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世界の国家解説シリーズ パキスタン#2 ~歴史とインドとの関係②~

「歴史の悪魔チャンネル」へようこそ!

今回は「世界の国家解説シリーズ パキスタン」の第3回です。

↓ 前の記事をまだ見ていない方は下記のリンクに行ってください。 

初回:https://note.com/rekishinoakuma/n/n6b8ee0427c29

第2回:https://note.com/rekishinoakuma/n/n8d4e4883b1cb


 前回はイギリスの支配下であったインドでムスリムの独立国家構想が成立したという所まで話しましたので今回はインド・パキスタンの独立から話していきましょう。

Ideal印パ (2)

※図1:全インド=ムスリム連盟の「分離独立」構想とインド国民会議派の「統一インド」構想


 全インド=ムスリム連盟が主張するヒンドゥー教徒・ムスリムでそれぞれ独立国家を建設する「パキスタン国家」構想とインド国民会議派が主張するヒンドゥー教徒・ムスリムが共存する「統一インド」構想が衝突することとなりました。国民会議派はインドの統一に執着していましたが、ヒンドゥー教徒とムスリムの間で対立の激化、連盟と共同で行政・立法を行うことによる紛争の発生、パキスタン国家が長続きせずにすぐにインドに編入されるだろうという予測などの事情によりパキスタン国家の建設を承認することとなりました。

独立印パ

1947年に独立を果たしたインドとパキスタン(インドの東側もパキスタン領)


 こうして1947年にヒンドゥー教徒が多数を占めるインドとムスリムが多数を占めるパキスタンがそれぞれイギリスから分離独立を果たしました。イギリスのインド支配は終わりましたが、それと同時にヒンドゥー教とムスリムの対立が最大の問題となりました。

 分離独立をした際インドには少数派のムスリムが、パキスタンには少数派のヒンドゥー教徒がそれぞれ居住していましたが、ヒンドゥー教徒はインドへムスリムはパキスタンへと移動するようになり、移動した人数も約1000万人と大規模な住民交換となりました。そのため移動によって大混乱が生じて大規模な略奪・殺戮が発生してヒンドゥー教徒とムスリムの間の溝が深まってしまいました。

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濃茶: カシミール地方 インド・パキスタンの対立源と化している。

 

またインド・パキスタンは領土問題を抱えていました。それはカシミール地方です。カシミール地方は元々「ジャンム=カシミール藩王国」と呼ばれる国がありましたが、インド・パキスタンへの帰属はまだ決まっていませんでした。カシミール地方はムスリム人口が多かったためパキスタンカシミール地方はパキスタンの領土であるべきだと主張する一方、ヒンドゥー教徒とムスリムの共存を掲げるインドあえてムスリムの多いカシミール地方を編入することで政教分離国家であることをアピールして領有を主張するなど両国にとって最大の焦点となっていました。

カシミール地方停戦ライン

停戦時に提案された勢力圏 
中国の実効支配地域があるが、第一次印パ戦争終結時はインドの実効支配地域であった


 こうしてカシミール地方を巡ってパキスタンの民兵がカシミール地方に侵攻しカシミールの藩王がインドへの介入を求めたことにより1947年に第一次印パ戦争が勃発しました。第一次印パ戦争は1949年に国際連合の調停によって停戦ラインが引かれカシミール地方は印パ両国で分割されることになりましたが、両国は現在も依然としてカシミール地方全土の領有を主張しております。

 また1965年にはカシミール地方でパキスタン側のゲリラ兵が越境したのをインド軍が攻撃したことによって第二次印パ戦争が勃発しました。印パ両国が互いの領土に侵攻する激戦となりましたが、当時のソビエト連邦(現: ロシア)の仲介のもと1966年に『タシケント宣言』を採択することで停戦しました。

 しかし、『タシケント宣言』はあくまで印パ両国の妥協策であり印パ間の恒久的な和平措置が講じられなかったためカシミール問題は未解決のままとなりました。


 次回もパキスタンの歴史・インドとの関係の続編です。長くなりますが次回も読んで頂ければ幸いです。また次回でお会いしましょう!

歴史の悪魔チャンネルTwitter: https://twitter.com/rekishinoakuma


【参考資料】

◎山崎利男「1947年インド独立法の研究 (1)」『東洋文化研究所紀要』1986 100:1-51 

◎堀本武功「インドの戦争-印パ戦争と対中国境戦争-」 『平成 27 年度 戦争史研究国際フォーラム報告書』http://www.nids.mod.go.jp/event/proceedings/forum/pdf/2015/07.pdf

◎日本大百科全書

※『日本大百科全書』は JapanKnowledge 及び コトバンク でご覧になれます。

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