしてでしょうか。ザックは旅を続けるうえで当然、タイラーが必要でした。しかしタイラーがザックを受け入れた理由が気になるところだと思います。

その1、知ってしまったからには見て見ぬ振りができない。


ボートでダンカンから逃げた辺りでは、タイラーはザックを受け入れたわけではありませんでした。付いてくるのも「途中までだ」と言っていますし、桟橋についたあたりで一度別れているからです。その後海に無理やり飛ばされたザックをとっさに助けます。この前のシーンでザックが泳げない上に海が怖いと言っていたのを聞いていたからです。その事を知ってしまったからには助けなければいけない、と思ってしまうタイラーの人柄が表れているシーンだと思います。

その2、映画のコンセプトは「誰にでも挑戦するチャンスを。」

その後フロリダまでの道中でザックをプロレス教室に送る決心をしたのは、「夢を応援する」というこの映画のコンセプトに従っているのだと思います。誰だって夢に挑戦するチャンスが与えられるべき、というのがこの映画のテーマになっています。漁師としての職も戻る場所も失って逃げるようにフロリダに向かうタイラーにとって、挑戦するザックを送り届けることが自分の旅に意味を持たせてくれると感じたのかもしれません。ここで一つ確認しておいてほしいのは、ザックが「僕はダウン症候群だ」と話すのはこの後のシーンになります。タイラーがザックの夢を応援すると決めたのは、「ザックがダウン症だから」という理由ではなかったことは、この映画を見るうえで非常に重要なポイントだと思います。

その3、似た境遇にいる2人

その後ガソリンスタンドでピーナッツバターを買い、ザックがエレノアに追われていることを知ります。ダンカンに追われている自分と似た境遇にさらにタイラーとザックの距離は縮まっていくのです。

その4、兄マークとの思い出

タイラーはザックに旅をする上での新しいルールを決めました。俺に遅れない。指揮は俺が執る。荷物は交代です。そしてこのルールを何度も確認しながら二人は歩いていきます。これはザックがダウン症と知って、理解しやすい様な3つのルールという形をとったとも考えられますが、私はもっと別な理由があると思います。タイラーは途中で兄とキャンプをした話をしていました。スズメバチの巣をぶっ飛ばした話です。タイラーと兄マークは幼いころ野山を歩き回ってよく遊んだのでしょう。兄を慕っていたタイラーはマークの後ろを付いて回ったのだと思います。そして二人のルールは、「マークに遅れない。指揮はマークが執る。荷物は交代。」つまりタイラーにとってこの旅は、兄マークとの思い出を再現するような旅なのです。ただ一つ違うのはタイラーがマークの位置に居る事。そしてタイラーの位置にいるのはザックです。兄を失って職も目標も無くなってしまったタイラーは、兄マークの立場からザックを応援することで、自分自身にも頑張れよと言っているのです。それは、亡くなった兄の赤いキャップをタイラーが被っていることからも伺えるかもしれません。

「僕の誕生日の願い事は全部、君にあげるよ」

森の奥でジャスパーに洗礼を受けたシーンです。このセリフの直後、タイラーは涙を流し、ザックはそれを慰めます。このあたり、少し私には解り辛かったので、解説を挟んでおきます。
先ず海外の風習として、誕生日ケーキのろうそくを吹き消す際にお願い事をするのが定番です。これは予備知識として必要になります。
ザックが湖にて洗礼を受けるシーンがありますが、全身を水に沈める洗礼の方法は「浸礼」と言って東方正教会や一部のカトリック教会の方式です。そしてカトリック教会の「告解」という儀式は、洗礼の後に懺悔をして、これまでの自分の罪における神の赦しと和解を得る行為だそうです。
今回ジャスパーが行ったのがこの告解だったと解釈するならば、画面には映っていませんでしたが、タイラーもザックと同じように洗礼を受け、洗礼の後に懺悔をしたのでしょう。タイラーにとって罪の告白とは、居眠り運転で兄を死なせてしまったことです。これを受けての筏のシーンに繋がり、ザックは自分の誕生日のお願いを、タイラーが兄を弔う為に使っていいよと言ってあげている訳です。
突然洗礼のシーンが入って日本人は少し混乱しそうになりますが、このシーンはタイラーが過去のしがらみから抜け出すために必要なシーンだということです。

2人の特別な握手

ザックの提案で決まった2人にとっての特別な握手。決まったパターンでタッチや握手を織り交ぜる挨拶は、海外の子供にとっては誰しも一度は通る定番の文化です。私も2つ上の兄とやっていた頃を思い出して懐かしくなりました。
さて、とても気になるのはラストシーン付近。タイラーがダンカンに頭を殴られ、ザックは病院の待合で一人で誕生日ケーキを持っています。そしてお願い事をしながら蠟燭を吹き消します。その次のシーンで、タイラーとザックが特別な握手をしていますね。しかしこれまでとはパターンが違います。
2人が上裸で、周りが草原なことから、1:03:00~あたりの海で遊んだシーンの直後と考えています。この直前に二人の特別な握手はエレノアに見られているので、新しいものを2人だけ考えているのでしょうか。
握手の最後にはハグも交えます。タイラーが「背中をポンポンするか?」と聞くとザックは「このまま」と答えます。
冒頭0:08:00のシーンを見直すと、数少ないマークの回想シーンです。ここではマークとタイラーがハグをして、背中をぽんぽんしてます。先ほど書いたように、タイラーにとってこの旅は兄マークとの思い出を巡る旅でしたが、次第にザック本人との繋がりの方が重要になってきます。背中ポンポンの有無は、マークとタイラーではなく、タイラーとザックの為の特別な握手であることの強調です。

ラストシーンの考察

1:30:06からのラストシーンです。運転席にはエレノア、助手席には眠っていたザックが乗っています。エレノアがフロリダに入ったことを告げると、ザックが振り返り後部座席で横になっていたタイラーと特別な握手を交わします。少し簡略化されていますが新しい方の握手ですね。しかし最後に手をがっちり握るところがありません。
1:30:24と1:30:54のシーンが同じ構図になっていますので確認してみてください。私の解釈では、タイラーは助からなかったと考えています。
新しく考えた特別な握手は一度も使うタイミング無く、タイラーを失ってしまいました。このシーン、ザックは一人で特別な握手をしているので、タッチは出来ますが最後の手を握り合うところと、その後のハグは出来ません。

病院の待合でザックは何を願ったのか。

1:28:56~病院の待合で座るザック。エレノアが先に医者から助からなかったことを聞いたのでしょう。その表情を見てザックもすべてを悟ります。
待合の個室で独りケーキの蝋燭を吹き消すザックは、いったい何を願ったのでしょうか。
「僕の誕生日の願い事は全部、君にあげるよ」
これは、いつまでもタイラーのことを忘れない。そんなザックの言葉だったようにも感じられます。

「僕のことも知ってほしい。」

0:27:36のザックのセリフです。ダウン症という遺伝子疾患を扱う本作がダウン症の方の理解を世に広めるきっかけになることを期待しています。
そして、この映画が高く評価される理由はもう一つあります。
ザック役を演じたのはザック・ゴッツァーゲン。ダウン症の若手俳優です。
共同監督・脚本を手掛けたタイラー・ニルソンとマイケル・シュウォーツが、障害を持つ人たちのためのキャンプに参加した際にザック・ゴッツァーゲンと知り合い、ゴッツァーゲンが映画俳優になりたいと語ったことが、同作を作るきっかけとなったそうです。
先にも書いた通り、この映画のコンセプトとは「誰にでも挑戦できるチャンスを。」この映画自体が、ゴッツァーゲンが俳優を目指すためのチャンスだったのです。

総評

ダウン症の主人公の冒険物語を、重くなりすぎず、かといって軽んじられない描き方で描いていると思います。解釈の幅もあり、ストーリーも高く評価しました。

☆3.8/5.0


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