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令和の言葉で読む 夏目漱石『こころ』上 先生と私

はじめに

この文章は、夏目漱石の『こころ』を令和の人々が読みやすいよう、現在の言葉に書き換えたものです。
高校生でも読みやすいような文章を意識しており、言語としての翻訳だけでなく、解釈の上での内容の調整も行っています。
節ごとのタイトルは、内容をイメージしやすいよう訳者が独自に付けています。
原文が気になる方は、ぜひ青空文庫などでご覧ください。
(原作は既に著作権が失効しています)

今回の翻訳を進める中で、本作が少しずつ謎を解明していくスタイルで複雑で繊細な人間模様を描いた作品あることを再確認し、令和の現在で人気のある作品と比べても全く遜色なく楽しめるものであると感じました。
(あえて言うなら非常に「今風」な作品だと思います)
原文で挫折してしまっていた人が、本作の魅力に触れるきっかけになれれば嬉しいです。

※ この文章は全て無料で読めます。最後まで読んで気に入ってくれたらご支援をいただけると励みになります。


第一節 鎌倉

私はその人をいつも「先生」と呼んでいた。そのため、ここでも単に「先生」とだけ書き、実名は明らかにしない。これは一般的な配慮というより、私にとってそちらが自然だからだ。その人のことを思い出すたび、「先生」と呼びたくなる。書き物をするときも、同じ感覚がある。親しげな愛称を使う気にはなれない。

先生との出会いは、鎌倉であった。私はその頃、若い学生だった。夏の休暇を活用して、海水浴を楽しむために友人の招待で鎌倉に出かけた。旅行の費用を工面するのに2、3日を費やした。しかし、鎌倉に到着して間もなく、招待した友人は、急に家から帰れという電報を受け取り、帰ることになった。電報は母親の病気を理由にしていたが、友人はそれには疑問を持っていた。親が望まぬ結婚を強いており、また自身もその状況に納得していなかった。実際に母が病気であれば帰るべきだと思い、結局友人は帰路についた。そうして私は一人、鎌倉に残された。

授業が始まるまでにまだ時間があり、しばらくの間、宿に留まることにした。友人は裕福な家庭の息子だったけれども、私たちの生活水準に大差はなかった。だから、一人になっても新しい宿を探す必要はなかった。

その宿は鎌倉のやや辺鄙な所にあり、洒落た店に行くには長い道を超えなければならず、車を使っても20銭かかった。しかし、個人の別荘は近くにたくさん建てられており、海辺は海水浴には大変便利な立地だった。

毎日泳ぎに行き、古い藁葺き屋根を抜けて海岸に下りると、たくさんの避暑客で賑わっていた。私は、知り合いがいない中で、砂浜に寝転んだり、波浪に身を任せて遊んだりするのが楽しかった。

そんな賑わいの中で、私は先生を見つけた。海岸近くに2軒の茶屋があり、偶然の機会によく行くようになっていた。ここの避暑客は掛茶屋に着替えを預け、休息を取り、身体を洗ったり、水着を洗濯したりしていた。私も海に入るたびに、そこに荷物を置くようにしていた。


第二節 先生

私がその掛茶屋で先生に出会ったとき、彼は海に入ろうとして着物を脱ぎかけていた。私はちょうど水から上がり、濡れた身体を風に晒していたのだ。周囲を見渡すと、黒い頭が無数に動いており、何もなければ彼を見落としていたかもしれない。しかし、先生が一人の西洋人と一緒だったために、目が留まった。

その西洋人の白い肌が、茶屋に入って来た瞬間に目を引いた。彼は浴衣を着てはいたが、床の間にすっぽりと脱ぎ捨て、海を見つめながら腕を組んで立っていた。彼が着ているのは、私たちが着用する猿股だけだった。それが私には不思議に映った。二日前、私は由井の浜まで行き、海に入る西洋人たちを見ながら、長い時間をそこで過ごしていた。彼らは皆、肌を露出せずに海へ入っていたが、ここにいるこの西洋人は、ほとんど何も身につけずに人前に立っていたからだ。

彼はすぐそばにしゃがんでいた日本人に何か言い、その日本人は手拭いを拾い上げて速やかに海に向かって歩き始めた。その人が先生だったのだ。

単なる好奇心から、私は二人が続けて海に向かって歩く後ろ姿を目で追い続けた。彼らはまっすぐに海に入り込み、浅瀬で賑わう多くの人たちを抜けて、比較的広い場所に着くと泳ぎ始めた。彼らが小さく見えるほど外海に向かって泳ぎ出し、やがて戻ってきた。掛茶屋に戻ると、先生は井戸水で身を洗う間もなく、身体を拭いて着替え、すぐにどこかへ去ってしまった。

彼らが去った後、私は相変わらず茶屋でタバコを吸いながら、席に座っていた。そのとき、私はぼんやりと先生のことを考え、彼の顔をどこかで見たような気がしたが、思い出せなかった。

私はもともと何もすることが無く、退屈を感じていた。そのため、翌日も先生が現れる時間に合わせて、わざわざ茶屋まで行ってみた。先生は一人で、麦わら帽子をかぶってやってきた。彼は眼鏡を外し台の上に置いた後、手ぬぐいで頭を包み、さっと浜辺を下りて行った。昨日のように賑やかな泳ぎ手の中を抜けて一人で泳ぎ出した先生の背後に追いつきたくなった私は、浅瀬を掻き分けて深みに至り、先生を目標として泳ぎ出した。しかしながら、先生は昨日と違う奇妙な方向へ泳ぎ出し、私は彼に追いつくことができなかった。陸に上がって掛茶屋に入ると、先生はすでに着替えを済ませて出ていってしまった。


第三節 海水浴

翌日も同じ時間に海岸へ行き、再び先生の顔を見た。その次の日も同じことを繰り返した。しかし、会話を交わしたり挨拶を交わす機会は二人の間にはなかった。加えて、先生の態度はどちらかといえば無愛想だった。決まった時間に他人とは関わりなく現れて、同じように関わりなく帰っていった。どんなに周囲が騒がしくても、彼が特に注目しているようには見えなかった。初めに一緒に来た西洋人はその後全く姿を見せなかった。先生はいつも一人だった。

ある日、先生がいつものように素早く水から上がり、脱ぎ捨てていた浴衣を着ようとしたとき、何かのわけで浴衣に砂がいっぱいついていた。先生はそれを払い落とすために、後ろを向いて浴衣を二、三度振った。すると、着物の下に置いてあった眼鏡が板の隙間から落ちた。先生は白い絣の上に兵児帯を締め終えてから、眼鏡が無くなったことに気付いたらしく、周囲を探し始めた。私はすぐ座布団の下に手を伸ばし、眼鏡を見つけて先生に手渡した。先生は礼を言って、それを私から受け取った。

次の日、私は先生の後を追って海に飛び込んだ。そして、先生が泳ぐ方向へ一緒に進んだ。およそ二丁ほど沖に出ると、先生は後ろを振り返って私に声をかけた。周りには私たち以外に浮かんでいる者はおらず、強い太陽の光が遠くまで海と山を照らしていた。私は自由で喜びに満ちた体を動かして海で跳ね回り、先生も手足を動かすのを止めて、仰向けになって波の上に横たわった。私も先生の真似をしてみた。青空の猛烈な色が、目にも痛く感じるほど強烈に私の顔に放たれた。「楽しいですね」と私は大声で言った。

しばらくして、起き上がった先生は「もう帰りませんか」と私を促した。私はもっと海で遊びたかったが、先生から誘われたので「はい、帰りましょう」と快く答え、二人で浜辺まで戻った。

その後私は先生と親しくなったが、まだ彼の住所を知らなかった。二日間の空きを経て、三日目の午後に先生と茶屋で会ったとき、先生は不意に「君はまだずっとここにいるつもりですか」と尋ねた。私はその問いに即答できるほど考えがまとまっていなかったので、「どうだかわかりません」と答えた。にやにや笑う先生の顔を見て、私は何となく落ち着かなくなった。「先生は?」と尋ねてしまった。これが私が先生という言葉を口に出した最初だった。

その晩、私は先生の住所を尋ねた。普通の旅館とは違う、広い寺の境内にある別荘のような場所だった。そこに住む人が先生の家族でないこともわかった。私が何度も「先生」と呼んだので、先生は苦笑いをした。私は年配の方に対してそう呼ぶのが癖だと説明した。それから私は先日の西洋人のことについて尋ねてみた。先生は彼の変わった性格やもう鎌倉にいないことなど、いろいろな話をした後、「日本人とあまり付き合わないのに、外国人と親しくなるなんて不思議だ」と話した。最後に、私はどこかで先生の顔を見たような気がするが、どうしても思い出せないと言った。若い私は、先生も私と同じような印象を持っているのではないかと密かに期待していたが、先生はしばらく考えた後で、「どうも君の顔に見覚えがないです。人違いじゃないですか?」と言い、私は何となく失望を感じた。


第四節 帰京

東京へは月末に戻った。先生が避暑地を後にしたのは、それよりずっと前だった。先生との別れ際に、「時々お宅を訪問しても良いか」と尋ねたところ、先生は単純に「はい、来てください」と答えただけだった。関係が深まったと感じていた私は、もう少し温かい言葉を期待していたので、この答えはがっかりさせられた。

私は度々このようなことで先生から失望させられ、彼が私の気持ちに気付いているのかどうか不明だった。ささいな失望を重ねながらも、ますます彼を知りたくなった。より一層彼に近付けば、いつかは望み通りのものが現れるだろうと信じていた。なぜ先生にだけこんな感情が湧くのかわからなかったが、先生が亡くなった今になり、ようやく理解できた。先生は最初から私を嫌っていたわけではなかった。遠ざけようとする不快な表現ではなく、自分には近付く価値がないと私に警告しようとしていた。先生は他人を軽蔑する前に、まず自己を軽蔑していたのだと感じる。

東京へ戻ると、二週間の空きがあり、その間に先生を訪問しようと計画していた。しかし、日が経つにつれ、鎌倉での情緒が薄れていった。都会の活動が心を支配し、路上で学生たちの顔を見るたび、新学期への期待と緊張を感じるようになった。しばらくの間、先生のことを忘れていた。

授業が始まって一か月程度経つと、再び心にゆとりが生まれ、何となく先生に会いたくなった。初めて先生の家を訪ねた時には留守だった。次の日曜日に再び訪ねたが、その日も先生は不在だった。鎌倉時代、先生が自ら「たいてい家にいる」と言っていたのを思い出し、不満を感じた。玄関先で少し立ち止まり、下女が内へ入っていくのを待った。そして、奥さんと思しき人が出てきた。美しい奥さんだった。

彼女は丁寧に、先生が毎月その日に雑司ヶ谷の墓地に花を手向けに行くと教えてくれた。「ちょうど今出たところで、まだ10分と経っていない」と奥さんは言ってくれた。私は挨拶をして家を出たが、少し歩いた後、気まぐれに雑司ヶ谷へ散歩に行くことにした。先生に会えるかもしれない好奇心が働いたからだ。すぐに向きを変えて、歩き始めた。


第五節 動揺

苗畠の手前にある左側から墓地へ入り、両側に植わっている楓の並ぶ広い道を奥へと進んだ。すると、先端にある茶店から先生らしき人物が突然出てきた。先生の眼鏡が日光に反射するまで近づいてから、突如「先生」と大きな声をかけた。先生は驚いて立ち止まり、私の顔をじっと見た。

「どうして……、どうして……」と先生は同じ言葉を二回繰り返した。その言葉が静かな昼下がりの中で異様な響きを持って反響した。私は唐突に、どう応えてよいのかわからなくなった。

「私の後を追ってきたのですか?どうして……」と先生は言った。その態度は落ち着いており、声も沈んでいたが、表情には何とも言えない曇りがあった。私は自分がどうしてここへ来たのかを先生に伝えた。

「妻は、誰の墓参りに行ったか伝えましたか?」と先生は尋ねた。

「いえ、そういうことは何も言われませんでした」と答えた。

「そうですか。そりゃそうでしょうね。はじめて会う君にそんなこと言う必要もありませんから」と先生は納得したかのように言ったが、私にはその意味がさっぱりわからなかった。

二人で通りへと出るため、墓の間を歩いた。依撒伯拉の墓だの、神僕ロギンの墓だのといった名前が刻まれ、一切衆生悉有仏生と書かれた塔婆が建っていた。また、全権公使の墓もあった。私は安得烈と彫られた小さな墓の前で、「これはどう読むんですか」と先生に尋ねた。

「たぶんアンドレとでも読ませたいのでしょう」と先生は苦笑しながら答えた。先生は、これらの様々な墓標に私が感じる滑稽さや皮肉をあまり共感していないようだった。丸い墓石や細長い石碑を指して私がかれこれと言いたがるのを静かに聞いていたが、最後には「君は死という事実をまだ真剣に考えたことがないのですね」と言った。私は黙った。先生もそれっきり何も言わなくなった。

墓地の境界に大きな銀杏が空を覆うようにそびえていた。その下を通るとき、先生は高い梢を見上げて、「もう少しすると、綺麗ですよ。この木が黄葉して、地面は金色の落ち葉で埋まります」と言った。先生は毎月必ずこの木の下を通っていた。新しい墓地を作る作業をしている人が、鍬を止めて私たちを見ていた。私たちは左へ曲がってすぐ道路へ出た。

目的もなくただ先生に付いて歩いた。先生はいつもより静かだったが、私はそれほど不自由を感じずに彼と歩き続けた。

「すぐお宅に戻られるんですか?」と尋ねると、「ええ、他に寄るところもないので」と先生は答えた。再び黙り込んで、二人は南の方向へ坂を下った。

「先生のお宅の墓地はあそこにあるんですか?」と私がまた尋ねた。
「いいえ」と先生は答えた。
「どなたの墓ですか?ご親族の?」
「いいえ」

先生はそれ以上何も言わなかった。私もその話題はやめにした。そうして少し歩くと、不意に先生が振り返って、「あそこには、私の友人の墓があります」と言い、毎月花を手向けに行くと説明した。その日、先生はそれ以上何も語らなかった。


第六節 墓参り

その後、私は時々先生の家を訪れるようになった。訪問するたびに先生はいつも家にいた。先生に会う回数が増えるにつれ、私はより頻繁に先生の玄関を訪れるようになったが、先生の態度は最初の挨拶を交わした時から変わりがなく、一貫して静かだった。時には静かすぎて少し寂しいほどだった。私は初めから先生には近づきにくい何かがあると感じていたが、それでも強く引き寄せられる気持ちがあった。このような感じを持つのはおそらく私だけかもしれないが、その直感が後に事実として立証されたので、若さを笑われても、自分の直感を信じて嬉しく感じている。

愛することができ、愛さずにはいられないにも関わらず、近づいてくる人を抱きしめることができない人、それが先生だった。先生は常に静けさを保っており、落ち着いていた。しかし時折、先生の顔を横切るような変な曇りが見えた。それはまるで窓に黒い鳥影が映るようなものだったが、それもやがて消え去るものだった。私がその曇りを先生の眉間に初めて見たのは、雑司ヶ谷の墓地で突然先生を呼んだ時だった。その瞬間、私の心臓の潮流がわずかに鈍くなったが、それは一時的なもので、まもなく以前の弾力を取り戻した。そして私はそれ以来、その暗い雲の影を忘れていたが、ある晩、それを思い出すことになった。

先生と話している最中、ふと先生が注意して教えてくれた大きな銀杏のことを思い出した。考えてみると、先生が月に一度墓参りに行く日が、そこからちょうど3日後だとわかった。その日は、私のスケジュールが午前中で終わる楽な日だった。先生に向かって、「先生、雑司ヶ谷の銀杏はもう散ってしまったでしょうか」と尋ねた。

「まだ空坊主にはなっていないでしょう」と先生が答えながら私の顔をじっと見つめ、眼を離さなかった。私は即座に続けた。「次にお墓参りに行く時に、一緒に行ってもいいですか。先生と一緒にその辺を散歩してみたいんです。」

「私は墓参りに行くのです、散歩ではないのです」と先生は答えたが、その言葉には何も続かなかった。

しばらくしてから、先生は「私のは本当の墓参りです」と言い、なんとしても墓参りと散歩を分けたがるかのようだった。その時の先生は何だか子供っぽく、変だと思った。私はますます先生と一緒に行きたいと思うようになり、「じゃあ、墓参りでも一緒に行かせてください。僕も墓参りをしたいんです」と言った。実際、墓参りと散歩の区別は、私にとってほとんど意味がなかった。

すると先生の眉が曇り、目には異様な光が宿った。それは迷惑、嫌悪、恐れとも区別できない、かすかな不安のようなものだった。私は雑司ヶ谷で「先生」と呼んだ時のことを強く思い出した。その二つの表情は完全に同じだった。

「私には君に言えない理由があって、他の人と一緒には墓参りに行きたくないのです。自分の妻でさえ、まだ一緒に行ったことがないのです」と先生が言った。


第七節 寂寥

私は先生の言葉に驚きを感じたが、好奇心から先生の家を出入りしているわけではなかった。私はそのままの関係を大切にし、その後も変わらずに先生の家を訪れた。振り返ってみると、その時の私の態度は、自分の生き方の中で特に価値あるものだったと感じている。それによって、私たちは人間らしい、温かな関係を築くことができたのだと思う。もし私が少しでも好奇心をもって先生に近づいていたなら、私たちの間に流れる同情の糸はすぐに切れてしまっただろう。若い私は自分の態度に気づいていなかった。それが尊いものである理由なのかもしれないが、もし逆の立場であったなら、私たちの関係にどんな影響があったのだろうと考えると恐ろしい。先生は常に人から冷静に分析されることを恐れていたのだ。

私は月に二度、場合によっては三度、先生の家を訪れるようになった。訪問の回数が増えたある日、先生が突然私に尋ねた。「あなたはなぜそんなに頻繁に私の家を訪れるのですか?」私は、「特別な意味はないんです。邪魔じゃないですか?」と応じた。「邪魔だなんて言いません」と先生は言った。私は先生が外に滅多に出ないことを知っていたし、先生の狭い交友関係や元同級生との付き合いが少ないことも知っていた。先生は時々地元の学生と一緒にいたが、だれも私ほど先生と親しいわけではなかった。

「私は寂しい人間です」と先生は言った。「だからあなたの訪問を喜んでいます。だからこそ、なぜ頻繁に来るのか尋ねたのです」と先生は続けた。「なぜ、ですか?」と私が問い返すと、先生はしばらく黙ったままで、ふと「あなたは何歳ですか?」と尋ねた。

このやり取りは私には筋が通らないものだったが、その時は深追いせずに帰宅した。それから4日も経たずにまた先生を訪ねると、先生は出迎えるなり笑い出し、「また来ましたね」と言った。「はい、来ました」と私も笑って応じた。

他の人にそう言われたら不快に感じただろうが、先生に言われた時は逆で、むしろ楽しい気持ちになった。「私は寂しい人間です」と先生はその夜、以前の言葉を繰り返し、「しかし、あなたも寂しいのではないですか?私は年を取っているからじっとしていられますが、若いあなたはそうもいかないでしょう。動いて何かを見つけたいんじゃないのですか……」と言った。「私は寂しくありません」と私は答えた。「若い時ほど寂しいものはない。なぜそんなに私の家を訪ねるのですか?」と先生はまた繰り返した。「あなたはきっとまだ何か寂しい感じがするのでしょう。私にはあなたのその寂しさを根本から取り除く力がありません。あなたはいずれ外を向いて手を広げるようになります。もうすぐに私の家には来なくなります」と言いながら、寂しい笑顔を浮かべた。


第八節 食卓

私は先生の予言が成就しないことを幸運に思った。経験の未熟な私には、その予言の意味さえ理解することができなかった。それでも私は変わらず先生に会いに行き、いつの間にか先生の食卓を共にするようになった。自然と、先生の奥さんとも会話を交わすようになった。

一般的に、私は女性に対して冷たい人間ではなかったが、これまで女性との交際経験はほとんどなかった。それが理由かどうかはわからないが、私の興味は街で見かける見ず知らずの女性に向かっていた。最初に先生の奥さんに会った時から、彼女の美しさに魅了されたのを覚えているが、それ以上に先生の奥さんについて特に語ることはないように感じていた。これは奥さんに特色がないというより、特色を見せる機会がなかったからかもしれない。私はいつも先生への付随物のように奥さんを見ていたし、奥さんも夫に付随する学生を好意で扱ってくれたようだ。先生が中間にいなければ、二人は関係がなかったかのようだ。そのため、奥さんと最初に会った記憶は、彼女の美しさ以外何も残っていない。

ある時、先生の家で酒を勧められたことがある。それは奥さんが側で酌をしてくれたときで、その日の先生はいつもよりも愉快そうに見えた。先生は奥さんにも一緒に飲むように勧めたが、奥さんは初めは拒んだものの、やがて躊躇いながらそれを受け取った。先生と奥さんとの間に次のような会話が交わされた。
「珍しいことね、あなたが私に飲めって滅多に言わないわ。」
「お前は嫌いだからな。でもたまには飲むといい。いい心持になるから。」
「まったくそうはならないわ。苦しくなるだけ。でも、あなたはごくんと少し飲むと大変ご機嫌みたいね。」
「時によってはね。でもいつもではないよ。」
「今夜はどう?」
「今夜は気分がいいね。」
「これから毎晩少しずつ飲むといいわ。それの方が寂しくなくていいから。」
「そうはいかないよ。」

先生の家には夫婦と下女だけがいて、訪問するたびに静かな雰囲気があった。笑い声などは聞かれなかったし、時には他に誰もいないかのような錯覚に陥ることがあった。「子供がいるといいね」と奥さんは私に向かって言ったが、私は「そうですね」と答えただけで、同情は感じなかった。その当時の私は子供をただ騒がしいものと考えていた。「子供を一人もらってやろうか」と先生が言い出したが、「もらい子じゃねえ」と奥さんが私に向かって言った。「子供はいつまで経ってもできやしない」と先生が続け、「なぜですか」と私が尋ねると、「天罰だから」と答えて大笑いした。奥さんは黙ったままだった。


第九節 夫婦

私の知る限り、先生と奥さんは良い関係を持つ夫婦だった。家庭生活を経験したことのない私には詳しいことは分からなかったが、座敷で先生と向かい合うと、先生が時々下女を呼ばずに奥さん(名は静という)を呼んでいた。その呼び方は私にはいつも優しく聞こえ、返事をして出てくる奥さんの態度も非常に素直に感じた。ときに奥さんが席についてご馳走をする場合などは、この二人の関係がより明確に感じられた。

先生は時々奥さんを連れて音楽会や芝居に行ったり、一週間以内の旅行をしたりもした。私は彼らが箱根から送ってきた絵はがきや、日光へ行った時にもらった紅葉の葉を一枚封じ込めた郵便も記憶している。

これが、当時の私が見た先生と奥さんとの関係だ。ただ一つ例外があった。ある日、私がいつものように先生の家を訪れると、座敷から何かの話し声が聞こえた。よく聞くと、言い合いのようだった。先生の家の玄関の次がすぐ座敷なので、格子前に立っていた私にはその声の調子が聞き取れた。時折高まる男の声が先生だと分かり、相手は低い声だったが、奥さんらしいと感じられ、泣いているようにも聞こえた。迷った末、そのまま帰宅することにした。

不安な気持ちに襲われ、本を読んでも何も頭に入ってこなかった。約一時間後、先生が私の窓の下に来て名前を呼んだ。驚いて窓を開けると、先生は散歩に行こうと誘ってきた。時計を見るともう八時を過ぎていて、私は帰宅して以来、まだ袴を着ていたので、そのまま外に出た。

その晩、私は先生と一緒にビールを飲んだ。先生はもともと飲み量が少なく、ある程度飲んで酔えなかったら、それ以上飲むという冒険はしない人だった。「今日はだめです」と先生は苦笑して言い、「愉快になれませんか」と私が同情を込めて尋ねた。

私の心の中には先ほど起こったことがずっと引っかかっていた。濾骨(さかなのほね)が喉に刺さったような感じで苦しんだ。打ち明けようかと思ったり、やめておくべきだと思い直したりと、心が動揺していた。「君、今夜はどうかしていますね」と先生は言い出し、「実は私も少し変です。君に分かりますか」と続けた。私は何も答えられなかった。「実は、さっき妻と少し喧嘩をしてしまって、下らない神経を昂奮させてしまったんです」と先生は言った。「どうして…」と私は言葉が出てこなかった。

「妻が私を誤解しています。それを誤解だと言っても聞いてくれないので、腹が立ったんです」と先生は続けた。「どんな誤解ですか」と私が尋ねると、先生は答えようとしなかった。「妻が考えているような人間なら、私だってこんなに苦しんでいない」と先生は言った。先生がどれほど苦しんでいるのか、私には想像もつかない問題だった。


第十節 幸福

二人が帰る際、一丁も二丁も無言で歩いた後、突然先生が口を開いた。
「悪いことをした。怒って出たから、妻はさぞ心配しているだろう。考えると女は哀れですね。私の妻は私以外に頼るものがないんだから」
先生の言葉は一時止まったが、私の返事を待つ素振りもなく、すぐ話を続けた。
「そう考えると、夫というものは心が強いようで、少し滑稽ですが。君、私はどう見えますか? 強い人に見えますか、それとも弱い人に?」
「中ぐらいに見えます」と私は応えた。先生は少し予想外な反応を見せ、また黙って歩き始めた。

先生の家に帰るには、私の下宿のそばを通る道が一番だった。そこに着いて、分かれ道で別れるのが気が引けたので、「ついでにお宅の前までご一緒しましょうか」と言った。先生は急に手で私を制し言った。
「もう遅いから、早く帰りなさい。私も急いで帰らないと、妻のために」

最後に付け加えられた「妻のために」という言葉が、その時の私の心を温めた。そのおかげで帰宅後、安心して眠ることができた。私は長い間、この「妻のために」という言葉を忘れなかった。

先生と奥さんの間に起きた問題が大したことはないことは、私にはわかった。そう頻繁に起こることでもなかった。先生はある時、次のような感想を漏らした。
「私は世の中で、妻以外の女性にはほとんど興味が湧かない。妻も、私をこの世に唯一の男性だと思ってくれています。その意味では、私たちはとても幸せな人間の一組であるべきです」

私は、その時の状況を忘れてしまったため、なぜ先生がそのような告白をしたのかはっきり言えない。しかし、先生の真剣な態度と沈んだ調子は、今も覚えている。「最も幸せな人間の一組であるべきです」という最後の一語が、変に耳に残った。先生はなぜ単純に幸せだと言えなかったのか?それが不思議だった。先生が、本当に幸せだったか、幸せであるはずなのにそう感じていなかったのか、私には疑いを持たざるを得なかった。しかし、その疑いは一時的なもので、やがて消えた。

その後、先生が留守の時に訪れた際、奥さんと二人で話す機会があった。先生はその日、横浜で友人を新橋の駅まで送り、外国行きの船に乗せるために留守だった。当時の習慣で、横浜から出航する人は朝の新橋の汽車に乗る。私は先生に特定の書物について話を聞く必要があり、事前に先生の了承を得て約束通り9時に訪れた。先生は前日に船に乗る友人から突然訪問を受けたので、礼儀で送りに行くことになった。先生はすぐに戻ると言い残していたため、私は先生の帰りを待つ間、奥さんと話をした。


第十一節 不思議

その当時の私はすでに大学生だった。初めて先生の家へ来たころから見れば、ずっと大人になったと感じていた。奥さんとはかなり親しくなり、何の遠慮もなく対面でいろいろな話をした。それは特に目新しい内容ではない普通の話だったので、今はすっかり忘れてしまった。ただ一つだけ、私の耳に残っていることがある。でもその前に、ひとつ断っておきたいことがある。

先生は大学を卒業していた。これは初めから私に知られていたことだ。しかし、先生が何もせずに遊んでいるということは、東京へ戻って少し経った後で初めて知った。私は、どうして遊んでいられるのかと疑問に思った。

先生はまったく世間に知られていない人だった。だから先生の学問や思想については、私以外の人が敬意を払う理由もなかった。いつもそれを残念に思ったものだ。先生は「僕のような者が世の中に出て意見を言ってはいけない」と、ほとんど無視するように答えた。私にはその返答が謙遜すぎて、かえって世間を軽蔑するようにさえ聞こえた。実際、先生は時々、今や有名になっている昔の同級生を批判し、辛辣な意見を述べることがあった。それを私は直接問題にして話し合ったが、それは先生への反発というより、世間が先生を知らずに無関心でいることへの残念さからであった。その時、先生は落ち着いた声で「どうしても僕は世間に対して働きかける資格がない男なんです。仕方がありません」と言った。先生の顔には深い表情がみっちりと刻まれていた。それが失望なのか、不満なのか、悲哀なのか、わからなかったが、とにかく非常に強烈で、その後は何も言う勇気が出なかった。

私が奥さんと話していると、話題は自然と先生のことに戻った。

「先生はなぜ、自宅で考えたり勉強したりするだけで、世間に出て仕事をしないんですか?」
「あの人はだめですよ。そういうことが嫌いなんですから」
「つまり、下らないと思ってらっしゃるんですか?」
「下らないとかそうでないとか、まあ、女の私にはわかりませんけれど、きっとそういう意味ではないでしょう。何かをやりたいんですよ。それでもできないんですから、気の毒です」
「でも先生は体調的には、どこも悪いところはないんじゃないですか」
「丈夫ですよ。持病なんてありません」
「それでなぜ活動することができないんですか」
「それがわからないの。わかるなら、こんなに心配なんてしないわ。わからないからこそ、心が痛むのです」

奥さんの言葉には強い同情が感じられた。それでも口元にはかすかな微笑みが見えた。見たところでは、真面目な私の方がむしろ奥さんよりも、真剣に問題を受け止めていたように見えた。私は複雑な顔をして黙っていたら、奥さんが急に何かを思い出したかのようにまた口を開いた。

「若い頃はあんな人じゃなかったんですよ。とても違っていました。その後、まるで変わってしまったんです」
「若い時って、いつ頃ですか?」と私が尋ねた。
「学生時代です」
「学生時代から先生を知っているんですか」
奥さんは急に顔を赤らめた。


第十二節 罪悪

奥さんは東京の人だった。それはかつて先生からも奥さん自身からも聞いて知っていた。奥さんは「本当は合の子なんですよ」と言った。奥さんの父はたしか鳥取かどこかの出身で、母はまだ江戸と言われていた時代の市ヶ谷で生まれた女性なので、奥さんは冗談半分でそう言った。しかし先生は全く違う方角、新潟県の人だった。だからもし奥さんが先生の学生時代を知っているとしたら、地元の関係ではないのは明らかだった。しかし顔を赤らめた奥さんはそれ以上話したがらない様子だったので、私も深くは尋ねなかった。

先生と知り合ってから先生が亡くなるまで、私は様々な問題で先生の思想や情操に触れたが、結婚当初の状況についてはほとんど何も聞かなかった。時によってはそれを良く取ることもあった。年上の先生だから、艶かしい思い出話を若い者に話すのをわざと避けているのかもしれないと思った。また時には、それを悪くも取った。先生に限らず、奥さんに限らず、二人とも一世代前の因習の中で大人になったから、いわゆる情緒的な問題になると、正直に自分を開放する勇気がないのかもしれないと考えた。でもこれはあくまで推測だった。どちらの推測にも、二人の結婚の裏には華やかなロマンスがあると思っていた。

私の仮定は間違ってはいなかった。しかしながら、私が想像したのは恋愛の片面だけだった。先生には美しい恋愛の陰で、恐ろしい悲劇があった。そしてその悲劇が先生にとってどれほど悲惨なものか、奥さんは全く知らずにいた。先生はそれを奥さんに隠して死んだ。先生は奥さんの幸福を壊す前に、自らの命を絶った。

今、この悲劇については語らない。先ほど言ったように、悲劇のために生まれたとも言える二人の恋についても、二人からはほとんど何も聞かされなかった。奥さんは慎みのために、先生はさらに深い理由のために話してくれなかった。

ただ一つ、私の記憶に残っていることがある。ある花の時期に、私は先生と一緒に上野へ行った。そこで、仲睦まじく寄り添って花の下を歩く美しい男女を見た。場所が場所だけに、彼らを向いて目を凝らしている人がたくさんいた。

「新婚の夫婦みたいですね」と先生が言った。
「仲が良さそうですね」と私が答えた。
先生は苦笑もせず、視界から二人を外す方向に足を向けた。それから私に聞いた。
「君は恋をしたことがありますか?」
私はないと答えた。
「恋をしたくないのですか?」
私は答えなかった。
「したくないわけではないですよね」
「ええ」
「君は今、あの男と女を見て、さげすみましたね。そのさげすむ声の中には、恋を求めながら相手を得られないという不満の声が入っているでしょう?」
「そんなふうに聞こえましたか?」
「聞こえましたよ。本当に恋愛の喜びを味わっている人は、もっと温かい声を出すものです。しかし……しかし君、恋は罪悪です。わかっていますか?」
私は驚いた。何とも返事ができなかった。


第十三節 恋

我々は群衆の中にいた。群衆は皆、うれしそうな顔をしていた。そこを抜けて、花も人も見えない森に入るまで、同じ話題を口にする機会がなかった。 「恋は罪悪ですか」と私がその時突然尋ねた。 「罪悪です。確かに」と先生が答えた時の語気は前と同じく強かった。
「なぜですか」
「なぜかは、すぐにわかりますよ。すぐにではなく、もうわかっているはずです。あなたの心は既に恋に動かされていますよね」

私はとりあえず自分の心を探ってみた。だが、そこは意外なほど空虚だった。特に心当たりがあるわけではなかった。
「私の心に特定の目的は何もありません。先生に何かを隠しているつもりはありません」
「目的がないからこそ、何かを求めて動くのです。何かがあれば安定すると思って動きたくなるのです」
「今、特にそんなに動いているわけではありません」
「物足りないからこそ、私のところに来たのではないですか」
「そうかもしれませんが、恋とは違います」
「恋に向かう階段なんです。異性と抱き合う前に、まず同性である私のところに来たのです」
「私には二つのことが全く異なっているように思えます」
「いいえ、同じです。私は男としてどうしてもあなたには満足を与えられません。特別な事情があって、余計にあなたを満足させられないのです。あなたが私を離れるのは当然です。それをむしろ望んでいます。しかし……」

私は何だか悲しくなった。 「先生から離れるようなことになるなら仕方がありませんが、そう考えたことはまだありません」 先生は私の言葉には耳を貸さなかった。 「しかし、気をつけてください。恋は罪悪ですから。私の所でも満足は得られませんが、代わりに危険もありません。しかし、黒い長い髪に縛られる心境を知っていますか」

私は想像上では知っていたが、実際には知らなかった。どちらにせよ、先生が言う「罪悪」という意味は曖昧でよくわからなかった。さらに私は少し不快になった。
「先生、罪悪という意味をもっとはっきりと教えてください。それがなければ、この話題はここで終わりにしてください。私自身が罪悪についてはっきりわかるまで」
「悪いことをしました。私は真実を話しているつもりでしたが、実際はあなたを困らせていたんです。悪いことをしました」

私たちは博物館の裏から鶯谷の方向へ静かな歩調で歩いていった。垣根の隙間から、庭の一部に生い茂る熊笹が幽玄に見えた。
「君は、私が毎月雑司ヶ谷の墓地に埋まっている友人の墓に参る理由を知っていますか」

先生のこの質問は全く予期せずにされた。しかも先生は私がそれに答えられないことをよく知っていた。私は少しの間言葉が出なかった。すると先生は初めて気づいたかのように言った。
「また悪いことを言いました。あなたを困らせるのはよくないと思って、説明しようと思ったら、その説明がまたあなたを困らせる結果になってしまった。どうも仕方がありません。この話題はここで終わりにしましょう。ともかく、恋は罪悪ですよ。そして神聖なものです」

私には先生の話がますます理解できなくなった。しかし、それ以後先生は恋について話さなかった。


第十四節 信用

若い私は熱心になりやすかった。少なくとも先生の目にはそう見えていたらしい。私にとって学校の授業よりも先生との話し合いの方がためになると感じていた。教授の意見よりも先生の考えが大切だった。つまり、教壇で指導する教授より、あまり話さない先生の方が重要な存在に感じられていた。

「あまり逆上しちゃいけません」と先生が言った。 「冷静にそう考えるんです」と私が自信を持って答えたとき、先生はその自信を認めてくれなかった。
「あなたは熱に浮かされています。熱が冷めたら嫌になる。私が今、あなたからそう思われるのが辛い。これから先に予想される変化を考えると、さらに辛くなります」
「私がそんなに軽薄だと思われているんですか。信用されていないんですか」
「私はお気の毒に思っているんです」
「お気の毒だが信用していないということですか」

先生は迷惑そうに庭を見た。そこには最近まで鮮やかな赤色を放っていた椿の花はもう一つもなかった。先生は座敷からこの椿をよく眺めていた習慣があった。

「信用していないというのは、特にあなたを信用していないわけではない。人間全般を信用していないんです」

そのとき、生垣の向こうから金魚売りらしい声が聞こえた。その他には何も聞こえなかった。大通りから二丁も入った静かな路地だった。家の中はいつもどおり静かだった。私は隣の間に奥さんがいて、何か静かに作業をしているのが聞こえるのも知っていた。しかし、私はそれをすっかり忘れていた。

「じゃあ、奥さんも信用していないんですか」と先生に尋ねた。
先生は少し落ち着かない表情をしたが、直接的な答えを避けた。
「私は自分自身すら信用していません。だから他人も信用できないんです。自分を呪うしかありません」
「そう難しく考えれば、誰も確かなものは持てないでしょう」
「いや、考えた結果ではないんです。やってしまって、後で驚いたんです。そしてとても怖くなったんです」

私はもう少し先の話を進めたかったが、襖の陰から「あなた、あなた」と奥さんの声が二度聞こえた。先生は二度目に「何だい」と答えて、奥さんが次の間へ呼んでいた。二人の間で何が起きたのか、私にはわからなかった。それを想像する暇もないほどすぐに先生は再び座敷に戻って来た。

「とにかく、あまり私を信用しすぎちゃいけません。後で後悔しますから。そして自分が騙されたとして残酷な復讐をするようになりますから」
「それはどういう意味ですか」
「一度その人の膝の前でひざまずいた記憶が、後にはその人の頭の上に足を載せようとさせます。未来の侮辱を避けるために、今の尊敬を断わりたいのです。これからさらに寂しい未来の自分を耐える代わりに、今の寂しさを耐えたいのです。自由と独立と己れとに溢れた現代に生まれた我々は、その犠牲としてみんなこの寂しさを味わわなければならないでしょう」

この決意を抱いている先生に対して、私には何を言っていいか分からなかった。


第十五節 推理

その後、私は奥さんの顔を見るたびに気になるようになった。先生は奥さんに対しても常にそういう態度を取るのだろうか。もしそうなら、奥さんはそれで満足しているのだろうか。

奥さんの様子は、満足しているのか不満を感じているのか判断がつかなかった。接触の機会がなかったし、奥さんはいつも通りで、先生がいる場にいない限り、私と奥さんは滅多に顔を合わせなかったからだ。

私の疑念はさらに深かった。先生が人間に対して持つこの決断はどこから来るのか。単に冷たい目で自己を内観したり、現代を観察した結果なのか。先生は考え深い人で、そうした態度が自然に現れるものなのか。私にはそう思えなかった。先生の決断は、生きた決断のように思えた。冷ややかな石造の輪郭とは違っていた。私の目には先生が確かに思想家として映ったが、その思想家が打ち立てた理念の裏には、強い現実が組み込まれているように感じた。他人ではなく、自分自身が深く体験した現実が、考えに取り込まれているようだった。

これは私の推測ではなく、先生自身が既に告白していた。しかし、その告白は霧の中の山頂のようだった。私の頭の上に正体不明の恐ろしいものを覆うように存在した。告白は漠然としていたが、明らかに私の神経を揺さぶった。

私は、先生の人生観の基点にある強烈な恋愛事件を想像してみた。(もちろん、先生と奥さんの間に起こったと考えられる)。先生がかつて恋は罪悪だと言ったことから、何か手がかりになるかもしれないと感じた。しかし、先生は現に奥さんを愛していると私に語っていた。その恋から、こんな厭世的な決意が生まれるはずがなかった。「かつてその人の前に跪いた記憶が、次にその人の頭上に足を置こうとする」という先生の言葉は、一般的なものに使うべきであり、先生と奥さんの間には当てはまらないようにも思えた。

雑司が谷にある誰だかわからない人の墓も、時折私の記憶をよぎった。それが先生と深い縁故がある墓だということを知っていた。先生の生活に近づきつつあるが、まだ近づけない私は、その墓を生命の断片として受け入れていた。しかしその墓は、まったく死んだものであった。二人の間にある生命の扉を開く鍵にはならなかった。むしろ、自由な交流を妨げる魔物のようだった。

そうしている間にも、再び奥さんと向かい合って話さなければならない時がきた。その時期はせわしなく過ぎる秋で、皆が寒さに気を取られ始める季節だった。近隣で連続して盗難事件があり、それらはいずれも夕方に起きていた。大規模な盗難はなかったが、侵入された家では必ず何かが盗まれていた。奥さんは不安になり、ある晩、先生が家を空けなければならなくなった時があった。同郷の友人が上京しており、先生は他の数名とともに、その友達をもてなさなければならなくなった。先生は理由を話し、私に帰宅するまでの間、家を留守番するよう頼んだ。私はすぐに承諾した。


第十六節 留守番

私が訪れた時は、まだちょうど灯りが点くかどうかの暮れ方であったが、時間に几帳面な先生はもう家を出ていた。奥さんは「時間に遅れると悪いって、つい今しがた出掛けました」と言いながら、私を先生の書斎へ案内した。

書斎にはテーブルや椅子のほかに、多くの本が綺麗な背表紙を揃えてガラス越しに電灯の光で照らされていた。奥さんは私を火鉢の前に敷かれた座布団に座らせ、「少しの間、ここにある本でも読んでいてください」と伝えて部屋を出ていった。私は主人を待つ客のような気分で、落ち着かずに煙草を吸っていた。茶の間から奥さんが女中に話している声が聞こえてきたが、書斎は静かだった。しばらくして奥さんが再び書斎の入口に顔を出し、「おや」と言って私を見たが、「ここでは窮屈ですね」と言う私に、「退屈だろうからお茶を持ってきたんですが」と笑いながら言った。

私は奥さんに従って書斎を出た。茶の間では綺麗な長火鉢で鉄瓶が湧いていて、そこでお茶と菓子をいただいた。奥さんは「寝られないといけないから」と言って、茶も飲まずにいた。

「先生は時々こういう会に出かけるんですか?」と私が尋ねると、
奥さんは「滅多に出かけることはありません。最近は人の顔を見るのが嫌いになっているようです」と答えた。
奥さんは特に困った様子でもなかったので、私は大胆になって、「それでは奥さんだけが例外ですか」と質問した。
奥さんは「いいえ、私も嫌われています」と答えた。
私は「それは嘘でしょう。奥さんは自分でそれを知っていてそう言っているんです」と言ったが、
奥さんは「世間が嫌いだから私も嫌いになったとも言われますよ。その逆なんじゃないですか」と冗談めかして返した。

奥さんの発言は少し辛辣だったが、それで耳障りな感じはしなかった。奥さんは自分の知性を誇るほど現代的ではなく、もっと内面の感情を大事にしているように感じられた。


第十七節 議論

私にはまだ言いたいことがあったが、奥さんにいたずらに議論を仕掛ける男だと思われたくなくて遠慮していた。しかし、奥さんは私がもう一杯欲しいか尋ねると、私はすぐに茶碗を渡した。

「いくつ入れましょうか? ひとつ、ふたつ?」と、角砂糖をつまみながら奥さんは私の顔を見て砂糖の数を質問した。奥さんの態度には私に媚びるようなことはなかったが、先刻の強い言葉を和らげようとする気遣いがあった。

私は黙ってお茶を飲み、飲み終えても黙っていた。そうすると、奥さんが「あなた、とても黙り込んでしまったわね」と言った。私は「また議論を仕掛けると叱られそうなので」と答えた。「とんでもない」と奥さんが言い返した。

二人はそこから再び話し始め、共通の関心の対象である先生を話題にした。「奥さん、さっきの話の続きをしてもいいですか。空理屈に聞こえるかもしれませんが、私は本気で言っているんです」と切り出し、奥さんが突然いなくなったら先生はどうなるかを尋ねた。奥さんは「そんなことは私にわからないわ。そんな質問があるなら先生に直接聞いて」と答えたが、私は「真剣に答えてください。奥さんが急にいなくなったら先生は不幸になるのではないか、生きていけないのではないか」と続けた。奥さんは「そうよ。先生は私がいなくなれば不幸になるわ。生きていけないかもしれない。偉そうに聞こえるかもしれないけど、私は今、人間としてできる限り先生を幸せにしていると信じているの。私ほど先生を幸せにできる人はいないと思っているから、こんなに落ち着いていられるのよ」と奥さんは言った。私は「その信念が先生にも伝わると思います」と返したが、「それは別問題」と奥さんが答えた。奥さんは自分が嫌われているとは思っていないが、最近先生は人間が嫌いになりつつあるから、人間の一人として嫌われる可能性を否定しなかった。奥さんの意味する「嫌われている」とは、そのようなことだった。


第十八節 涙 

私は奥さんの理解力に感心した。彼女の態度が伝統的な日本の女性らしくない点も、私にとって刺激的だった。それに、彼女は当時流行り始めたいわゆる新しい言葉をほとんど使わなかった。
私は女性と深く交際した経験がないうかつな青年だった。男性として異性に対する本能から、女性を夢見ていた。しかし、それは遠く憧れる春の雲を眺めるような感じで、あくまで漠然とした夢でしかなかった。だから実際に女性と面と向かうと、感情が突然変わることがあった。引き寄せられる代わりに、逆に奇妙な反発を感じるのだ。しかし奥さんにはそんな感じは一切なく、男女間の思想の不均衡などほとんど考えなかった。私は奥さんが女性であることを忘れ、ただ誠実な先生の批評家兼同情家として彼女を見ていた。
「奥さん、この前なぜ先生がもっと活動的でないのか聞いたとき、あなたは先生が昔は違っていたと言いましたね」と私が話を持ち出した。「はい、本当に違っていました」と奥さんが答えた。「どう違っていたのですか」と私が尋ねると、「あなたが望むような、私が望むような頼りがいのある人だったのです」と奥さんが答えた。「どうしてそう変わってしまったのですか」と私。「急にじゃないの、段々と変わっていったのよ」と奥さん。「その変化の原因がわかるはずですよね、いつも一緒だったんですから」と私が言うと、「だから困るの。何度も聞いてみたけど、何も心配することはないとしか言わないの」と奥さんが答えた。
私は黙っていた。下女たちも音を立てず、私は泥棒のことをすっかり忘れていた。「あなたは私に責任があると思っていませんか」と奥さんが唐突に尋ねた。「いいえ」と私が答えると、奥さんは「隠さずに言ってください。それが分かると身を切られるよりも辛いものだから」と言った。「私は先生がそう思っていると信じているので、大丈夫です。ご安心ください」と私が言った。
奥さんは火鉢の灰をかき混ぜ、傍にあった水差しから鉄瓶に水を足した。すると鉄瓶の音が静まった。「とうとう我慢できなくなって先生に、欠点があるなら遠慮なく言って欲しい、改めることは改めますと言ったのですが、先生は『お前に欠点はない、欠点は僕の方にある』と言うだけなの。そう言われると、悲しくなるんです。涙が出て、なおさら自分の悪いところを知りたくなる」と奥さんは言って、目に涙をためていた。


第十九節 友人

私は最初、奥さんに対し理解のある女性として接していた。会話が進むにつれて、奥さんの様子は徐々に変わり始めた。奥さんは私の頭脳への訴えから、私のハートを動かし始めた。自分と夫との間には問題は何もない、あるいではないはずだが、それでも何かがあるような感じがする。それをはっきりさせようと眼を開けて見極めても、実は何もなかった。奥さんが苦しんでいるポイントはそこにあった。
最初、奥さんは厭世的な先生の眼が原因で自分も嫌われていると断言していた。でも実際には安心できず、逆のことも考えていた。先生が自分を嫌いになり、とうとう世間まで嫌いになったのではないかと。しかし、どれだけ考えても、その推測を確かな事実とすることはできなかった。先生の態度は、いつも良い夫であり、親切で優しい。そう感じたら、すべての疑いを心の中に秘めた奥さんは、その晩、その包みを私の前で開けて見せた。
「あなたどう思うの?私がそう変わらせたのか、それとも人生観から何か変わったのか。隠さずに言ってほしい」と奥さんが尋ねた。私は隠すつもりはなかったが、私の知らない何かが存在していれば、どんな答えも奥さんを満足させないだろうと思っていた。そして私は、私の知らない何かが存在すると信じていた。
「私にはわかりません」と私は答えた。奥さんはその言葉に予想外の悲痛な表情を見せた。私は急いで付け加えた。「しかし、先生が奥さんを嫌っていないことだけは保証します。私は先生自身の口から聞いたことを伝えるだけです。先生は嘘をつくような方ではありません」
奥さんは何も答えなかった。しばらくしてから、奥さんは言った。「実は少し思い当たることがあるのですが...」「先生がそうなった根因についてですか?」と私。「ええ、もしそれが原因だとしたら、私の責任はないので、少しは楽になれるのですが...」「どんなことですか」と私が尋ねると、奥さんは言葉を濁して、自分の手を見つめたままだった。「言っても叱られないところだけだったら」と奥さん。「私にできる判断ならします」と私。
緊張しながら、奥さんは続けた。「先生が大学にいた時、とても仲の良い友達がいて、その人が卒業するちょっと前に急死したの。急に亡くなったの」と小さな声で言って、「実は変死なんです」と私は思わず「どうして?」「それ以上は言えないのよ。でも、その出来事から、先生の性格がだんだん変わってきたのよ。その人がなぜ死んだか、私にはわからないし、恐らく先生にもわからないでしょう。でも、それから先生が変わり始めたから、それが原因かもしれない」と奥さんは推測していた。「雑司ヶ谷のその人の墓ですか?」「それも言えないことになっているの。でも人は親友を失っただけでそんなに変われるものなのでしょうか。そのことが知りたくてたまらないの。それであなたに判断してほしいと思っているの」と奥さん。
私の判断はむしろ否定の方向に傾いていた。


第二十節 帰宅

私は知る限りの事実を元にして、奥さんを慰めようと努めた。奥さんも、私からの慰めを受け入れたように見えた。そのため、二人で長く同じ問題について話し合った。しかし、私は根本的な事実を掴んでいなかったし、奥さんの不安も薄い雲のような疑念から生まれていた。事件の真相は、奥さん自身もよく知らなかったし、知っていても私には全てを話せなかったためだ。その結果、慰める側の私も慰められる奥さんも、共に漂う波の上にいて、ぐらついていた。ぐらつきながら、奥さんは必死で手を伸ばし、不確かな私の判断にすがろうとしていた。

10時頃、先生の靴音が玄関で聞こえたとき、奥さんは突然すべてを忘れたかのように立ち上がり、私を放って玄関へ急いだ。格子を開ける先生を出迎え、私は取り残されたように後を追った。下女だけは気配を消していて、結局現れなかった。

先生はむしろ上機嫌だった。しかし、奥さんの様子はさらに良かった。先ほどまで奥さんの美しい目に涙が溜まっていたのとは打って変わって明るく、それを異常だと感じて注視した。もし本物であれば(そして実際そう思えたが)、今までの奥さんの訴えは、感傷をもてあそぶために特別に用意された無駄な女性の遊びと捉えられなくもなかった。それでもその時の私は奥さんを批評的に見る気にはなれず、彼女の態度が急激に明るくなったのを見てむしろ安堵した。そんな心配する必要などなかったのだと思い直した。

帰り際、先生は笑いながら「泥棒は来ませんでしたか」、「来ないとがっかりしますね」と言った。出かけるとき、奥さんは「お気の毒でした」と言いながら会釈した。その言葉は、せっかく来たのに泥棒が入らなくて残念だったと冗談めかして聞こえた。奥さんはそう言いつつも、先ほどの西洋菓子の残りを紙に包んで、私の手に持たせた。私はそれを懐にしまい、人通りの少ない夜寒の小路を歩き、賑やかな町の方へ急いだ。

私はこの晩の出来事を詳細に記録に残した。それは記録する必要があったからだが、実際には菓子をもらって帰る時には、そんなに会話を重く捉えていなかったのだ。翌日昼に家に帰り、前夜に机の上に置いた菓子の包みを見つけると、鳶色のチョコレートが塗られたカステラを取り出して食べた。そして食べながら、その菓子をくれた二人は幸せな夫婦として存在していると実感した。

秋が深まり冬に近づいても特別な事はなかった。私は相変わらず先生の家を訪れ、洗え張りや仕立てなどの依頼を奥さんにし、その頃から繻絆を着るようになった。奥さんは子供がいないため、そういう面倒を見ることがむしろ退屈を紛らわすことになり、結局は自分にとって良いことだと言っていた。「これは手織りよ。こんな良い布地は今まで縫ったことがないけど、縫い難いのよ。そりゃあ。おかげで針を二本折りました」と奥さんが文句を言う時でも、不満を感じさせるような様子は見せなかった。


第二十一節 帰省

冬が来た時、私は母からの手紙を受け取り、父が病気で状態が芳しくないため、できるだけ早く帰省するよう求められた。父は長らく腎臓を患っており、中年以降の人にありがちな慢性疾患だったが、注意を払っていれば急変はないと信じて疑わなかった。父は身体を養い、延命を図って日々を過ごしていた。
冬休みまではまだ少し期間があったので、学期終了まで待っても支障はないだろうと思い、一日二日待ってみた。しかし、その間に度々、父がベッドに臥せっている情景や、母が心配する様子が私の眼前に浮かんできた。そのたびに、心苦しさを感じた私は、結局帰る決心をした。
旅費を国から送ってもらうための手間と時間を省くため、休学届を出しつつ先生の家へ行き、必要な現金を一時立て替えてもらうことにした。
先生は風邪をひいており、書斎へ出てくるのがおっくうだったため、私を書斎に招いた。そこから冬のやわらかな日光が射し込んでいた。先生は部屋に大きな火鉢を置き、湯気をあげる金ダライで呼吸を楽にしていた。
「大病はまだ良いですが、小さな風邪の方が厄介ですね」と先生が言いながら、苦笑いする。先生は病気などしたことがなかったと私は知っており、先生の発言に笑いがこみ上げた。「私は風邪ぐらいなら我慢しますが、それ以上は真っ平ですよ。先生も同じことだと思います」と返した。すると先生は「そうですね。病気になるくらいなら、いっそ死病にかかりたいと思っています」と言った。
私は先生の言葉に深く注意を払わず、母からの手紙と金銭援助の依頼を申し出た。先生は「それは困りますね。そのくらいの額なら今すぐ持っていることですから、どうぞ持っていってください」と応えた。先生は奥さんを呼び、必要な金額を私に渡してもらうようにした。
奥さんは奥からお金を出してきて、「お父様の具合が悪いのは大変ですね」と言った。先生が「何度も倒れたのですか?」と聞くと、「手紙にはそう書かれていませんでした」と答えた。その時、初めて父が患っている腎臓病で先生の奥さんの母も亡くなったことを知った。「やはり難しい病気だったのですね」と私。「ええ、私が代われるなら喜んで代わりますよ...嘔気はありますか?」と奥さんが問いかけた。私は「そう書かれていないから、恐らくないでしょう」と答えた。「嘔気さえなければ、まだ大丈夫だと思います」と奥さんは言った。
その夜、私は東京を発つ列車に乗った。


第二十二説 しいたけ

父の病気は思ったほど悪くはなかった。着いたとき、父は床の上であぐらをかき、「みんなが心配するから、我慢して静かにしている。本当はもう起きてもいい」と言った。しかし、翌日からは、母の止めるのも聞かずに、とうとう布団をたたませた。母は渋々布団をたたみながら「お父さんはあなたが帰ってきたので、急に元気になったんだよ」と言った。私には父の行動が特に見せかけのようには見えなかった。

兄は九州に仕事があり、簡単には帰ってこれない人だった。妹は結婚して遠くに住んでおり、簡単に呼び戻せる状況ではなかった。三人兄弟の中で、一番都合がよかったのは学生である私だけだった。報告通り、学校を休学して早めに帰ってきたことが、父にはとても満足だった。
「こんな病気で学校を休むのはかわいそうだが、お母さんが心配して手紙を書きすぎるから困る」と父は言った。そして、いつもどおりの元気を見せるために、床を上げさせた。「軽率な行動をしてまた悪くなるといけないよ」と私が注意すると、父は楽しげでもあり、とても軽く受け流した。「大丈夫、これで普通に気をつけさえすれば」と答えた。
実際、父はとても元気だった。家中を自由に歩き回り、息切れもせず、めまいも感じなかった。ただ顔色だけが普通の人よりかなり悪かったが、これは新しい症状ではないので、私たちはそれほど気にしていなかった。

先生に手紙を書いてお礼を述べ、正月に上京する際に持ってくるから待っていてほしいと伝えた。そして、父の病状が思ったほどひどくなく、このままなら当分安心できること、めまいや吐き気もないことなどを書き、先生への見舞いも添えた。

手紙を出したとき、私は先生からの返事を期待していなかった。送った後、父や母と先生の噂をしながら、遠くにある先生の書斎を想像した。
「次に東京に行くときはしいたけでも持って行こう」
「ええ、でも先生が乾燥しいたけを食べてくれるかしら」
「美味しくはないかもしれないけど、嫌う人はいないだろう」
と言葉を交わした。しいたけと先生を結びつけるのは、私には奇妙だった。

先生からの返事が来たとき、私は少し驚いた。特に用件がない返事だったので、なおさら驚いた。先生はただ親切心から返事を書いてくれたのだと思った。それを考えると、この短い手紙は私にとってとても大きな喜びになった。これは私が先生から受け取った最初の手紙だった。

最初と言うと、私たちが頻繁に手紙を交換していたように思われるかもしれないが、実はそうではなく、私は先生の生前に二通しか手紙をもらっていない。一通は今述べた簡単な返事で、もう一通は先生が亡くなる前に私宛てに書いた非常に長い手紙だった。

父は、病気の性質上運動に気をつける必要があったため、床を上げた後もほとんど外出していなかった。一度、天気がとても穏やかだった日の午後に庭に出たことがあり、私が付き添って徹底的に見守っていた。私が父に肩を貸そうとしても、父は笑って断わった。

第二十三節 将棋

私はよく、退屈する父との時間を過ごすために将棋を指した。私たちはどちらも面倒くさがりで、こたつに当たりながら、将棋盤を置いて駒を動かすたびに、あえて布団の下から手を出さなければならないのだった。時々、駒を失くしても、次のゲームまで双方とも気が付かないことがあった。それを母が灰の中から見つけて、火ばしでつかみ上げる滑稽なこともあった。

「囲碁は盤が高すぎて足がついているから、こたつの上では打てないが、将棋盤はいい。こうして楽に打てるから。怠け者にはぴったりだ。もう一局やろう」と父は、勝った時はいつももう一局やりたがった。負けた時も同じことを言った。要は、勝っても負けても、こたつに当たりながら将棋を指したい男だった。

初めのうちは面白く感じたが、時間が経つと私の若きエネルギーはそんな刺激では満足できなくなった。私は将棋の駒を握った拳を頭上に伸ばし、時々大きなあくびをした。

私は東京のことを考え、心臓が鼓動する感覚を感じた。その鼓動が、不思議と先生の影響で強まっているように感じた。

私は心の中で、父と先生を比べてみた。両者とも外から見たら、生きているか死んでいるか分からないほど静かな男だった。
それでいて、この将棋好きの父は、単なる娯楽の相手としても私には不十分だった。歓びを求める付き合いをしたことのない先生は、そういった親しみ以上に私の心に影響を与えていた。いや、「心」というのは冷たすぎるから、むしろ私は「胸」と言い換えたい。先生の存在が私を深く動かしており、その時の心情は、大袈裟でなく真実だと感じられた。私は父が私の実の父であることと、先生が赤の他人であることという明白な事実を改めて見て、大きな真実を発見したように感じた。

私が退屈をし始めると、父も母も私が普段と違うことに気付き始めた。これは、夏休みに帰省する人々によくあることだ。最初は大事にされるが、時間が経つうちに家族の熱も冷め、存在があってもなくても良いものになる。私もこの経験をした。しかも、帰省のたびに、父母が理解できない東京での変化を持ち帰るようになった。かつての儒者の家にキリスト教の影響を持ち込むかのように、私の持ち帰るものが父母とは馴染まなかった。もちろん、私はそれを隠していた。けれども、どうしてもバレてしまい、私は不快に感じ、早く東京に帰りたくなった。

幸い父の病状は悪化せず安定していた。念のため適切な医者に診てもらっても、私が知っている以上の異常はなかった。私は冬休みが終わる少し前に帰ることに決めた。帰ると言うと、父も母も反対した。「もう帰るのかい、まだ早いじゃないか」と母が言い、「まだ四、五日いても間に合うんじゃないか」と父が言った。

私は自分が決めた出発日を変えなかった。

第二十四節 病

東京に戻ると、正月の飾りが既に片付けられていた。町中どこを見ても、正月らしい雰囲気は感じられなかった。私はすぐに先生の家へ行き、金を返した。ついでに、母の椎茸もお土産として持参した。ただ単に渡すのは不自然だったので、「母が差し上げるように」とわざわざ言って、奥さんに渡した。椎茸は新しい菓子折の箱に入れられていた。奥さんは礼を言いながら、それを次の部屋へ持って行ったときに、箱が軽いことに驚いたようで、「これはどんなお菓子ですか?」と尋ねた。親しくなると、奥さんは子供のような無邪気な心を見せることがある。

先生夫妻は、私の父の病気について心配をしてくれた。その会話の中で、先生がこう言った。
「確かに今は大丈夫そうですが、病気は注意が必要です」
先生は腎臓の病気について、私が知らないことをたくさん知っていた。
「腎臓病の怖いところは、本人が気づかずに普通に生活していることです。ある軍人がそれで亡くなりました。夜中に突然息苦しくなり、隣で寝ていた奥さんを起こしてから、翌朝には既に亡くなっていました。奥さんはまさか夫が死んでいるとは思わなかったんです」。
こんな話を聞いて、私は急に不安になった。
「私の父もそうなるかもしれませんね」
「医者はどう言っていますか?」
「完全には治らないと言っていますが、当分は大丈夫だろうとも言っています」
「それなら安心ですよ。今の話は、気がつかなかった人の話ですし、その人は荒々しい軍人だったのですから」

私は少しほっとした。先生は私の反応をじっと見ていて、次のように付け加えた。
「人間は健康であろうと病気であろうと、とにかく壊れやすいものです。どんなことで、どんな死に方をするか分かりませんから」
「先生もそういうことを考えるのですか」
「たとえ丈夫な私でも、全く考えないわけではありませんよ」
先生の口元には微笑の影が見えた。
「突然自然に死ぬ人もいれば、予期せぬ瞬間に死ぬ人もいます。たとえば不自然な暴力で」
「不自然な暴力って何ですか?」
「それは私にもよくわかりませんが、自殺する人はすべて不自然な暴力を使っているでしょう」
「では、殺されるのも同じ不自然な暴力ですね」
「殺される方は全くそのつもりはなかったかもしれませんね。そうです、そうとも言えます」

その日はそこで帰宅した。家に帰ってからも、父の病気はそれほど気にならなかった。先生が言った自然に死ぬことや不自然な暴力についての言葉は、その場限りの軽い印象を与えただけで、その後は頭に残らなかった。私は、これまで何度も始めようとして中断していた卒業論文を、本格的に書き始めなければならないと思い出した。


第二十五節 論文

その年の六月に卒業予定だった私は、四月末までにどうしても論文を完成させなければならなかった。残された日数を数えてみると、自信が揺らいだ。他の人たちはとっくに資料を集めており、忙しそうにしていたが、私はまだ何も手をつけていなかった。ただ新年になれば本腰を入れようと決意していた。それで取りかかったものの、すぐに行き詰まってしまった。これまでの大まかなアイディアが頭に浮かんでいたが、その具体化に苦しんだ。そして、論文の範囲を絞り、論理をまとめる手間を省くために、本に書かれた資料を列挙し、それに適した結論を短く加えることにした。

私が選んだテーマは先生の専門分野と関連が深かった。かつてそのテーマの相談をした時、先生は合格だと言っていた。追い詰められた私は先生のところに急いで行き、参考書を尋ねた。先生は自分の知識を惜しみなく共有してくれ、さらにいくつかの本を貸してくれると言ったが、指導には乗り気ではなかった。「最近はあまり本を読んでいないから、新しい情報はわからないんだ。学校の先生に尋ねた方がいいよ」と先生は言った。かつて奥さんから、先生が以前ほど読書に興味を持たなくなったと聞いたことを思い出した。

論文のことは忘れて、私は話題を変えた。
「先生はどうして元のように本に興味を持てなくなったんですか」
「なぜとは特にないけれど…これだけ本を読んでも大したことにはならないと思い込んでいるからだろうな。それに…」
「それに、まだ何かあるんですか」
「それほどの理由ではないが、昔は人前で知らないと困ると感じたけど、最近は知らなくても恥ずかしくないと思うようになったから、無理して本を読む気にもならないんだ。老いてきたからだよ」
と先生は落ち着いていた。
先生の言葉には世間から距離を置いた苦さが感じられなかったので、私にとってはそれ程心に響かなかった。私は先生を老け込んだとは思わなかったが、かといって特に感心もせずに帰宅した。

その後、私はまるで精神病に取り憑かれたように、目を赤くして論文に苦しんだ。一年前に卒業した友人たちの話を聞いてみた。ある者は締め切り日に事務所に急いで論文を提出し、何とか間に合わせたと言い、別の者は五時過ぎに提出して危うく棄却されそうになったが、主任教授の好意で受け入れてもらったと言っていた。不安を感じつつも覚悟を決めた私は、毎日机に向かって力尽きるまで働いた。あるいは、薄暗い図書館で本棚を行ったり来たりし、背表紙の金文字を丹念に探した。

寒い風が徐々に暖かくなるにつれて、桜の便りが耳に入るようになったが、私は一心不乱に論文に向き合った。四月下旬になり、ようやく計画通りに論文を仕上げた後で、初めて先生の門を叩いた。


第二十六節 郊外

私が自由になったのは、初夏の季節、八重桜の枝に新しい緑の葉がほんのりと広がり始めるころだった。籠から逃げ出した小鳥のような気持ちで、私は広い空を見渡しながら自由に羽ばたいた。先生の家へ行くと決めた。
道中、芽吹き始めた木々が目を引いた。ザクロの木の枝から新しい葉が生え、光を受けて輝いているのが見えた。まるで生まれて初めてその景色を見るかのような新鮮な気持ちになった。
先生は私が嬉しそうだと見て、「論文はもう終わったのですか、良かったですね」と言った。私は「おかげさまでようやく終わりました。これから先、何をすることもありません」と答えた。
その時、私はすべての仕事を終え、これからは遊んで過ごしても良いという明るい気持ちだった。提出した論文については、自信と満足感に満ちていた。先生の前で盛んにその内容について話し、先生はいつものように聞いてくれ、「なるほど」とか「そうですか」と答えたが、それ以上の詳しい意見や批評はなかった。少し期待外れだったが、その日の私の気力は旺盛で、先生の落ち着いた態度にも気負わずにいられた。外へ先生を誘い出そうと提案した。
「先生、どこか散歩に行きませんか?外はすごく気持ちがいいですよ」
「どこへ行くのですか?」
どこでも構わないと思いつつ、ただ郊外へ行きたかった。

一時間後、先生と私は町を後にし、村でも町でもない静かな場所を目的もなく歩いた。私は以前友達から習った芝笛(しばぶえ)を作って吹いた。先生は無関心そうに他の方を向いて歩いた。
まもなく一画に着き、何々園という看板が邸宅ではないことを示していた。先生は「中に入ってみましょうか」と言い、私は「植木屋ですね」と返事をした。
中に入ると、家は人けのない様子で、ただ金魚が泳いでいた。
「静かですね。断りもなく入っても大丈夫でしょうか」
「大丈夫だと思います」と私が答えた。
二人はさらに奥へと進んだが、やはり人の気配はなかった。つつじの花が鮮やかに咲き乱れており、先生は高い赤色のつつじを指し「これは霧島でしょう」と言った。
芍薬(しゃくやく)の畑もあったが、まだ季節が早く花はついていなかった。その畑の横の古い縁台に、先生は大の字になって寝転がり、私は端に腰をかけてタバコを吸った。先生は青い空を見ており、私は新緑の色に心を奪われていた。同じ楓の木でも、それぞれ異なる色をしていた。
先生の帽子が風に吹かれて落ちた。


第二十七節 財産

私はすぐにその帽子を拾い上げた。所々についている赤土を爪で弾きながら先生を呼んだ。
「先生、帽子が落ちましたよ」
「ありがとう」

体を半分起こしてそれを受け取った先生は、起き上がるでも寝るでもないその姿勢のまま、奇妙なことを私に尋ねた。
「突然ですが、君の家には財産がたくさんあるのですか?」
「あるとは言えません」
「どれくらいあるのですか。失礼ですが。」
「どれくらいって、田畑が少しという程度で、お金はほとんどないですよ」

先生が私の家の経済状況について、こんなに真剣に尋ねたのは初めてだった。私はまだ先生の生活について一切聞いたことがなかった。先生と知り合って初めて、彼がどうして自由な時間をもてあましているのか疑問に思った。その後も、私の心には絶えずその疑問があったが、そんなぶしつけな質問を直接先生にすることは避けていた。若葉の色に目を休ませていた私の心は、ふとその疑問に触れた。

「先生はどうですか?どのくらいの財産を持っているんですか?」
「私が財産家に見えますか?」

先生は普段から質素な服を着ていた。家族も数人で、住まいも広くはなかった。しかし彼の生活には何か物質的に豊かな雰囲気があるのは、外から見ている私にも明らかだった。要するに先生の生活は贅沢ではないが、無理して節約してるわけでもなかった。

「そうだと思います」
「そうですね、それくらいのお金はあります。でも、決して財産家ではありません。財産家ならもっと大きな家を建てるでしょう」

この時、先生は起き上がって縁台にあぐらをかいていたが、そう言い終わると竹の杖で地面に円を描き始めた。それが終わると、すぐに杖を真っ直ぐに立てた。

「実を言うと、私も元は財産家だったんですがね」
先生の言葉は半分独り言のようだった。それに続ける私が黙ってしまったのを見て、先生は言葉を再び私に向けた。

「私の家もね、元は財産家なんですよ」
と言い直すと、先生は私の顔を見て微笑んだ。私はそれにどう答えたらいいのかわからず、ただ無言でいた。

それから先生は話題を変えた。
「君の父親の病気はその後どうなりましたか?」

私は正月以来父の病気について何も知らされていなかった。毎月国から送られてくる小切手と共に届く簡単な手紙は、いつも父が書いており、病気の経過についてはほとんど触れられていなかった。しかも字もしっかりしていて、震えが文字を乱している様子もなかった。

「特に何も言ってきませんから、もう大丈夫なのでしょう」
「それはいいことだが、病気はそれなりに深刻なものだからね」
「やはり駄目でしょうか。でも、当分は持ちこたえているでしょう。何も言ってきませんよ」
「そうですか」

私は先生が私の家の財産について聞いたり、父の病気について尋ねたりするのを単なる会話として聞いていただけだった。しかしその背後には、もっとうまく絡み合った大きな意味が隠れているのだった。先生の経験を知らない私には、それが理解できるはずもなかった。


第二十八節 悪人

「君の家に財産があるなら、今のうちにきちんと手配をしておくことをお勧めするよ。余計な世話だけどね。君の父さんが元気なうちに、もらうべきものはしっかりもらっておいたほうがいい。万が一のことがあった後で、一番面倒なのは財産の問題だから」
「ええ」
私は先生の言葉にあまり関心を示さなかった。私の家族でそんな心配をしている人は、私だけでなく父も母も含めて誰一人いないと信じていた。さらに、先生が言うことの現実的な面に少し驚かされたが、年長者への敬意から何も言わずにいた。
「お父さんが亡くなることを今から考えて口にするのが不快だったら、許してください。でも人はいつかは死ぬんですから。どんなに元気な人でも、いつ死ぬかわからないからね」
先生の口調は普段と違い、少し苦々しいものだった。
「そんなことは全く気にしていません」と私は述べた。

「君に兄弟は何人いたのですか」と先生が尋ねた。
先生はその後も、私の家族の人数や親戚の有無、叔父や叔母の様子について尋ねた。最後にこう言った。
「みんないい人たちですか?」
「特に悪い人というわけではないですよ。大抵地方の人ですから」
「地方の人たちはなぜ悪くないんですか」
私はこの追求に困ったが、先生は私に答えを考える時間さえ与えなかった。
「地方の人たちは都会の人たちよりも、むしろ悪いこともある。それから、君は今、自分の親族に悪い人はいないようだと言いましたね。でも君は、悪人という一種の人間が実際にいると思ってるのですか?
そんな型にはまった悪人なんて世の中にはいないですよ。みんな普通はいい人なんです。少なくともみんな普通の人。重大な瞬間になって急に悪人に変わるのが怖いんです。だから油断できないのです」

先生の話はまだ続くようだったが、そこで私が何か言おうとしたとき、後ろの方で犬が急に吠え出した。先生も私も驚いて後ろを振り向いた。
縁台横から裏まで伸びる杉の苗木のそばで、熊笹が数平米ほど地面を覆って育っていた。犬はその顔と背中を熊笹の上に出して、元気に吠えていた。そこへ10歳くらいの子どもが走って来て犬を叱った。子どもはバッジがついた黒い帽子をかぶったまま先生の前へ回って一礼した。
「伯父さん、入ってくる時、家に誰もいませんでしたか?」と尋ねた。
「誰もいなかったよ」
「お姉さんやお母さんが裏にいましたよ」
「そうか、いたのかい」
「はい。伯父さん、こんにちはって、断ってから入るといいんですよ」
先生は苦笑いして、ポケットから財布を取り出し、5銭硬貨を子どもの手に握らせた。
「お母さんにそう伝えてくれ。ここで少し休むからって」
子どもは賢そうな目で笑いをこぼしながらうなずいて見せた。
「今、斥候長やってるんです」
子どもはそう言って、ツツジの間を下の方へ走り下りて行った。犬も尾を振りながら子どもの後を追いかけた。しばらくすると、同じぐらいの年齢の子どもたちが2、3人、やはり斥候長の下へと走って行った。


第二十九節 いざという時

先生の話は、その犬と子どもたちのせいで、結論に至ることなく終わってしまい、私は結局何が言いたかったのかを把握できないままだった。その時私は、先生が気にしている財産のことなど全く考えていなかった。私の性格もそうだし、その時の環境もそういう思考に余裕を与えていなかった。世間を知らなかったし、具体的な状況にも直面していなかったから、若い私にとってお金の問題は遠いものに感じられた。

先生の言葉の中で私が本当に理解したかったのは、「人間はいざという時には誰でも悪人になる」という部分だった。これは単なる表現としては、私にも理解できた。しかし、その言葉の本当の意味をもっと知りたかったのだ。

犬と子どもたちが去った後、広い若葉の庭は再び元の静けさを取り戻した。私たちはしばらく動かないでいた、まるで静かに制止されたように。その時には、美しい空は徐々に光を失い始めていた。目の前の木々はほとんどがカエデで、その枝に新しい軽い緑の葉が、おびただしい数、露に濡れているように見えた。遠くの道で荷車を引く音がごろごろと聞こえてきた。私はそれを、村の人が植木か何かを積んで市へ行くのだろうと想像した。先生はその音を聞いて、まるで瞑想から覚めたかのように急に立ち上がった。

「もう、そろそろ帰りましょう。日が長くなったとはいえ、こう静かにしていると、いつの間にか日が暮れていくものですね」

先生の背には、さっき縁台で寝転んでいたときの跡がいっぱいついていた。私は両手でそれを払った。

「ありがとう。汚れがついていませんでしたか?」
「綺麗に落ちましたよ」
「この羽織はこの前買ったばかりなのです。無理に汚して帰ったら、妻に叱られますからね。ありがとうございます」

二人は家の前に再び来た。入る時は誰もいなかった縁側に、奥さんが15、16歳の娘と一緒に、糸巻きに糸を巻いていた。大きな金魚鉢の横を通り、「お邪魔しました」と挨拶をした。奥さんは「お構いなく」と返事をして、先ほど子どもに渡した5銭硬貨のお礼を言った。

門を出て数ブロック歩いたところで、私はつい先生に話しかけた。

「さっき先生が言っていた、人間は誰でもいざという時に悪人になるっていうのはどういう意味ですか?」
「意味というと、深い意味はありませんよ。ただの事実です。理屈ではなくて」
「事実はわかりますが、私が聞きたいのは、「いざという時」ということです。どんな状況を言うんですか?」

先生は笑い出した。それは時機が過ぎた今、もはや熱心に説明する気がないかのようだった。

「金のことですよ、君。金を前にすると、どんな正直な人でもすぐに悪人になるんです」

私には先生の返事があまりにもありふれたものでがっかりだった。先生が気乗りしない様子で、私も拍子抜けしてしまった。私はすぐに早足で歩き始めた。すると先生は少し後れて、「おーい」と呼びかけてきた。

「見てくださいよ」
「何をですか?」
「君の気分だって、私の一言でさっきと変わったじゃないですか」

私が立ち止まって先生のことを待ち、振り向いて見ると、先生はそう言った。


第三十節 興奮

その時の私は心の中で先生を少し腹立たしく思った。一緒に歩き始めてからも、自分が聞きたかったことをあえて聞かずにいた。しかし、先生の方は私の態度を気にする様子を全く見せず、いつものように沈黙して落ち着いた歩調を保っていたので、私は少し怒りを感じてしまった。なんとかして先生を言い負かしてやりたくなった。

「先生」
「なんですか?」
「先生はさっき少し興奮されましたね。あの植木屋の庭で休んでいた時に。私は先生が興奮するのをめったに見たことがないのですが、今日は珍しいところを見たようです」

先生はすぐに返事をしなかった。私はそれを何かの反応と思ったが、また当たりにもなっていないようにも感じた。しょうがないのでそのまま話さないことにした。すると、先生は突然道の端に寄り、きれいに刈り込まれた生垣の下で膝を曲げて小便をし始めた。私は先生が済ませる間ぼんやり立っていた。

「失礼しました」と言って、先生はまた歩き始めた。私はとうとう先生を言い負かすことを諦めた。私たちの通りはだんだん賑やかになり、今まで見えていた広い畑や平地は完全に視界から消え、左右の家並みが整ってきた。それでも時々、庭の隅にえんどうの蔓を竹に巻いたり、金網で鶏を囲って飼ったりするのが見られた。市中から帰る馬がすれ違った。これらのことに気を取られがちな私は、先ほどの問題をすっかり忘れてしまった。先生が話題に戻った時、私は本当に忘れていた。

「私がさっきそんなに興奮しているように見えましたか?」
「それほどではありませんが、少しだけ…」
「いえ、見えてもかまわないです。実際興奮していますから。私は財産の話になると必ず興奮します。君がどう見るかはわかりませんが、私はとても執念深い男なんです。他人から受けた屈辱や損害は、十年たっても二十年たっても忘れませんから」

先生の言葉は元の興奮以上に感じられた。しかし私が驚いたのはその調子ではなく、言葉自体が私に訴えた意味だった。こんな告白を先生の口から聞くのは私にとって全く予期せぬことだった。私は先生の性格の特徴として、こんな執着を想像したことがなかったし、先生をもっと気弱な人だと信じていた。そしてその弱さと高潔さに、私は愛情を感じていた。一時の気まぐれで先生に突っかかってみようとした私は、これらの言葉の前で小さくなった。先生は続けた。

「私は人にだまされました。血のつながった親戚からです。私はそれを絶対に忘れません。彼らは私の父が亡くなるとすぐに許しがたい裏切り者に変わりました。私は子どもの頃からずっと今日に至るまで、彼らから受けた屈辱と損害を背負わされています。おそらく死ぬまで背負い続けるでしょう。私はそれを忘れることができません。しかし、私はまだ復讐をすることなくいるんです。実際私は個人的な復讐以上のことを現に行っています。私は彼らを憎むだけではなく、彼らが代表する「人間」というものを、一般に憎むようになりました。私はそれで十分だと思っています」

私は慰める言葉さえも口に出せなかった。


第三十一節 過去

その日の会話は最終的には何も進展せずに終わった。むしろ私は先生の態度に畏縮して、話を進める気になれなかったのだ。

二人は市の郊外から電車に乗り、車内ではほとんど話をしなかった。降りた後はすぐに別れなければならなかった。別れ際の先生は、また様子が変わっていて、いつもよりも明るい調子で、
「これから6月までが一番楽しい時だね。もしかしたら一生で一番だろう。精を出して遊びたまえ」
と言った。私は笑って帽子を取り、その時見た先生の顔から、彼が本当に人間一般を憎んでいるのか疑問に思った。その目や口からは厭世的な影は見えなかった。

私は思想上の問題で先生から多大な利益を受けたことを認める。しかし、そのような問題については、利益を得ようとしても時々得られないことがあった。先生の会話はときには要領を得ないもので終わり、その日の二人の郊外での会話も、その要領を得ない例として私の記憶に残った。

遠慮のない私は、ある時先生にそのことを打ち明けた。
先生は笑い、私は言った、
「頭が鈍くて要領を得ないのはいいのですが、理解しているくせにはっきり言わないのは困ります」
「私は何も隠していません」と先生は言った。
「隠していますよ」と言ったら、
「あなたは私の思想や意見と私の過去とを混同しているのではないですか? 貧弱な思索家ですが、自分でまとめ上げた考えを無理に人に隠しはしません。隠す必要がないからです。しかし、私の過去をすべてお話しする必要があるとしたら、それはまた別の問題です」と先生は言った。
「それは別問題ではないと思います。先生の過去が生み出した思想だから重きを置くのです。両者を切り離したら、ほとんど価値がなくなります。魂が吹き込まれていない人形を渡されても満足できません」と私は言った。

先生はあきれたように私の顔を見て、手で巻きタバコを持ちながら少し震えた。「あなたは大胆ですね」と言った。
「私はただ真剣です。真剣に人生から教訓を受けたいのです」
「私の過去を暴いてもですか」と先生は言った。
「暴く」という言葉が急に恐ろしい響きをもって私の耳を打った。私は目の前の先生が罪人であり、ずっと尊敬していた先生ではないかのように感じた。先生の顔は青ざめていた。

「本当に真剣なんですか」と先生が再び問い詰めた。
「私は過去の因果で他人を疑うようになっています。だから実はあなたも疑っています。それでも、あなただけは疑いたくない。あなたは疑うにはあまりにも単純すぎる。私は死ぬ前にただ一人の人間を信じて死にたいと思っています。あなたはそのただ一人になれますか?なってくれますか? あなたは心の底から真剣ですか」と。
「もし私の命が真剣なら、私の言葉も真剣です」と私の声は震えながら答えた。

「良いです」と先生が言った。
「話しましょう。私の過去をすべてあなたに話しましょう。その代わり……いや、それはいいです。しかし、私の過去はあなたにとってそれほど有益ではないかもしれません。聞かないほうがいいかもしれませんよ。それに、今は話せないので、そのつもりでいてください。適当な時機が来るまでは話しませんから」と。

私は下宿に帰った後も一種の圧迫感を感じていた。


第三十二節 卒業

私の論文は自分が思っていたほど、教授にはよく印象づけなかったようだ。それでも、予定通りには卒業できた。卒業式の日には、かび臭くなった古い冬の服を押し入れから取りだして着た。式場に並ぶと、皆どれも暑そうな顔をしていた。暑さを通さない厚いラシャの服の下で、自分の身体が持て余されるように感じた。長い間立ち続けているうちに、手に持ったハンカチが湿ってしまった。

式が終わるとすぐに帰り、裸になってしまった。下宿の二階の窓を開け、当ても無く巻かれた卒業証書の穴から、見える限りの世界を眺めた。それからその卒業証書を机の上に投げ出し、部屋の真ん中に大の字になって寝転んだ。寝ながら、自分の過去を振り返り、未来を想像した。その中で切れ目を作っている卒業証書は、なんとも奇妙で意味あるような、または意味のないような紙だと思えた。

その夜は先生の家で夕食に招かれた。卒業したらその日の夕食は先生の食卓でとるという約束だった。食卓は約束通り、座敷の縁近くに設けられていた。模様の織り込まれた厚くて硬いテーブルクロスが、美しくて清潔に電灯の光を反射していた。先生の家で食事をする時は、必ずこのような白いリネンの上に箸や茶碗が置かれていて、いつも洗濯されたばかりの真っ白なものだった。

「カラーやカフスと同じことです。汚れたものを使うくらいなら、むしろ最初から色の付いたものを使った方がいいですよ。白いのなら純白でなければ」と言われてみると、確かに先生は潔癖だった。書斎なども実に整然と片付いていた。不精な私には、先生のそういう特徴がしばしば印象的に映った。「先生は神経質ですね」と奥さんに言ったことがあるが、奥さんは「でも、服などはそんなに気にしないみたいですよ」と返していた。それを聞いていた先生は、「実を言うと、私は精神的に神経質なんです。だから絶えず苦しいんです。考えてみると、本当にばかばかしい気質だ」と笑っていた。精神的にというのは、一般的に言う神経質という意味か、それとも倫理的に潔癖という意味か、私にはわからなかった。奥さんにとってもはっきりしないようだった。

その夜は先生と向かい合って、いつもの白いテーブルクロスの前に座った。奥さんは二人を左右に配置して、ただひとり庭を向いて座った。「おめでとう」と先生が杯を持ってくれた。その杯に私はそれほど嬉しいとは思わなかった。もちろん自分自身の心がその言葉に飛び上がるような反応を示していなかったからだろう。しかし、先生の言い方にも、わくわくするような調子はなかった。先生は笑いながら杯を持ち上げたが、その笑顔にちっとも意地悪な皮肉は見られなかった。同時に、心からの祝福も感じ取ることができず、先生の笑いは「世の中はこのような場合に良くおめでとうと言いたがるものだ」と私に教えているようだった。

奥さんは「よかったわね。きっとお父さんやお母さんも喜んでいるでしょう」と言ってくれた。私は突然、病気の父のことを思い出し、この卒業証書を持って行って見せようと思った。「先生の卒業証書はどうされたんですか」と尋ねると、「どうしたかね。まだどこかにしまってあるかな」と先生が奥さんに問いかけた。「ええ、たぶんしまってあるはずです」と奥さんが返答した。しかし、卒業証書の行方については、どちらもはっきりとは知らなかった。


第三十三節 職業

食事の時間になると、奥さんは隣で座っていた家の手伝いを席を立たせ、自分が料理の配膳をする役を引き受けた。これはおそらく、あまりかしこまらない客に対する先生の家の習慣だったと思う。最初のうちは私も気を遣ったが、何度も通ううちに、食器を奥さんに差し出すことが何ともなくなった。

「お茶?ご飯?ずいぶんよく食べるのね」
奥さんも時々遠慮なくそういったが、その日は季節柄、皮肉を言われるほど食欲があるわけでもなかった。
「もう終わり?あなた、最近とても食事量が少なくなったわね」
「少なくなったのではありません。暑くて食べられないのです」

奥さんは手伝いを呼んで食事の後片付けをさせた。それから、特別に自家製のアイスクリームやフルーツを出してくれた。
「これはうちで作ったのよ」
手のかからない奥さんには、自作のアイスクリームを客に出すだけのゆとりがあるらしい。私はそのアイスクリームを二杯もおかわりさせてもらった。

「君もそろそろ卒業したが、これから何をするつもりですか」と先生が尋ねた。先生は半分縁側の方に席を移し、敷居の所で背もたれに障子を使っていた。
私にはただ卒業したという自覚しかなく、これから何をしようかという具体的な計画もなかった。答えに困っている私を見て、奥さんが「教師になるの?」と聞いた。それも答えないでいると、「では公務員?」と続けて尋ねられた。私も先生も笑い出した。

「実を言うと、まだ何をするか決めていないんです。職業について真剣に考えたことがないんですから。どれがいいか、どれが悪いか、実際に経験してみないとわからないから、選ぶのに困っているんだと思います」

「それもそうね。でもあなたは結局お金があるから、そういうのんびりしたことを言ってられるのよ。本当に困っている人だったら、あなたのようにはいられないわ」

私の友人には、卒業前から中学の教員の職を探している者がいた。私は心の中で奥さんの言う現実を認めながら、こう返した。

「少し先生に影響されたのでしょうね」
「良い影響じゃないみたいね」と先生は苦笑しながら言った。
「影響されてもいいけど、先日言った通り、お父さんが生きているうちに、十分な財産をわけてもらっておくことです。それがないと、安心はできないから」

私は先生と共に、郊外の植木屋の庭で話した、あのツツジが咲いている五月の初めのことを思い出した。帰り道で、先生が興奮して私に語った力強い言葉を、また耳の奥で反芻した。それらの言葉は力強いだけでなく、むしろ恐ろしいものだった。しかし、私は実際のところを知らないので、その意味を完全には理解できなかった。

「奥さん、お宅の財産はたくさんあるのですか」
「どうしてそんなことを聞くの?」
「先生に聞いても教えてくれないからです」
奥さんは笑いながら先生を見た。

「教えてあげるほどないんじゃないの」
「でもどのくらいあれば、先生のように過ごせるのか、家に帰って父と話し合うときの参考にしたいので教えてください」
先生は庭を向いて、じっくりタバコを吸っていた。答える役は奥さんだった。
「どのくらいってほどはないわよ。まあこうしてなんとか暮らしていけるだけ。でも、それはさておき、あなたはこれから何かする必要があるわ。先生のようにぼんやりしていてはダメよ」
「ぼんやりばかりしているわけじゃない」と、先生はちょっと顔をこちらに向け直し、奥さんの言葉を否定した。


第三十四節 先

その夜、10時を過ぎてから先生の家を出た。数日以内に実家に戻る予定だったため、席を立つ前に別れの言葉を述べた。
「しばらくお会いできないので」
「9月にはまた東京に戻ってくるのでしょう?」
卒業した今、必ず9月に戻る必要はなかったが、暑い8月を東京で過ごすつもりもなかった。私にはこれからの進路を決めるための貴重な時間が必要だった。
「まあ、9月ごろには戻ってくるでしょう」
「それでは、楽しい旅行を。私たちもこの夏、もしかしたらどこかに出かけるかもしれません。暑いからね。もし行ったら、絵葉書でも送りますよ」
「どちらへ行くお考えですか?もし行かれるなら」
先生はにやにや笑いながらこの会話を聞いていた。
「まだ行くかどうか決めていないんです」

席を立とうとした時、先生は急に私に声をかけ、「ちなみに、お父さんの病気はどうですか?」と尋ねた。私は父の健康についてほとんど知らなかった。連絡がないということは、悪くないだろうと思っていた。
「それはそんなに軽視できる病気ではないですよ。尿毒症が出ると、もう手遅れですから」
尿毒症という言葉の意味も私にはよく分からなかった。冬休みに帰省した時、医者はそんな専門用語は使わずに説明してくれた。
「本当に注意しておいてください」と奥さんも言った。「毒が脳に回ると、もう手遅れですから。冗談ではありません」
未経験の私は何となく気分が悪くなりつつも、笑っていた。
「どうせ助からない病気らしいから、心配してもしょうがないです」
「そう割り切れば、それまでですね」
奥さんは以前同じ病気で亡くなったお母さんのことを思い出したのか、暗い声で言って、うつむいた。私も父の運命に本当に気の毒な気持ちになった。

それから先生は急に奥さんの方を向き、
「しず、お前は僕より先に死ぬだろうかね」
「どうして?」
「単に聞いてみたいだけだ。それとも、僕の方が先に死ぬのかな。大体、夫が先に死んで、妻が残るのが普通だけどね」
「そう決まったわけではありません。でも、男性は大体年上ですから」
「それが先に死ぬ理由になるのかね?それなら僕も君より先に死ななくてはならないか」
「あなたは特別です」
「そうかね?」
「だって健康そのものですもの。病気したことがほとんどないではありませんか。それを考えたら私の方が先ですわ」
「先かな」
「ええ、絶対先です」
先生は私の顔を見た。私は笑った。
「しかし、もし僕が先に行ったら、お前はどうする?」
「どうするって……」
奥さんは言葉に詰まった。先生の死を想像する悲しみが一瞬彼女の心を打ったようだった。しかし、顔を上げた時には、もう気持ちを切り替えていた。
「どうするって、しょうがないですよね。老若不定って言いますし」
奥さんは特別に私の方を見ながら、冗談めかしてそう言った。


第三十五節 縁起

腰を再び椅子に下ろし、二人の会話に付き合いながら、話に区切りが付くのを待っていた。
「君はどう思う?」と先生が聞いてきた。
私には先生が先に亡くなるのか、奥さんが先かなど、判断できる問題ではなかった。だから、私はただ笑っていた。
「人の寿命はわかりませんからね。私にだって」
「こればかりは本当に運命よ。生まれた時に定められた年数を持ってくるんですから。先生のお父さんやお母さんはほぼ同時期に亡くなりましたね」
「同時に亡くなったんですか?」
「まさに同じ日というわけではありませんが、でもほぼ同時です。続けて亡くなったんですから」
この話は私にとって新しい情報だった。不思議に思い、
「どうして同時に亡くなったんですか?」と尋ねた。
奥さんは私の質問に応えようとしたが、先生がそれを遮った。
「そんな話はやめておこう。つまらないから」

先生は手に持ったうちわをわざとバタバタさせ、再び奥さんを見た。
「しず、僕が死んだら、この家を君にやろう」
奥さんは笑い出した。
「それなら土地もくださいよ」
「土地は他人のものだから遺せませんが、僕が持っているものは、全部君に遺しますよ」
「ありがとうございます。でも、洋書なんかもらっても困りますね」
「古本屋に売ればいいさ」
「売ったらいくらくらいになるんですか?」
先生はいくらになるかは述べなかったが、会話は自分の死という遠い問題から離れなかった。そして、その死は必ず先に訪れるものとして想定されていた。奥さんも最初は冗談めかして応じていたが、徐々に感傷が込み上げて来た。
「僕が死んだら、僕が死んだらって、一体何度も言うんですか。もういい加減にして。縁起でもない話はよしてください。あなたが死んだ後は、あなたの思い通りにしてあげるから、それでいいじゃありませんか」
先生は庭の方を向いて笑ったが、その後はもう奥さんが嫌がる話をしなくなった。

私も長く居過ぎたと感じ、すぐに席を立った。先生と奥さんは玄関まで見送ってくれた。
「お父さんのご病気、お大事に」と奥さんが言った。
「また九月に」と先生が言った。
私は挨拶をして、玄関の外に足を踏み出した。玄関と門の間にあるもくせいの木が、夜の中に枝を広げていた。数歩歩きながら、暗がりの中で葉に覆われたその木を見上げ、これから来る秋の花と香りを想像した。私はずっと、先生の家とこのもくせいを、一体として記憶していた。もくせいの木の前に立ち、再びこの家の玄関を越えるであろう秋を思い描いた時、先に見えていた家の電灯が突然消えた。先生夫婦は中に入ったようだった。私は一人で暗い通りに出た。

ただちに下宿には戻らず、実家へ帰る前に必要な買い物があったし、ごちそうを食べた胃を休ませる必要もあったので、賑やかな町の方へと歩いて行った。町はまだ宵の口で、用のないような男女が歩いていた中で、今日卒業した友人と出くわした。彼は私をバーに無理やり連れて行き、ビールの泡のように軽い話を聞かせた。私が下宿に戻ったのは12時を過ぎていた。


第三十六節 軽薄

前日の熱い中、頼まれた物を一つずつ買い集めて歩いた。手紙で頼まれたときは簡単だと思っていたが、いざ買いに行くと大変面倒なものだった。電車の中で汗を拭きながら、他人の時間も手数も気にしない田舎者の無神経さが腹立たしく思えた。

この夏を無為には過ごしたくなかった。国へ帰った後の計画を立てており、それを実行するために必要な本も手に入れる必要があった。丸善の2階で半日を過ごすつもりで、自分の専門分野の本棚を隅々まで調べていった。

最も困ったのは女性の半襟だった。店員に頼むと色々出してくれるが、どれを選んだらいいか迷うだけだった。価格も定まらず、安いと思ったら高かったり、逆もまた然りで、比べても価格の差が分からないこともあった。全く困惑し、先生の奥さんに相談しなかったことを後悔した。

鞄も買った。和製の安い品だが、金具が光っていて田舎者を威嚇するには十分だった。これも母の注文で、卒業後に新しい鞄を買って、お土産を入れて帰ってくるようにと書いてあった。その指示を読んで笑ったのは、母の提案が滑稽に感じられたからだ。

先生夫婦に別れを告げた通り、三日後の列車で東京を発ち、国へ帰った。先生から父の病気について色々注意を受けていたが、心配していなかった。むしろ父がいなくなった後の母のことを心配して、父がまもなく亡くなると覚悟していたとしか思えなかった。九州にいる兄には、父が元の健康に戻る見込みがないことを書いた。一度は職務のことがあろうが、とにかくこの夏に一度家に戻ってくるようにとさえ書いた。また老いた両親が田舎で二人きりでいることは、子として哀れに思っているとも書いた。心に浮かんだままを素直に書いたが、書いてからの気持ちは書いているときとは違った。

列車の中で、そうした矛盾について考えた。自分が勝手で軽薄な人間のように感じ、不快になった。また先生夫婦のこと、特に二、三日前の晩ご飯に呼ばれたときの会話を思い出した。

「どちらが先に亡くなるだろうか」

その疑問を独り言で繰り返し考えた。だれも自信を持って答えることはできないと思った。しかしもしどちらが先に死ぬかがはっきりしていたら、先生はどうするだろうか。奥さんはどうするだろうか。そう考えると、先生も奥さんも、今のままの態度以上にすることはないと思えた。病気の父がいる国元に戻る私が、何もできないのと同じように。
私は人間をはかないものに感じた。 人間のどうする事もできない持って生まれた軽薄を、はかないものに感じた。


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