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小説で読む幕末史

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幕末はドラマよりドラマチックです。熱く生きた彼らが刻んだ歴史を楽しんでください。
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#幕末史

八・一八の政変(1863年)

八・一八の政変(1863年)

 孝明天皇は、不愉快だった。勝手に、自分の名前が使われて、勅許(命令書)が出されていたからだ。

 孝明天皇には、倒幕の意思は無かった。幕府には、国の方針に関わる重要な案件だけ、彼の同意を取るようにしてもらえれば、それで十分だったのだ。そもそも、何百年と、政治に関わっていない朝廷には、国政を担当する能力も無いのだ。

 それを、「尊王、尊王」と言って、一部の公家たちと共に、朝廷を操っている志士達。

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14代将軍徳川家茂の上洛(1863年)

14代将軍徳川家茂の上洛(1863年)

 幕府は追い詰められていた。和宮降嫁の時に約束していた、攘夷の決行を迫られていたからだ。

 この時、朝廷を操って攘夷決行の勅命を出させたのは、長州と土佐の藩士達である。特に、土佐勤王党のメンバーは、暗殺という手段によって、朝廷を支配していた。

 この攘夷決行の勅命に回答するため、14代将軍である徳川家茂が上洛する。実に、3代将軍徳川家光以来、230年ぶりのことである。

 余談だが、幕府は、将

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土佐勤王党(1861年)

土佐勤王党(1861年)

 時代は少し前後する。

 1861年、土佐勤王党が産声を上げる。江戸で遊学していた武市半平太(たけちはんぺいた)は、尊王攘夷思想に感銘、土佐藩を尊王攘夷思想で染め上げるために立ち上げたのだ。

 武市は、江戸3大剣術道場の1つで塾頭を務めるほどの腕を持つだけでなく、学問にも才能があった。「自分には、世の中を変える力がある」と信じていた。

 武市は、土佐に帰国すると、200名近い同志を集める。土

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