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ALSの夫が5年ぶりに綴った言葉とは・・・?②

あまりの言葉に絶句(涙)、でも・・

「やっているという態度にはうんざりだ」という言葉が頭の中でリフレインしている私は、確認のため恐る恐る聞きました。「これは私への言葉?」。

ゆっくりとした瞬きではっきりとyes。

どういう意味なのか?恩着せがましい態度で介護しているということなのか。傲慢な態度だというのか。なにか嫌なことを言ったりやったりしただろうか・・?

そして、ぐわーっと怒りがわいてきました。つい最近、noteの『介護に疲れたら☆心をちょっと楽にするコツをお伝えします』の記事で、アドバイス的なことを書いたのがちょっぴり恥ずかしくなるようなドツボにはまっていきました。とほほ・・

そして絞り出した私の言葉。「やっているという態度じゃなくて、実際やってるんだもん。11年も・・涙」。

あー、パンチに欠ける。パンチを効かせようと次の言葉。「悲しいよ。そんな人大っ嫌い!!いくら不満があったって、まずはありがとうって言ってから言えばいいじゃん。人間としてどうなの?もう実家のお母さんに返すわ!」。夫の表情は怒っているというよりシュンとしていました。

ん?まてよ。夫の一言に対して私は何倍返しをしてるんだろ!?

そういえば、ここ数年yes.noでしか意思表示できない夫に対して、どれだけ自分のことばかり話してきたのだろう。考えを押し付けたことはなかったか?やってあげてる、感謝されて当然という傲慢な気持ちは1ミリもなかったか?夫のせいでこんな大変な生活になっているという考えがよぎったことはなかったか。

そんなことは全くありません、と言えないからこそ、図星をさされたようで夫の言葉に怒りがわいてきたのではないだろうか。

夫はもともとおしゃべりで、その日の出来事をはじめ、物事に対する考えや、興味があるマニアックな知識などをよく話してくれていました。文章を書くのも好きでした。家族を守るという意識を他のお父さんたちと同様に強く持っていました。そんな人がしゃべれない、書けない、自分のことさえできないのですから、辛さは想像以上だったろうとあらためて思いました。

自分と向き合って

私は自分と向き合う時間が必要でした。

なぜあんな言葉を言わせてしまったのか。この出来事は私にとってどんな意味があるのか。私にとって夫の存在とは?これからどうしたいのか。どんな未来を描いているのか、などを自分に問いました。

そして、 

夫の言葉をそのまま受け入れることにしました。思い余って綴ったあの言葉。心の外に出せたことで少しはスッキリしたのではないかな。またこの出来事は私の自信のなさや、罪悪感の反映でもあったのではないだろうか。

夫の人生に巻き込まれているのではなく、自分がこの人生を選択しているのだと再確認しました。だって、離婚したっていいし、入院してもらうこともできるのに、あえて今の生活を続けてきたのですから。人生の相棒としてこれからも共に冒険していこう(夫が同じ気持ちなら)。二人とも聖人じゃないので、また同じようなことを繰り返してしまうかもしれないけれど。

大揉めから仲直りへ

そんなことを考えていたら、夫がまた言葉を綴りました。「・・ままごごめごめ・・」。謝ってくれてるの?と聞くと、瞬きでyes。

「許す!こっちこそごめん」

なんとか一件落着しました。いやー今回は本当に参りました😂。

皆さんには、夫がALSでも普通の夫婦と同じように揉めたり仲直りしたりしてるんだな、くらいに思っていただけたら幸いです(笑)


うんざりだ事件で忘れていましたが、Cyinを使って言葉が綴れたのは夫が初めてなんだそうです。すごいですよね。これからどんな言葉を綴っていくのか、とても楽しみでもあり、怖くもあります。