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7年前、八ヶ岳での「夜と朝の交わり」

古いブログを整理していたら一つの記事を見つけた。2014.8.13に書いた。

そのころは、八ヶ岳のふもと長野県諏訪郡富士見町に保護犬3匹と住んでおり、毎朝八ヶ岳を見ながら散歩していた。散歩といっても、それぞれマイペース。アメコカの多動児らくたを除き、ほぼノーリードで田舎の畦道をたらたら歩く日々だった。

夏の季節、太陽は阿弥陀岳のてっぺんから上る。阿弥陀さまのお腹から誕生するのだ。太陽が顔を覗かせる直前、あたりは薄紫に染まり、山頂から金色の光が放たれる。その瞬間が、たまらなく好きで見とれていた。

ちょうどこの日は、満月が沈むと同時に、朝日が生まれる、まさにそんな朝だったようだ。


==以下、旧ブログより==

おはようございます。
雨上がり、美しい朝を迎えております。
早朝のワンコ散歩で、
西の空に沈み行くお月さまを愛でつつ
入笠山方面に沈む満月
反対を向くと、
ちょうど朝日が阿弥陀岳から昇る
ところに遭遇いたしました。
阿弥陀岳からの朝日
それをFBに投稿。

***

おヤマから朝日が生まれる!
って思ってたんじゃないかな?
縄文の祖先たちは。
こんな景色を見ると、
今日って日は毎朝おぎゃあって
生まれてるんだな、とつくづく思う。
貴重な晴れだそうだから、
生まれたての今日を楽しもう。
付き合わされてるワンコたち、ごめん。笑


***

そしたら、
先日お茶会にご参加くださいました
M.Iさんがこんなコメントを!

いいですね!創世記のような光景です(^-^)


もう、びっくり。
はああ~~、そうなんだね、
朝は今日という日の創世記なのだ。
と合点が行った。

深く納得してしまった。


そして夜になると今日という日が
終焉を迎える。


太陽と月。世界中で語り続けられている
神話の世界が、「今、ここ」にあると
強烈に感じた創世記の朝でした。

====


読み返して思った。言葉の選び方も、文章の区切り方も今とは違う。それに、八ヶ岳では、先日の大島で見た夜と朝の交わりとは、心に残るという意味では同じように響いているが、少し他人事っぽく感じられる。

でも、何というか、沈む満月と上る太陽とが時空を超えてつながり、懐かしい大切な人に再会した気分だ。

それは、太陽や月は、毎日生まれ変わり、まして、時や空間を隔てて再会すればまったく新しい出会いだと思っていたのに、こうして文章で改めて読むと、何だ実はずっとそこにいてくれたんだね。そんな感覚。

それとも、八ヶ岳で受胎したものが、7年3月の時を経て、言葉や絵として表現されるために、やっと大島で産道を通ったということなのかも。

不思議だ。

今晩は、それこそ30年ぶりに東南アジアをともに旅した盟友たちに再会する。その前祝いと受け止めよう。


▶️ 2021.11.20大島での、夜と朝が結ばれ、生まれたもの


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