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授業中、水を飲む時は許可がいるのか?

2024年3月27日、「授業中に水(やガム)を、教員の許可なく摂取するのはどうなのか?」ということについて、ひつじ(かっぱの赤ちゃん)さんと、私(れい先生@中高不登校コンサル)の間で下記のようなやりとりがありました。

このやり取りは、約30万回閲覧され、リプやコメントもたくさんいただきました。私自身興味深いトピックだったので、改めてこの問題について掘り下げ、言語化を試みることにしました。


まず考えたいのは、Mahiro.Tさんにコメントいただいた視点ですが、「そもそも授業は誰のためにあるのか?」についてです。

授業のお金は誰が払っているか?を考えると、その子の親や、広く見れば納税している国民全員と言えます。
国民全員や親が、「次世代を担う子どもたちに成長してほしい」という思いでお金を出し、授業が行われているということです。
つまり、Mahiro.Tさんもおっしゃる通り、授業は「子どもたちの成長のために」行われているものといえるでしょう。

実際、私も授業をする時には「目の前の生徒たちのためになっているか?」を基準にプリントを作ったり、話をしたりします。(きっと、ほとんどの先生がそこは意識しているんじゃないでしょうか。)

しかし、この「子どもの成長のため」というのが難しい。
何をもって「成長」とするか……その評価観点は、個人の考えに左右されてしまうことだからです。
今回は、次の2つの観点から考えてみます。


①「子どもの成長」=「授業内容の吸収」とする場合
これはつまり、「授業における子どもの成長」を、先生が話した内容をしっかり聞く・先生が課した課題を集中して解く…と限定するという意味です。
もっと平たくいうと「成長」=「成績を上げること」とも言えますね。日本のテストの多くは、先生が授業で言ったことが出ますから。

さて、そのような場合に「授業中に水を飲んだり、ガムを食べる」と、どうなるでしょうか?

水を飲むことは熱中症の予防になったり、ガムを食べることは集中力が増す、という見方があります。
人は誰しも熱中症になってしまえば、頭がボーッとして先生の話なんて聞いてられませんし、子どもの特性によっては、Steph🍉さんが仰るように、「ガムを噛むことで、より効果的に先生の話が聞ける」という子もいるかもしれません。

こういう面に着目すると「子どもの成長のためには、水もガムも許されるべき」ということになるでしょう。

しかし、たとえば子どもが幼く、「必要以上に水やガムを摂取してしまい、お腹を下す」などの事例が出てくると、結論は逆転します。
そうなってしまうと、その子は授業に集中できなくなってしまうわけですから、「水やガムは制限すべき」「せめて教員の許可をとるべき」ということになるでしょうね。

もちろん、生徒が高校生くらいであれば、「自ら水やガムを摂取しすぎて体調を崩す」なんてことは滅多に起きないと思いますが、このへんは最終的には生徒本人によるでしょうね。日々のニュースで痛いほど実感しますが、大人でもアホなことをやる人は20歳超えてもやらかしますし、小学生でも分別がしっかりある子もいますから。

つまり、①の結論としては、「生徒本人が、授業内容の吸収において、水やガムを有効に使える能力がある場合においてのみ、教員の許可なく自由にされるべき」という感じになるでしょうか。


②「子どもの成長」=「社会常識やマナーを知る」とする場合
これは、授業で先生が話す内容を直接的に吸収する…というよりは、空気を読むなど、コミュニケーション文化を学ぶ、ということです。

一度でも日本で学生生活を送った人は分かると思うのですが、私たちは学校で、単純に教科の内容だけを学ぶわけではありません。教室で過ごす中で、「先生でも間違うことはあるんだ」とか「挙手すると浮くかも」といったこともメタ的に学んでいます。

ただ、このあたりで学ぶことは、「授業内容」よりかなり、その国の文化や時勢に左右されることになると思います。あまり普遍的なことではないですし、教師のコントロール外で学びが起こることも多々あると思います。

では、この場合において「授業中に許可なく、水やガムを口にする」のはどうか。

「授業」というものを、「教師=目上の人が話している場」と解釈すると、そこで許可なく水やガムを口にするのは、「目上の人が話している時でも、許可なく水を飲んだりガムを食べてもいい」と言外に教えることになってしまいます。

それは日本の社会常識やマナーに反しますから、「尊敬すべき相手が話している時に水やガムを摂取するのは控えるべきだ」というのを教えるために、「水やガムは制限されるべき」「せめて教員の許可を取るべき」ということになるでしょうね。

実際2014年に、かのオバマ大統領が、式典でフランスの国歌が流れる最中にガムを噛んでいたとして、日本だけではなく海外からも批判を受けたというニュースもありましたから、なんならこの社会常識やマナーは、「日本」だけではなく「世界的な」ものだとも言えるかもしれません。

まぁここには、はたして「教師は、尊敬すべき目上の人間」として定義されるべきなのかどうか……という、議論の白熱しそうな問題を孕んでいるわけですが……
(実際この角度から、リプをくださった方もおられました。)

まとめますと、②の場合は、「教師を尊重すべき他者だと考える場合においてのみ、水やガムの摂取は制限されるべき」ということになるでしょうね。


余談ですが、これを機に考えさせていただいた結果、私としては「教員の許可なく、水やガムの摂取を自由にしてもいい」というのがしっくりきます。
というのも、私にとって授業の目的は、やはり授業内容そのものの吸収、に重きが置かれますし、そもそも生徒全員が社会常識やマナーを学ぶ必要がないとも考えているからです。

社会常識やマナーに関しては、同じ国・同じ時代でもダブルスタンダードに陥ることは珍しくありませんし、誰も思いつかないような面白いものを生み出せる人の中には、社会常識やマナーに馴染めない、あるいはそれらが理解できない人が一定数いるのではないか、という予感も持っています。

……さすがに、オバマ大統領レベルの立ち位置なら、則るかどうかは別として、「各国の社会常識・マナー」みたいなことを頭に入れておいてもいいのかな、という気もしますが。
(オバマ大統領が、知った上でガム噛んでたのか、知らずにガム噛んでたのかは分からないので、適当言ってます)

「水やガムを摂りすぎると、トイレが近くなったり、お腹を下すことがある」みたいなことも、転ぶ前に大人が教えるんじゃなくて、実際自分でお腹を下す(=転んで失敗する)方が、自分の体のことを知る機会になると思うので、それも含めて「自由でええやん」と思います。

ただ、私は今まで中学・高校で教鞭をとってきましたので、どう考えても「お腹下しマン」はせいぜい学年に1〜2人と予想され、たとえば小学2年生の先生だとこうは言えないかもしれません。
(ごめんなさい、これも小学校2年生の実情を知らないので適当言ってます)


最後までお読みいただき、ありがとうございました。
蛇足ですが、この記事は、「私って、理解ある先生でしょう?」ということが言いたくて書いたわけではありません。
私を「いい先生ですね」と言ってくださる方もいれば、「排除されるべき先生」いう方がおられるのも理解しているつもりです。教師だからどうこう、ではなく、人間誰しもそういうものだと考えています。誰かにとってのヒーローは、別の誰かにとってはヴィランで、万人にとってのヒーローはいません(逆に、万人にとってのヴィランもいません)。

ただ、多くの人になじみ深い学校や教師というトピックについて、どなたかが、なにか考えるきっかけになれば……と思い書きました。思ったところがあれば、どうぞ遠慮なくコメントください。


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