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エッセイ:日露戦争開戦のメカニズム

 皆さん歴活してますか?
歴史探偵Qです。

今回は、NHKの番組「歴史探偵」で
放送された「日露戦争開戦のメカニズム」を
みて感じたことをnoteに書き起こしたい
と思います、よろしくお願いします。

■番組のあらすじ 
 通説の日露戦争は清(中国)を巡り
険悪な国家間の対立の後に日露戦争が
起きたとなっています。
私もそう思っていましたが、番組では
別の視点から日露戦争を見ていきました。

●ロシアとは友好的だった?
 江戸時代末期、ロシアは蝦夷地に
ちょっかいを出したり、対馬の港を占拠
したりあまり友好的な行動を見られなかった
のですが…
変化が起きたのは経済面として「函館」が
クローズアップされます。

北海道の漁師がロシア領である樺太や千島列島
に進出してニシンやサケを獲りに行きロシア人と
交流し経済的にロシアと交流しました。

また、明治天皇がロシア皇帝を親友と
言った記録が残っているくらい
親ロシア派だったこともあり
ロシアと皇室的交流、政治的交流が生まれ、
函館にはロシア大使館や聖ロシア正教会が生まれ
東京にも教会ができるほどでした。

●一触触発?「大津事件」
 皆さんは大津事件は覚えていますか?
1891年(明治24年)に日本を訪問中の
ロシア帝国皇太子:ニコライ2世が滋賀県警の
津田三蔵に突然切りつけられ負傷した大事件です。

事件については詳しく述べませんが…
簡単にいえば国際問題であり、いつロシアが
日本を攻めてきてもおかしくない状況でした。
このタイミングで「日露戦争」が起きて
いてもおかしくない場面でしたが…

戦争は起きませんでした。
ではなぜ戦争は起きなかったのか?

①明治天皇の迅速な行動
 明治天皇は事件が起きた翌日には
ニコライ2世がいる京都へ向かい、
お見舞いへ向かっていたり、
ニコライ2世がロシアへ帰る前に
晩餐会を行ったりするなど、
関係改善に尽力しました。

②国民からの電報
 事件を知った多くの国民から
ニコライ2世へお見舞いの電報が
数多く届いたそうです。

以上2点があり、またニコライ2世も
謝罪などを受け取り戦争には
発展しませんでした。

ではなぜ13年後に日露戦争が
起こってしまうのか?

●日清戦争の勝利
 日露戦争の前に日本は清と戦争を行い
勝利し朝鮮や台湾、遼東半島を手に入れますが
清へ進出する日本へ危機感を抱いたロシアが
ドイツ・フランスを誘って日本へ放棄するよう
言ってきた「三国干渉」を経て遼東半島を
返還しました。

ここ日露の認識のすれ違いが生まれます。 

日本はアジアの宗主国になった。
欧米列強に並び、もう我々は舐められた
態度は許さない。

ロシアの認識はなんか日本がちょこちょこ
周りを彷徨いてるな…うるさいハエだな。
※これは私の想像です。

●誰が戦争の火を煽ったのか?
 三国干渉により遼東半島を返還した日本ですが
なんとロシアが遼東半島を実質的に支配します。
日本にとったら欧米列強と戦争したくないけど…
と徐々に戦争への火種が燻ってきます。
ここで、マスメディアが煽ってきます。
「臥薪嘗胆」という故事を用いて現在の日本の
状況を表したり、親ロシアの人間を徐々に
中央から排除する報道をしてロシアとの対立を
報道するなど実害も生まれてきました。

ただ日本の政治の中枢にいた人間たちもロシアと
戦争をしたくないので日英同盟というイギリスの
力を借りてロシアを牽制しましたが…
ロシアは意に介せず日本を挑発し続けました。

●国民を動かしたら…
 ロシアとの戦争回避を模索し、政府内でも
伊藤博文ら非戦争派と山縣有朋ら開戦派が
論争を続けてきましたが…
戦争への緊張感は高まっていきました。

その緊張感がピークになる事件が起きます。
それは、東京帝国大学の教授たちが政府に
建白書を出す「七博士建白事件」がおき、
その内容が新聞に掲載されると国民の世論も
一気にロシアとの戦争開戦へと
向かっていきました。

■まとめ 
 今回、日露戦争開戦のメカニズムの番組を見て
本当に日本人って変わらないなと思いました。

・ロシアの力を把握せず、結局現場に丸投げ。
 政府や軍部の上層部の人間はあまりロシアの
実力を把握できずにいたとのことでした。
日露戦争は東郷平八郎、秋山兄弟、乃木希典など
評価には賛否がありますが、現場の人間が
対応したからなんとか形になったものの…
現場で優秀な人間が死んでいったら…
大東亜戦争と同じ悲惨な日本になったでしょう。

・発信力がある人に流される日本人
 日本だけではないですが「マーケティング」や
「インフルエンサー」が何事にも
重要視されています。
もちろん私もその経済活動の歯車の一つだと
思いますが上記にもありました
「七博士建白事件」の教授たちは
現在で言う「インフルエンサー」の役割を
果たしていたそうです。
それもそのはず、当時の教授たちは
「知の巨人」と言うことで
国民の信頼も厚く「あの人が言ったことだから」
と言う雰囲気だったそうです。

今もそうですが、あの人が言ったから正しい。
ニュースの内容を見ずに、批判の声が多いから
自分も批判する。そんな人が多いと私は最近の
SNSを見て思っています。
それも狭い世界だと思いますが。(笑)

この番組を見て、戦争はしたくないと思う
だけで終わるのではなく、どうすれば戦争を
回避できるのか、自分自身も考えなければ
ならないと歴史から学ばなければと思いました。


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