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50代の経営者が英語を学ぶメリット②

これから英語を学び直したい経営者さんを
応援する 英語コーチ 永木れいかです。

わたしには英語が苦手な夫がいます。彼は今週、ハワイに行って英語でプレゼンをします。備えあれば憂いなし、を目指して準備中。そんな彼と話していて心に浮かんだことがあります。

やっぱり50代から英語をやってみるって凄くいいんだな。もっとたくさんの人が、それに気がついたら世の中もっと面白くなりそう。

わたしの夫は「経営者」ではないのですが、以前かいた「50代の経営者さんが英語を学ぶと、本当は若者よりずっと有利なのではないか」という記事と考え方は同じ↓↓↓


その理由は2つ

1) 切実な想いがモチベーションになる

2) 言いたいことがあるのは強い

クライアントさんである50代の経営者さんたちに教えてもらった2つの理由に加えて、もう1つ。50代から英語をやってみると凄くいい、と思った気づきについて。

後記:
書き進めているうちに、なんだか「英語が苦手な研究者の奮闘記録」となってしまいました。でも、いろいろ思い出しながら書いていると感慨深く、消すには忍びなくなってしまったので、このまま載せたいと思います。

英語の苦手な理系研究者がアカデミックキャリアを築きながら英語に苦戦して、克服したりしなかったり、そんな話になっています。


わたしの夫は英語が得意ではありません。「人様に英語を教える前に家族を助けたら?」とつっこまれそうですが… もちろん頼まれれば喜んで助けます。でもグイグイ「教えてあげるよー」って夫に詰め寄るもの何か違う。やりたくない人に英語を教えるのって無理だと思っているから。楽しくないです、お互いに。


彼は研究者なのでキャリア的には英語が必要です。


なので、20年前に出会った頃から「英語ができるようになりたい」と願っています。濃度の上下はありますが。ときには「やったるで〜」と熱く、またある時は「話せたら楽しいだろうな…」と夢みがちに。


ここ3年はある程度、熱量たかめで英語と向き合っています。


海外で学会発表する機会が増えた、海外との共同研究プロジェクトをやっているとか色々あると思いますが、わたしが感じる1番理由は


自分の研究室をもつことができたから

だと思います。


20年前に出会ったとき、彼は博士課程を終えたばかりのポスドクという年次契約の研究者でした。わたしは夫と同じ大学の研究室でインド人の研究者の助手として働いていました。


その研究室はアメリカ帰りの教授が主宰していて、研究成果報告を英語でやったり、アメリカから研究者が講演に来たり、英語環境でいうと充実していました、とっても。夫はその中でもダントツで英語ができませんでした。


成果報告は、たしか月2回。毎回「嫌だ〜嫌だ〜」と言いながら準備して頑張っていました。彼はその研究室に1年いました。


結果、英語がずいぶん出来るようになりました!


ではなかったのです、残念ながら…


彼のなかで英語嫌いは倍増し、京都の大学に移るときに出てきた言葉は


「あーー、やっと解放されるっっ」でした。


お疲れ様でした。


ちなみに英語を抜きにすると、この大学での経験・学びは夫の研究人生を変えました。あの1年間で見聞きしたことが今の研究の礎になっているといっても過言ではありません。人生の出来事って本当に面白いですね。


さて話は英語学習に戻りますが、英語習得には「環境が大事」って言いますよね。「言葉は使わないと出来るようにならないよ」とも。それは一理あります。使うことで「〇〇ってなんていうんだっけ?」と足りない知識が明らかになって、効率よく学べる。ロジックはわかります。


でも、1)無理やりに、2)準備もできていないのに3)失敗できないような心理的プレッシャーの高い、そんな中で「使う環境」が整っても


「英語やっぱり無理、ヤダ」


となってしまう、ということを目の当たりにしました。


その時、わたしは英語の仕事をしていなかったので、イチ傍観者として彼のそばにいることしかできませんでした。彼のプレゼンの時には心の中で「ガンバレーー」と強くつよく祈っていました。自分の知っている英語が、人様の役にたつと気がついていませんでした。


何年か経ち、夫は京都の大学で助手(1番下っ端のスタッフ)として働くようになりました。英語で論文をたくさん書くようになりました。教授は英語が得意な方で、怒られながら真っ赤かに直してもらった論文と闘っていました。


その研究室で、助手→講師→准教授とアカデミックキャリアを進んでいきました。


その間も英語に関しては、肩身の狭い心細い思いをたくさんしていました。海外から研究者が講演にきて夜は接待。そんな予定が入ると2週間くらい前から


「あ〜、英語やだな。あの先生、来なくなんないかな…」

「ご飯なんて食べに行っても味なんて分かんないよ。早く帰りたい、って祈るだけ」

「ディスカッションしようとか言われないように研究室にいないようにしよう」

とにかくネガティブ発言ばかりでした。そりゃそうだと思います。何が問題は痛いほど分かっているのに、変えられない。変わりたいのに変われない。


で、外国人と接する機会があるたびに「やっぱり英語から逃げられない」と一瞬だけ英語熱が上がり、テキストを買ったり英会話スクールに申し込んだり。

でも大学スタッフとして働くって激務なんです。論文書いたり、学生の指導をしたり、その他にも授業だったり、入試業務だったり、目の前に「やらねばならぬこと」が山積み。そうなると英語は後回し。そして、サイクルは繰り返します。


海外からゲストが来る→やっぱり英語やらなくちゃ→忙しいから挫折→またダメだった、と自己嫌悪→こんな忙しさじゃ無理でしょ、と開き直り


なんと、このサイクルは15年続きました。

この間、わたしは英語の仕事を始めました。「英語ができない自分を変えたい」って人のサポートをしつつ、夫が英語で七転八倒するのを見守っていました。頼まれれば、できる限り手伝いもしてきました。でも私は妻であり、彼の英語コーチではないので受け身でやってきました。

そんな私をみて「何でもっと助けてあげないの?」と聞く人もいました。たまーに私自身も、「彼の英語力を爆上げしよう」と奮起することもありました。続きませんでした。私にとっては「家族に」って難しいです。

そんなこんなで傍観者的な私から見て、ここ数年の彼の変化には驚いています。あ、いわゆるペラペラにはなっていませんが。その理由が、

自分の研究室をもつことができたから

ではないかと、勝手に推察しています。

その理由は…

続編にてつまびらかにしたいと思います。


徒然なるままに書いていたら本題に入る前に、どんどん長くなってしまいました。個人的な思い出の記としても大切にしたいので、このまま続けたいと思います。

もし続きも読んでみようと思ったら、ぜひ!


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