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前例は、ただの前例、例外ない確信でも全てでもない。


父のその後について書きます。


一時はどうなるんだろうかと思っていながらも、なるようにしかならないという思いもありつつ、状態が落ち着く日々が長くなるごとに、自分の生活のペースも戻していくことができています。
 


3ヶ月いたICUを出て、呼吸器をつけたまま一般病棟へ移り、体が不自由のためナースコールも押せず、、の状態の父がどうなるのかなと思っていたところ
 
 
先日、人工呼吸器を外すことになりました。
 
 

人工呼吸器は、体内に酸素を送り込んだり、圧をかけて肺を膨らますサポートをしてくれるもの、という説明だったかと、私はそんな理解でいたのだけど、
 

時間が立つごとに、その機械のサポートがなくても大丈夫になり、アラートも出なくなって「これ、(呼吸器)とっても大丈夫なんじゃ?」となって、先生方も外す決断に至ったとのこと。
 


気管切開のままなので、声はでないけれど、表情が明るく、口をパクパクさせながら会話をする父は、とても元気に見えた。

 

特別に面会が許可されて、数カ月ぶりにベッドサイドまで行ったら、第一声は「ティッシュを2箱かってきて」だった。父らしい。
 


声が聞けない、となったとき、どうなるんだろうかと思っていたけれど、表情豊かに、口でパクパクしているのを見ると、意外と言っていることがわかる。先日は、お世話になっている先生の特徴を「くろぶちめがね」と言っていた。出てくる単語がおもしろい。
 
 
ICUに3ヶ月もいたため、先生方にとっても思い入れの深い患者なのだと聞いた。もう一生無理でしょうと言われていたものが覆った。何度もあった危篤のことも、それを受け止めてきた周りの人のことも、父だけが知らない。本人のわからないところで、どんどんよくなっている感じがまた面白い。
 


人は医学を越えるな、と思った。
けど、そうじゃないかも。

 
前例があったとしても、そのとおりになるとは限らない、
ということかなと思う。
 


父のような状態ならば、きっとこうなる、
というお見立てのもと、いろいろと手を尽くしてくださった。


先生方の思い通りにはならないかわりに、
違う経路を辿って、まったく別のゴールにたどり着いた。
ほんとうに人ってわからない。
 


やってみないとわからない。
その時になってみないとわからない。
流れてみないとわからない。
 
それをみせられたなと思う。
 
 

転院の話が出ていて、障害があることに加えて、呼吸器をつけたままで受け入れてくれるところをあたっていたのが、とれ(てしまっ)たため、またイチからのような感じ。
 


今は呼吸器が外れているものの、また肺の不調がでてきたときに、呼吸器をつけることを希望するならば、その設備があるところ、希望しないのであれば、また条件がかわる。
 

障害があるため、介護ではなく医療的なサポートも必要なため、病院併設の療養型施設もあれば、呼吸器が不要となれば、有料の介護付き老人ホームも選択肢に入ってくる。
 

ただし、療養型施設ならば、蘇生措置に関してはあまり前向きじゃないところが多く、併設の病院以外のところへの移送はほぼ見込めないらしい。
 

介護付き老人ホームならば、医療施設ではないので、もしものときは救急車で搬送してもらうことができる。民間施設なので経済的負担が大きくかかるのも特徴。
 
 

本人の意向も大事にしつつ、先の可能性も見据えて、
今の判断で将来を決める、というのが難しい。
だって、どうなるかわからないもんね。
 
 

でも、こうやって悩めるのもまた幸せなのだなと思う。
生きる可能性がたくさんあるというのは幸せだ。
喜ばしくて嬉しい。
 

 
ここにオープンにすることで、
たくさんの方から気にかけていただいて
いろいろ教えていただきました。
ありがとうございました。
お心を寄せていただけたことが、
父へのエネルギーになったことは間違いありません。
本当にありがとうございました。


サポートにいただいたお代は、トリートメント時の精油代などに使わせていただいて、癒される方へのパワーへつなげます。お気持ちを大切に受け取ります。ありがとうございます(*^^*)