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猫が私に教えてくれている事

16歳の愛猫の末期癌が診断されてから、もう2週間が経とうとしている。
食事はほぼ水分のみ、確実に日に日に弱くなりながらも、落ち着いておとなしくしている。
話しかけて、撫でるとゴロゴロ喉を鳴らす。
私はここのところ、毎日泣いている。
食欲も相変わらずないので、アイスクリームとか、なるべくカロリーの高いものを食べている。
涙腺が緩みっぱなしで、ちょっと気持ちが昂ると、悲しいという感情を感じきる前に先に涙が出る。
私はイラストレーターなのだが、ここのところなかなか仕事や作業に集中できず、いつもは何時間も座りっぱなしで描ける絵も、すぐに手が止まってしまい、気づけばボーっとしているようなことが多い。
今までは、悲しい時には絵を描くことで癒されてきたけれど、自分の足もとでただひたすら、立派にその小さないのちを全うしようとしている愛猫に目をやるたびに、喉元にこみあげてくる何かを必死に押さえているので、風邪をひいているわけでもないのになんだかずっと、喉が熱くて、痛い。
何も描く気が起こらず、グルグルと思考してしまうので、今は自分のセラピーとして、そして未来の大事な思い出として、愛猫の闘病記を書いている。
まだ死んでもいないのにこんな状態じゃ、、先が思いやられる。

死は私の中で決してネガティブなものではない。自然の摂理の大事な一環で、人は近しい存在の死によって、普段忘れている精神性を取り戻すことが多い。ネガティブな意味でもポジティブな意味でも、大きな力と意味を持ち、いのちを全うしたお祝いのような死もあると思う。
そう考えているつもりでも、涙が自動的に流れるので、無理に感情を抑えないようにしている。
私は1年半ほど前から、家で仕事をしている。家にいる時間が長いからこそ、感情に向き合わなければいけない時間は多くなる。
泣いていない時間は、感情のスイッチがオフになっていて、麻痺しているような感覚だ。そしてまたしばらくするとふと涙が出る。その繰り返しだ。
本当に情けないけど、仕方ない。
ペットというものは時に家族以上の存在となる。
家族や友達やパートナーにさえ言えない事でも、私は愛猫に何でも打ち明けてきたし、病気の時も、悲しい事があった時も、ただただ寄り添ってくれる彼女は、海外で暮らす私の心の大きな支えだった。

去年の年末あたりから、なぜかペットの絵の依頼が増えて、何枚か描かせていただいたが、もともと動物の絵は得意な方ではないので、自分のペットの絵を描いたことがなかった。
私は自分の描いた愛猫の絵をカスタムオーダーでプリントし、クッションを作ることにした。
彼女の肉体が消えてしまっても、いつでも遊びに来れるように。
自分の性格上、しばらく落ち込むのは目に見えているので、抱きしめられる代わりの何かが必要だ。
写真ではなく、時間と気持ちを込めて絵を描こうと思った。
描きながら、これを描き終わったら死んでしまうんじゃないかという変な思い付きが頭を何度もよぎり、泣いては中断せざるを得なかったので、急いでいたもののなかなか筆が進まなかった。
いつもなら集中すれば1日数時間、3日もあれば終わるものが、1日のほとんどを彼女の一番近くにいれる作業机に向かっているのにも関わらず、とりあえずの完成までに1週間以上かかった。
他人のペットの絵を依頼された時には、その子がもうすでに亡くなってしまっている場合は特に、私は必ず祈りをささげる。
いただいた資料をなるべく感覚的に見て、表情を大事に描く。
通常、飼い主の好きなテイストに合わせたバックグラウンドなどを足して絵を1枚のデザインに仕上げるので、1枚1枚、全く趣味の異なる絵に仕上がるのが私のペットポートレートの特徴だ。

今回に限っては、愛猫の姿のみを描くだけで精いっぱいだった。
彼女との思い出は山のようにあるのに、創造的な気持ちが今は全く沸いてこない。
それでも、私が知る彼女らしさを詰め込んだ絵ができた。嬉しい時に前足をモジモジさせて、喉を鳴らしながら上目遣いに見つめてくる彼女そっくりの絵が完成して、無事にクッションが出来上がった。
幸運にも私の悪いジンクスは当たらず、クッションが無事に届いた後も彼女はまだちゃんと生きている。よかった。
その日は体調が良さそうだったので、上に乗れて爪も研げるようにと何年か前に買った彼女のお気に入りのスツールボックスにのせて、一緒に写真を撮った。
写真だけ見たら、まるで病気が嘘かのように可愛らしく撮れている。

私の願いは、彼女が必要以上に苦しむことなく、残りの日々を穏やかに過ごすことだけだ。

日本に帰国してもう長い事暮らしている大事な親友が電話で話してくれた。彼がまだニューヨークにいた頃、猫も彼にとても懐いていた。
彼は母親を癌で亡くしている。
ペットの猫と親を同じレベルで語るなんておかしいのは百も承知だけど、彼の話でどんなに私が心を救われたことだろう。
彼の母親は抗がん剤治療を拒否して、50代で亡くなった。
会ったことはないけれど、とっても綺麗な人だった。
今考えても、本人が決めたことだから、それが良かったと思っていると彼が話してくれたことが、私の気持ちを軽くしてくれた。
私は友達は少ないけど、恵まれていると思った。

生きる事にも死ぬ事にも、何が正解なんてない。
でも、どのくらい続くのかわからない、この愛猫との最後の時間が、私にとても大事なことを教えてくれている。

追記:過去のペットポートレートの一例です。興味のある方は覗いてみてください。

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