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◆「いい子」の闇

こういう場面では、こんなふうに振る舞えば、好かれる。
相手から、褒められ、得をする。
そういうことを知っていて、その通りに振るまう「いい子」。

誰もが、多かれ少なかれ、「いい子」になった経験はあるだろう。
子どもの頃、親の前で。学校の先生の前で。友だちの前で。
大人になって社会に出てからも、同僚や上司、顧客の前で、
「いい子」になったことがあるかもしれない。

「いい子」になった経験がある人は、本当の自分は「いい子ではない」と知っている
に違いない。「いい子」は、自分がそのように演じているだけだと思っているかもしれない。
例えば、プレゼントをくれた相手に対して、「すごく嬉しいです」と口ではいいながら、心の中で「迷惑でしかない」などと思っていたりする。

自分自身の「いい子」の経験を振り返るきっかけをくれた一冊が、
小説「いい子のあくび」(高瀬隼子・著)だ。

この小説は、「いい子」であることを心掛けていきていた女性の会社員が主人公。
結婚を控えている彼女は、中学校の体育教師である彼の前でも「いい子」だ。

「いい子」であることを手放して、
心の中に渦巻いている「毒」のような感情の一部を吐き出せる女友達はいる。
しかし、彼女にとって「いい子」でありつづけることが強迫的だ。

怒りを表してもよい場面、
喧嘩をしてもよい場面、
そんな場面でも、「いい子」であることを辞められない。
しかし、やがて、彼女自身が「いい子」であることを受け止めきれなくなる出来事が起こる。

私は、「いい子」の反対は、「悪い子」ではなく、「嫌な子」。
という指摘が、印象的だった。

自分が深く傷ついた出来事が起きた時、心が苦しくなった時、その原因となった相手に対する感情は、どす黒いものになることがあるだろう。
怒りや悲しみの感情を抑えられない時もあるだろう。
相手に対して、その感情を表現したら「嫌な子」になるだろうが、
それが自然で、健全なこともあるのだと思った。

「いい子」と「嫌な子」
「いい子」が、心の中に抱える「闇」について考えさせる一冊。
不穏な感じの終わり方も、好きだった。

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