見出し画像

生産性の呪いと子育て

久々に、ある友人と連絡をとった。大学も同じ、職場も同じで、実は数年前に私と同様夫に帯同して第一子の育休期間をアメリカで過ごした友人。

バックグラウンドが近い人との会話ってすごく楽だ、と、ふと思った。渡米後、色々な人と知り合おうと積極的にイベントに顔を出したりしてきたけど、どんなバックグランドの人なのか、どういう人生観・キャリア観を持っている人なのか知らない人と新しく出会うときって、独特の緊張があった。私と同じように駐在妻の立場の人が、私と同じ考えとはもちろん限らない。

その友人には、夫帯同の海外生活で「何もしていない」ことが時にしんどく感じてしまうこと、「生産性の呪い」のようなもので自分を縛り付けてしまうことを、正直に伝えた。というか、同じバックグラウンドの人にしかなかなか伝えられないなと感じ、溜めてきてしまっていた色々な気持ちを聞いてもらった。

これまで会社では”○○主任”と呼ばれ、突然”△△さんの奥さん”になる。これまでの、がむしゃらに長時間働き、時間の合間を縫っては趣味の時間・友人との時間・家族との時間をパズルのようにはめるような生活から、突然自分の手元に時間が降って来て、一方で所属先や友人は全くない。車の運転もままならず、臨月に入り体の自由も効かない。東京の友人と久々にしゃべって「最近何してるの?」と聞かれるのが怖い。今日一日、一体何をしたんだろう、生産性のかけらもない…という気持ちになってしまう。

友人に、私も在米・育休中、自分の存在意義を見失って苦しい時期があったよ、と言われ、随分救われた。そしてさらに救われたのがこの言葉。

「次世代の人間を一人育てていることって、何よりも生産性のかたまりなんじゃない?」

ほわああああ~~~~なるほど。目からうろこ。胎児であっても、乳幼児であっても、たしかに人間を育てるってすさまじい生産だ。

彼女の言葉は、価値観が近いがゆえに、ものすごく刺さる。羅針盤のような言葉をもらって、自分を生産性の呪いから解放して、前向きに頑張ろうと思えた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?