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瞑想のスランプは、鬱の始まりだった

前回この日記を書き、自分の絵とともにインスタグラムで鬱になっていたことを、記事のリンクを貼ってしれっと公表してみた。
インスタのキャプションなんてほとんどの人がじっくり読んでいないし、たまたま気づいて興味のある人だけ読んでくれたらいいな、くらいに思っていたら、意外にもたくさんの人が、わざわざプロフィールから飛んで私のnoteの記事を読んでくれ、読んだよ、と連絡をくれたり感想を送ってくれたりして、非常に驚いた。
ポジティブな投稿の多いプラットフォームで自分の精神的な不調を開示するのには勇気がいったが、久々にとても暖かい気分になった。
同じ状態でいる事を教えてくれた人もいて、一人で戦っているような気分はだいぶ薄らいだ。

サイコセラピーが自分に合っているのか、たまたまセラピストさんが合っているのか、メンタルが快方に向かっているのを実感している。本当にカウンセリングを始める事に踏み切って良かったと思う。

私は鬱が発症する数年前から、好きで瞑想を毎日続けていた。
瞑想を本格的に始めた時、私はある程度の貯えもあり、会社員という属性から離れフリーランスになったばかりで解放感もありメンタルが割と落ち着いていた時期だったので、これまで大きなスランプもなく数年間ほぼ毎日、苦も無く瞑想を続けていた。溺愛していた愛猫が死んでやさぐれている時も、瞑想は何とか続けることができていた。
それが鬱を発症する半年前くらいから、徐々に瞑想ができなくなっていた。約半年もの間瞑想をしていなかったのは、ここ数年で初めてだった。
セラピーを始めてからというもの、驚いたことにようやくまた瞑想をしたいと自然に思えるようになり、また抵抗もなくできるようになってきた。
今ではほぼ実生活に影響が出ない程度にまで回復はしているものの、コンピューターに向かって仕事をしていると、理由もなく動悸が激しくなったり不安な気持ちに襲われることがあるので、そんな時はベッドルームに移動し20-30分、静かに目を閉じて呼吸をすると、終わったころにはまたすっきりとして、机に向かう事ができる。

瞑想を実践している友人は、私の周りには数人しかいない。
もしかしたら、カルトや怪しいスピみたいなものだと思っている人もいるかもしれないので、あまり人には積極的にその話もしていない。
瞑想をしていることを伝えると、皆一様に、20分も何もせずに座っていることができないという。30分以上、時には1時間以上も何の苦も無く携帯画面のスクロールはできるのに、20分、無に身を委ねる行為はどうしてもできないという。
私の場合、今思い返せば瞑想ができなくなった事がそもそもの不調のサインだった。体というものは常に何かサインを出しているのだが、私達は理由をつけてそれを無視してしまう。
瞑想を始めようとすると、頭の中の声が止まらなくなる。
これが終わったら、あれをしなければいけない、これもしなければいけない、あ、メールも返さなきゃ、今日の夕飯はどうしよう、クレジットカードの支払いもしなきゃ、キャットフードはいつ買い足すんだっけ?…
そして、いけない、と思い直しまた瞑想に身を委ねようとすると、数秒もたたずに、また脳内のおしゃべりが始まる。
あのお仕事が流れてしまったのはなんでだろう、あの人はなぜこんな事を言ってきたのだろう、あのデザインはあそこをこうした方がいいかな…
ああ、ただでさえ時間が足りないのに、私は何をしてるんだろう。
脳内多動のような状態になり、座っていられなくなり、目を開けて時間を確認してしまう。無に身を委ねる気持ちよさが全く感じられなくなり、何もせずに座っている事にイライラして瞑想を始めても数分でやめてしまい、終いには、今日は忙しいし瞑想はやらなくてもいいよね、とスキップしてしまうようになった。

瞑想の先生に連絡をして、瞑想ができなくなったと伝えると、自分の体の感覚に集中してみて、とアドバイスされた。頭の感覚はどう?肩は凝っている?背中は痛くない?どこか痛みや不調を感じる部分があれば、それを感じてみて。その部分に感覚を集中させてあげる事で、自分の体の中に蓄積されている緊張感が少しずつリリースされるから。
今度はそれを試してみた。しかし、連日の作業でパンパンに張った肩の凝りは、手の痺れにまで進行し、頻繁に頭痛もする。食欲がない代わりに異常に甘いものを欲し、肌も荒れているしなんだかあちこちが痒い。体の感覚に集中しようとすると余計に不快な気分になった。
そもそも体調が良くないのに、リラックスなんてできるわけがないじゃん、と思い、時間や金銭に十分な余裕もないのに、何がマインドフルネスだよ、と、トゲトゲした気持ちの私はそのまま何ヶ月も瞑想をしなくなってしまった。
先生から、その後どうかと聞かれても、面倒なので、できるようになりました嘘をついた。自分の体の不調や心の変化を見ないようにして、時が解決するだろうとタカをくくっていた。この仕事が終わればまた元に戻るはずだから大丈夫と、日々の生活に追われる毎日が続き、そのモヤモヤを後回しにした結果、気づいたら鬱を発症してしまったのである。

瞑想がまたできるようになり、以前の心地よさを取り戻して初めて、瞑想の目的がクリアにわかった気がする。
瞑想もセラピーと同じく、自分に向き合う行為だったのだ。だから瞑想がセラピーと相性が良く、精神や身体の健康に良い影響を与えるのだという事が、鬱になって身を以て体感できた。説明をされて頭ではわかっていたつもりでも、腹に落ちていなかった事を思い知る。

鬱になって気付けた事は、たくさんあった。
それだけでも、鬱になった事って意味があるんだなと少しずつ考えられるようになってきた今日この頃である。


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