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素人でもわかる永世中立国#7 ~軍隊なき変わり種 コスタリカ~

「歴史の悪魔チャンネル」へようこそ!

今回はシリーズ「素人でもわかる永世中立国」の第7回でコスタリカの中立政策の続きについて解説していきましょう。

【前回の記事】

第1回: https://note.com/rekishinoakuma/n/n9ef917c745ed

第2回: https://note.com/rekishinoakuma/n/nbf75b7523edc

第3回: https://note.com/rekishinoakuma/n/n06fa584ad8b4

第4回: https://note.com/rekishinoakuma/n/n35ce83a18cf8

第5回: https://note.com/rekishinoakuma/n/n710cd5eeae63

第6回: https://note.com/rekishinoakuma/n/nefd06164c093


【コスタリカと中米紛争】

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中米紛争の対立構図
中央アメリカは米ソ冷戦の対立に巻き込まれコスタリカはアメリカ側についた

 1948年に軍隊を解体して以来非武装政策を取りつつ親米路線を取り続けてきたコスタリカでしたが、1979年コスタリカの非武装路線を脅かす事件が発生しました。それは隣国ニカラグアで発生したニカラグア革命です。

 ニカラグアでは1936年にアナスタシオ=ソモサ=ガルシアが大統領の座に就いて以来ソモサ一族が42年にわたって大統領として長期独裁政権を布き親米路線を取っていました。しかし、ニカラグア革命によってソモサ政権が打倒され左派であるサンディニスタ政権が誕生したのです。

 ニカラグア革命に対してコスタリカは革命当初はコスタリカへと侵攻を繰り返すソモサ政権を打倒するためにサンディニスタ政権を支援していましたが、サンディニスタ政権が社会主義宣言をした後は反共路線から反サンディニスタ側の姿勢を取りました。

 コスタリカ政府は反サンディニスタの姿勢からアメリカの支持の下で結成された反サンディニスタ組織「コントラ」の基地をニカラグアとの国境付近に設置することを容認し、サンディニスタ政権で内務副大臣・国防大臣を務めたのちに反サンディニスタに転じたエデン=パストーラへの間接的支援を行いましたが、当時の大統領であったモンへアメリカからの支援要請とパストーラへの支援に反対する国内世論の批判に挟まれてしまいました。

【名ばかりの中立宣言】

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コスタリカ大統領 モンへ(1925~2016)
コスタリカの永世中立を宣言したがその実態は親米路線であった

 そこでモンへはアメリカと国内世論の批判の板挟みの末に1983年中立宣言を発表しました。モンへの中立宣言の基本的特徴としては

①永世中立 ②積極的中立 ③非武装中立の3つが挙げられます。

①永世中立

 コスタリカを冷戦に参加しない第三者であるとすることでコスタリカは資本主義陣営の味方ではあるが社会主義陣営・第三世界の敵ではないと国際に対して宣言しモンへはアメリカかニカラグアかの二者択一を迫られた中でどちらにも属さないという結論に至ったのです。

②積極的中立

 コスタリカは戦争に対しては中立である一方で、イデオロギー上では中立ではないとすることで、イデオロギー上は民主主義国家でありアメリカに賛同しつつも共産主義諸国との戦争に巻き込まれることを回避しようとしました。

③非武装中立

 コスタリカが反軍国主義の民主主義国家であることを宣言することでコスタリカは平和主義国家であることを世界にアピールして中米の軍事衝突に巻き込まれることを回避しようとしたのです。

 軍隊を放棄したコスタリカが中立宣言を出すことは一見平和主義国家の平和のための宣言に見えるかもしれませんが、実際はニカラグア・エルサルバドルなどの中米諸国が紛争状態に陥る中で軍隊を持たないコスタリカが紛争に巻き込まれて国内が分裂しないようにする方法を模索していたという重大な背景があったのです。

 また、モンへは中立宣言を発表したものの実際は米軍によるコスタリカの高速道路の整備を承認したり、紛争後の債務支払いの援助をアメリカから受けるなど依然として親米路線は続けられてきました。 

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コスタリカ大統領 アリアス(1940~)
モンへの永世中立を活用して中米紛争の和平にこぎつけた
1987年には中米紛争の和平の功績が認められてノーベル平和賞を受賞した

 中米紛争では中立を宣言しておきながらも実際にはアメリカを支援するなどスイスなどの厳密な意味での永世中立国とは程遠い政策を行ってきたコスタリカですが、アメリカとの政治的・経済関係強化と平和主義の順守を求める世論との間で揺れ動き続け、さらに中米周辺の紛争の非当事国によって結成された「コンタドーラ=グループ」による和平調停も当事国の政府を入れなかったために失敗に終わってしまいました。

 それを受けてモンへの中立路線を引き継いだアリアス大統領は中米紛争の解決は中米諸国の力によって解決されるべきであると考え、国内世論に配慮して当時のアメリカ大統領レーガンコントラのコスタリカ国内での活動の承認の要請を拒否したのです。

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中米紛争の対立構図
国際紛争と化した紛争を終結させるには国外からの支援を打ち切るのが最適であった

 こうしてアメリカからのコスタリカへの援助は大幅に減少し、経済の立て直しには大きな打撃を与えましたが、当時アメリカ・ソ連・キューバが介入する国際紛争にまで発達し泥沼化した中米紛争を解決するには国外からの援助を断ち切ることで紛争当事者を資金不足で戦闘継続を困難にさせるのには効果的でした。

 さらにアリアスはレーガン政権の反対を押し切りエキスプラス和平合意を起草し1987年中米諸国の紛争当事国の首脳のみで調印に至りました。和平合意では相互に紛争当事者への支援を打ち切ることが確認され、中米諸国の手で中米紛争の終結に大きな一歩を踏み出しました。


 今回はコスタリカを襲った中米紛争という国家安全保障上の危機と中立宣言について取り上げましたが、次回はシリーズ『素人でもわかる永世中立国』の最終回まとめに入りたいと思います。


 それでは皆さん次回お会いしましょう!


【参考文献】

◎コスタリカ基礎データ|外務省
https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/costarica/data.html

◎小澤卓也「コスタリカの中立宣言をめぐる国際関係と国民意識 -モンヘ大統領の政策を中心に-」『ラテンアメリカ研究年報』1997 (17):29-53

◎山岡加奈子「コスタリカの非武装と対米関係 -小国の国際関係-」『アジ研ワールド・トレンド』2013 218:12-15

◎山岡加奈子「第2章 コスタリカ外交 –理念と現実-」『岐路に立つコスタリカ : 新自由主義か社会民主主義か』2014 :18-40

◎山岡加奈子「第3章 コスタリカをめぐる国際関係 米国との関係を中心に」『岐路に立つコスタリカ : 新自由主義か社会民主主義か』2014 :77-97

◎足立研幾「常備軍なきセキュリティ・ガヴァナンス -コスタリカの事例-」『立命館国際研究』2018 30 (4):23-43


 

 

 

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