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<小説>半夏生(はんげしょう)の男① ~前田慶次米沢日記~

   一
「おのれ、そこへなおれ!」
 織田信長が抜き身の刀を手に、足音を響かせて大股で近づいてくる。額に青筋を立て、両目には怒りの炎が燃えさかっている。
 背後では幽鬼のような顔の武士(もののふ)が、両手を広げて退路をふさいでいる。
「柴田どの」
 思わず声が出た。柴田勝家だった。
「よくも儂(わし)をたばかったな」
 声がするほうを見ると、前田利家が髪を逆立てて、槍を構えている。
「又三まで……、さほどまで俺が憎いか」
 又三とは加賀前田家の祖、前田利家のことである。慶次郎は刀で利家の胴を横なぐりに払ったが、手ごたえはなかった。
 信長が刀を大きく上段に振り上げた。白刃がきらめく。
 斬られる、と思ったとたんに目が覚めた。
 信長のほかに柴田勝家、前田利家まで出てきた。なんとも豪華な夢だ。
 しかし、会いたくもない相手ばかりである。
「死人に呼ばれる歳になったか」
 前田慶次郎利貞は床の中でつぶやいた。全身にじっとりと汗をかいている。
 慶次郎は苦い笑みを浮かべて首を振った。
 庵の中に日が差し込んでいる。すでに昼近い刻限のようだ。
 慶次郎は床を離れると手拭いを肩に掛け、寝巻のまま下駄をつっかけて庵の裏に回った。
 堂森善光寺の境内では、紫陽花が青や紫の花を競っている。
 月見平に登ると米沢の街並みを見はるかすことができる。
 六月下旬、梅雨入りといっても北国出羽ではさほど雨は多くない。薄曇りの空を燕がさかんに飛び、虫をつかまえてはせっせと軒下の巣へはこんでいる。
 杉林を抜けていくと小さな泉に出た。吾妻の峰から清冽な水がこんこんと湧き出している。
 慶次郎は手を伸ばして透き通った水をすくい、顔を洗った。水の冷たさが夢見の悪さを洗い流してくれるようだった。
 こんな朝は汲み置きの水ではなく、泉まで来て顔を洗うのが習慣になっている。ただしそれが続いているのが気に食わない。

 泉の岸辺に白い花が見えた。草丈は二尺ほどだが、白い穂のような花が可憐である。
 近づいて慶次郎は奇妙なことに気づいた。花に加え葉まで白く変色していて、そのせいで花が大きく見えたのだ。はじめは枯れているのかと思ったが、白い葉がみずみずしく広がっている。
 この花を一茎手折って庵に戻ると、下働きのきえが朝餉の支度をしていた。丸い顔に利発そうなくりっとした目をした娘で、今年十四になる。
「これは何という花だ」
 摘んだ花をきえに見せた。
「そりゃあ半夏生だべ」
「ほう、これがそうか」
 名前は知っていたが、実物を見るのは初めてだった。
 七十二候のひとつに「半夏生」がある。二十四節季の夏至の終わり頃のことで俳句の季語にもなっている。
 だが、そもそもは植物の名が由来である。半夏生はどくだみ科の多年草で、半化粧とも片白草とも書く。葉が白くなるのは枯れたせいではなく、虫を誘うために白変するのだという。
「んだけど夏にはまた青くなっぺ」
「ほんとうか?」
 慶次郎は目を輝かせて白い葉を改めて見た。無意識に白髪交じりの頭をなでたのは、うらやましかったせいかもしれない。
 その様子がおかしかったのか、きえはくすっと笑った。
「おぼこ(子供)みてえな目をしとる」
 けらけらと笑うきえの姿に、ふいに京の馴染みの茶屋で会った舞妓の姿が重なった。化粧っ気はまったくないが、きえの屈託のない笑顔はその舞妓によく似ていた。
 そのとき慶次郎は、茶屋で出されたほんのり甘い酢締めのたこを味わった。
 西国では半夏生のころ、たこを食べる習わしがある。元は田植えを終えた百姓が豊作を祈って神に捧げたことに由来するという。
 あいにく米沢ではたこを食べないようだが、それもやむをえない。食うだけで精一杯の北国の百姓には贅沢な風習である。
 この地に来てまだ日も浅いせいか、慶次郎にはいまひとつ季節感がつかめない。
「だが、ここは人の気がよい」
 北国の高い空を流れる筋雲を見て慶次郎は思う。
 半夏生は農家にとっては田植えや畑仕事を終える大事な節目の暦である。田植えの時期は殺気立っていた村が、田植えが終わりほっとした空気が流れているのがわかる。
 常に戦を意識して殺伐とした気分が漂う都に比べれば、貧しくとも長閑である。
 慶次郎は半夏生の一茎を床の間の一輪挿しに活けた。土壁とうぐいす色の一輪挿しに白い花が調和して美しかった。(つづく)


◆<戦国きっての傾奇者>と呼ばれた前田慶次が、晩年を過ごした米沢での暮らしぶりを描いた小説です。親友である上杉家家老の直江兼続との交流や、老いてなお盛んな慶次の活躍を綴っていきます。


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