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続・IntCalの話


前々回ご紹介したIntCal(イントカル)の続き。

IntCalのニュースを読んで改めて思ったのは、邪馬台国をはじめ古代史の謎を解くのは、科学者なのかもしれないということ。
いつまでもアップデートされない専門家の「錆びた常識」にメスを入れるのは、残念ながらテクノロジーの進歩による動かしがたい「事実」しかないのかもしれない。

それはさておき、intcal20にあてはめると、なんと、伊勢遺跡が卑弥呼の時代(3世紀後半)とぴったり合致するらしい。

今まで伊勢遺跡は2世紀末には衰退したとみられてきた。
「仮に伊勢遺跡が卑弥呼の出身地だったとしても、そこにいたのはせいぜい幼少期まで。女王に冊立されたのちは纏向の王宮に移った」
と、さも見てきたかのように言う学者もいた。

ところがこの”珍説”がintcal20によって見事に覆されたのである。
伊勢遺跡が3世紀後半まで存続していたなら、まさに卑弥呼が女王として統治していた時代とシンクロする。

何度も繰り返すが、円周上に建ち並んだ祭殿群を持ち、柵で囲まれた区画の中に王宮とみられる建物が建つという特殊な構造を持った遺跡は、伊勢遺跡の他には日本中どこを探しても見当たらない。

intcal20の登場は、伊勢遺跡が邪馬台国であることを科学的に裏付ける第一歩なのではないか!?

ただし、IntCalについては私自身もまだまだ勉強不足なのも事実。今後も地道に勉強を続けていきたいと思う。

そして今週も―

トロフィーをいただきました。

皆様ありがとうございます!


★見出しの写真は、みんなのフォトギャラリーから、 haluchobinさんの作品を使わせていただきました。ありがとうございます。


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