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安房守様、ようやく参りました

 ホームに降り立つと、真っ赤な生地に黒い「六文銭」があしらわれた幕が頭上を覆っていた。昨年11月半ばの南海高野線九度山駅(和歌山県九度山町)。雲一つない晴天に恵まれた晩秋の昼過ぎ、真田安房守昌幸と真田左衛門佐信繁(幸村)、嫡子大助の蟄居の地を、ようやく訪れることができた。

九度山駅を彩る「六文銭」の幕

 駅前の案内板に従って、町並みを眺めながら歩くこと約10分。お目当ての「九度山・真田ミュージアム」に入ると、いきなり甲冑姿の3人に出迎えられた。背後の赤い幟に白く抜かれた「智」「義」「忠」の文字も目を引く。3人それぞれの生き方を示す一字だ。

 ミュージアム開館は2016年とか。ちょうどNHK大河「真田丸」が放送された年。館内はまだ目新しく、丁寧で分かりやすい解説が添えられており、3人の生涯がよくわかる展示内容は2時間いてもまったく飽きなかった。真田ファンのいかんにかかわらず、おすすめスポットだ。

宝物館に展示されている真田昌幸公自作「木彫りの犬」

 ここから歩いてほどなく、「善名称院」(通称「真田庵」)へ。瓦に「六文銭」の紋が並ぶ土塀に沿って進み、門をくぐると、敷地内に小ぢんまりとした「宝物資料館」があった。入場料200円を箱に入れて中に入ると「幸村公使用の飯盒」「昌幸公自作の木彫の犬」など、関ヶ原の後、雌伏の時を過ごした地に伝わる遺物の数々が興味を誘った。

善名称院(真田庵)の境内にある真田昌幸公の墓

 そして、安房守昌幸の安住の地に。武田氏の滅亡後、北条、上杉、徳川、豊臣という巨大な勢力の狭間で、権謀術数を尽くして真田家の命脈を保ってきた名将の苦労と無念を思い、墓に手を合わせた。次男信繁、孫の大助は、最期をどのように見送ったのか。410年余前、3人が確かにこの地に暮らし、この地の景色を眺めていたことを思い、一つの「聖地」を訪れた喜びに包まれた。

真田昌幸公の墓がある「真田庵」

 歴史上の人物の足跡をてくてくと歩く「歴てく」の旅。その旅は、彼らの一生から生きていく知恵、ヒントをもらえる時間でもあります。

塀の瓦に並ぶ「六文銭」


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