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意思疎通の不思議 : 相手はイタリア語、私は英語で話していたのかもしれない

こんにちは。
英語コーチの ながき れいか です。

今日、夫の仕事関係のお食事会に
付き添いで行ってきました。


ある会社の社長さんと、その息子さん


その会社の研究員の方が6月から
夫の研究室に来るらしい。1年間

その研究員の方、フランス人なのです。


私、フランス語を勉強中。
今年の目標はフランス語で友達をつくる。



わぁぁぁ
なんと素晴らしい偶然

嬉しくなって前のめりで

「毎週、研究室に行けば友達になれるかもしれないですね!」

と言ったら、その息子さんに

「フランス語で意思の疎通がとれるのですか?」
と聞かれました。

とれない...

意思、少し届けることはできても、
相手の言ってることは受け取れないことが多い

意思の疎通、って何だろう…



この前、意思の疎通について遠い記憶が
蘇ってきました。


Reiさんのこちらの記事を読んで
10年以上前、南イタリアの田舎町で
2ヶ月くらい暮らしていた頃のことを
思い出しました。


息子は2歳、私は無職でした。
朝、夫が出勤した後、2人で散歩しながら
港まで歩いて行って、ジェラートを買って
半分こして食べる。

コーノ、ピッコロ、ぺルファボーレ


今でも覚えている数少ないイタリア語。
「小さいサイズ、コーンでお願いします」

(合ってるかな?)


バール(カフェ)に行ったり、公園に行ったり
行く先々で、色んな人と話して
息子はチョコもらって、抱っこしてもらって


パン屋さん、お肉屋さんでは
お得意さんみたいに「いつもの」って
買い物していた記憶がある。


隣に住んでいた老夫婦にドライブで
ビーチに連れてってもらってBBQしたり、
名前も知らない近所の人のお子さんの
盛大な誕生日パーティーに呼ばれたり。


みんな英語はできなくて、わたしも
イタリア語は、ほぼ話せなかったのに
でも、通じ合えていた記憶がある。
笑っていた思い出がある。


10年以上たってもモルフェッタの人たちと
石畳の古い街並みは色褪せない。


記憶が美化されたのだろうか?


それでも、やっぱり心が通じていたのは
事実だと感じるのです。


意思の疎通、という言葉の響きが
モルフェッタでの温かい思い出とは
なんだか噛み合わないような気がする。


意思の疎通がとれるか、とれないか?
コミュニケーションが成り立たなければ
語学を学ぶ意味などないのか。


「あー、もっとこの人と語り合いたい」

「なんか通じ合えた」と笑顔を交わす


まだ見ぬ友に会ってみたい、話してみたい
そんな気持ちで好きでフランス語を
やっています。


6月に出会う、その研究員の方と
友達になれるかもしれないという期待は
意思の疎通がとれない今も
どーってことないように思わせてくれる。

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