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夜と朝が結ばれ、生まれたもの
なんとかタウンの創業者が、ソユーズに搭乗し宇宙に旅立ったとニュースでやっていた。残念ながら何の感情も湧かず(そんな金があったら云々、、はさておき)、逆にたとえ宇宙に行ったとしても彼は決して深い充足感を得ることはないだろう、という冷めた目で見ていた。
それよりも、何で身の回りの不思議さに思いを馳せないのか。私たちは、今ここにいるだけで純然たる宇宙の存在だ。にも関わらず、残念ながら物理的にも哲学的にも「ここ」のことをほとんど知らない。
以前、片方の足もとには1万種以上の見えない生き物がいることや、地球表面の土(表土)が1㎝出来上がるのには万年単位の途方もない時間がかかると聞いて、心底驚いた。
でも、知ってて何?というのも理解できる。知らなくたって生きるのに問題ないからね。まして地味だし。
まあ、人間とはそもそもフロンティアを求める生き物だ。古の人々であれば、それは太陽が沈む山の向こうだったり、海のはるか先に浮かぶ大陸のこともある。だから、わかる。
未知の世界を知りたい。
そのために祖先は旅をしてきた。旅を繰り返した結果としての、今の地球。あちこちをグーグルで見ることができる驚異的な環境では、フロンティアとは、宇宙やバーチャルの世界になるのは当然だ。
その意味では、宇宙への憧れは時代の要求だ。行けなくはないし。
ただね。
どうやってもそれは、金を払って手に入れる借り物の体験としか思えない。
*
2週間ほど前、伊豆大島に行った。あまりの近さにこれまで行きたいと思ったこともなく、今回初上陸だった。
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そしたら、予想外の面白さ、素晴らしさに、それまで見向きもしなかったことを深く反省した。
大島といえば活火山の三原山が有名だが、約150年周期で中規模、35〜40年周期で小規模な爆発を繰り返してきたそうだ。今はちょうど両方の交点で、地下にも前回と同量のマグマがすでに溜まっているという。
つまり、いつ噴火してもおかしくない状態。
そんなこともつゆ知らず、三原山火口までガイドしてもらった。荒涼たる景色に、葉の厚みも生え方も、身近なものとはまるで違う植物たち。
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これでまた噴火したら、景色は一変するという。35年前の噴火では、1500メートルもの火柱が上がり、地元民は安全な場所からそれを眺めて「た〜まや〜、か〜ぎや〜」とお祭り騒ぎだったらしい。
また、固まる前の溶岩で灰皿を作り、特産品として売ってたとか。島民のお茶目さ、たくましさもたくさん聞くことができた。
もっともその後、想定外のところからの噴火が起き、集落近くまで溶岩流が流れ込む危険があったため、全島避難を余儀なくされたというのだが。
火山と生きるとは、厳しい反面、大らかでないとやってられないのかもしれない。
*
山から降りて、島の南にある宿へ移動中、伊豆半島の上空が真っ赤に染まった。自宅からこんなに近い島で、ダイナミックな地球の胎動を感じる。地球は生きている、をまさに実感した一日だった。
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翌朝、海から上る朝日が見たいと、1人近所の展望台に行った。そこは奇しくも戦中に砲台が置かれていたところだった。景色が美しい分、残された防空壕は歴史の悲惨さを露わにする。光と闇は共にある。
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日の出間近になり、ふと、海の反対に目をやると、前夜、ほぼ皆既に近い月蝕となった満月がお役目を終え帰路につくところだった。月が山に隠れそうになると同時に、海からはキラキラと太陽が顔をのぞかせた。
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沈みゆく満月とのぼる太陽。片方が低くなると、片方が高くなる。地球がまわっているというより、自分を中心に宇宙がくるくる追いかけっこをしているようだ。
その時は言葉にできない、いや、したらいけない何かを感じた。ただただ、その中に自分もいる。月と太陽を両手でつないでいるような。
それにしても、島の端っこで、まさかこんな場面に出会えるとは。
とても深いできごとだった。
***
しばらくしてからその時を振り返り、思った。夜の終わりと朝の始まりが交わると一体何が生まれるのか。
誰も見ていなければそれまでだ。淡々と時は過ぎる。
でも、間違いなくわたしは証人だった。あの、島の端の、砲台があった「産土」で、両者が結ばれたのをたまたまちっぽけな人間が目撃した。
夜と朝。闇と光。深い海と高鳴る火山。
そう、そこにいたわたし自身が、両者をつなぐ子であるとはっきり分かった。ただそれだけ。
だけど思う。わたしは表現する人である。自然の父母から渡されたものは、必ず身体性を伴って表出されなければならない。
だからこそ、言葉となって、絵となってあらわれるのを待っていた。そこには、誰の介入も、カテゴライズも、決めつけもいらない。ましてや、簡単に土足で踏み込むことを許すわけにはいかない。
無垢も汚濁も併せ持った、両者の子から生まれる表現。今回、やっと言葉にすることが許された感じがする。
少しずつだが大きな両親に見せていこう。
こんな文章を書いたよ、こんな絵ができたよ、と。
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