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大人であるということは

大人であるということは、つまりどういうことなのでしょう。

私が成人したのは20歳の時でした。
でも成人式を迎えても、大人になった実感はまだなくて。

20歳の誕生日になったら何か変わるかな?と思っていたけれども、いざ誕生日を迎えても自分の内面が大人になった感覚はまだない。

海外に住んで、フリーランスで生計を立て、子供まで産んで。
他人から見れば「大人である」という部類には入るのだろうけれども、自分としては中身は16歳のまま変わっていない気がしてしまう。

もうすぐ30歳になるというのに、こんな未熟な自分を「大人です」っていうのはなんだか世間を欺いているというか、自分を偽っているような気がしてしまう。

でもそもそも「大人」って何なの?
小さい頃の私は、「大人」って、何でも正解がわかっていて、何でもできて、何でも正しい存在だと思っていた。

今なら、そんな人はどこにも存在しないって、わかっている。
それでも自分が追い求める「大人」像は、子供の頃のまま変わっていなかった。だからこそ、自分がいつまで経っても「大人」になりきれていないような感覚に囚われていたのかな。

私にとっての「大人」のハードルが高すぎたのかもしれません。


叶恭子さんのお言葉に、次のような言葉がありました。

「大人であるということ。
それは、自分の中の子供である部分に、正面から向き合える
ということです。」

叶恭子

この言葉を先月知って、私はとっても救われました。
人は誰もパーフェクトではないんです。
不完全な自分、子供である自分も認めてあげられるのが、大人であるということなのかな。
そう思うと、私も少しだけ大人に近づけたような気がします。



そもそも言葉の定義なんて、人間が勝手に作ったものなんだよなとも思ったりします。
ある言葉の絶対的に正しい定義なんてないんです。だからその言葉に、無理に自分が知っている物事に、無理に既存の言葉を当てはめようとしなくたっていいのかな。
言葉について考えていたら、考えがまとまらなくなってきました。言葉について考えること、また後日まとめたいと思います。


今日も最後までお付き合いいただきありがとうございました。
良い1日をお過ごしくださいね。

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