ワールドカップで起きた人権侵害

昨年カタールで行われたワールドカップで、森保JAPANは優勝経験のある強豪のドイツとスペインを破り、多くのサッカーファンを涌かせた。

『名探偵コナン』のエピソードの1つである『競技場無差別脅迫事件』がワールドカップと同時期に放送されていたが、その中でコナン君は「日本のワールドカップ出場はガキの頃からの夢だった」と発言している。

『競技場無差別脅迫事件』は原作が1998年の4月18日に出て、アニメは前編が1999年の1月11日に放送されているから恐らくコナン君の台詞にあるワールドカップは1998年のフランスワールドカップのことを指していると思われる。(ただし『名探偵コナン』は1994年の6月18日に原作1巻が発売され、2023年になった現在でもコナン君が幼児化してから半年程しか経っていないという設定なのでコナン君の台詞に対して「?」が生じる人も少なくないだろう)

フランスワールドカップの時は僕は小学4年生でちょっと記憶が曖昧なので調べ直してみたのだが、アニメ内でコナン君がだだをこねていた通り日本はアルゼンチン、クロアチア、ジャマイカに敗れて一次予選で敗退している。

その後2002年の日韓ワールドカップでは日本はベルギーに引き分け、ロシアとチュニジアに勝ち、一次予選を突破してベスト16入りを果たした。(決勝トーナメントではトルコに敗れている)

そしてその後も日本はワールドカップに連続出場している。結果は……

2006年ドイツワールドカップ:クロアチアに引き分けたものの、オーストラリアとブラジルに敗れて一次予選敗退。

2010年南アフリカワールドカップ:オランダには敗れたがカメルーンとデンマークに勝って一次予選突破し、その後決勝トーナメントでパラグアイに敗れてベスト16。

2014年ブラジルワールドカップ:ギリシャに引き分けたものの、コートジボワールとコロンビアに敗れて一次予選敗退。

2018年ロシアワールドカップ:コロンビアに勝ち、セネガルと引き分けておりその時点で勝ち点4でセネガルと並んでいたのだが、ポーランド戦では0隊1で敗れた際に反則ポイントがセネガルを下回っていたため一次予選突破。その後決勝トーナメントでベルギーに敗れてベスト16。

こうして見ると日本は200近い国と地域がある中で32チームしか出場出来ないワールドカップに7大会連続で出場しており、その内4大会でベスト16に進出しているということになる。

しかも昨年のカタールワールドカップで森保JAPANがベスト16に進出したということは2大会連続で一次予選を突破したことになるのだ。

これに加えて優勝候補を破っていることを踏まえると、いかに日本のサッカーがハイレベルな所まで来ているかがお分かり頂けるだろう。

世界の壁は高いとよく言われるが、その壁に手が届くところまで日本のサッカーは来ているのだ。

2011年にドイツで行われた女子ワールドカップではなでしこJAPANがアメリカとのPK戦を制して優勝を勝ち取っているが、男子のワールドカップで日本の優勝を見られる日もそう遠くはないのかも知れない。

……みたいなことを言うときは慎重にならないと選手達に対して要らぬプレッシャーをかけてしまうことになりかねないし、昨年のカタールワールドカップの一次予選でコスタリカに負けた時にあったような過度な期待から来るバッシングを誘発してしまう恐れもあるから気をつけておきたい。

スポーツのイベントでは以前の『『いだてん ~東京オリムピック噺』からの宿題は果たせただろうか?』の記事で書いたとおり、“選手ファースト”が必要不可欠だ。

正直に言ってしまうと僕自身も一次予選で日本がドイツやスペインと同じグループに入った時とコスタリカに負けた時の2回、「これは厳しいかな……」とか「下馬評通り決勝トーナメント進出はドイツとスペインかな……」とか思ってしまっていたからまさか一次予選を突破出来るとは思いもしなかった。今更ですがごめんなさい。日本人なのに日本のサッカーを卑下してしまっていました。試合を見させてもらっている以上は“選手ファースト”で応援しないとダメですよね。

そんなわけで自戒の念も込めてだが、「優勝を目指す」、「世界の壁を越える」といった目標は選手達自身に立ててもらって僕等は“選手ファースト”での応援をするようにしていきたい。

勝ったら「おめでとう!」、負けたら「ドンマイ!」
自分達のスポーツを思いっ切り楽しんでくださいね。
僕はそれらが“選手ファースト”の基本だと思っている。(←ただしこれに関しては価値観は人それぞれなので、皆さんには皆さんなりの“選手ファースト”があるだろうからよろしければ皆さんが考える“選手ファースト”についてもコメント欄で教えて頂けると助かります)

ところで、いつだったかプロ野球選手に対して「死ね」等と言った中傷魔がいた。
これは“選手ファースト”を守っていないどころか特定の個人に対する誹謗中傷だから間違いなく“人権侵害”といえるだろう。
球団は迅速に対応し、中傷魔は特定されていた。

先程も書いたとおり、カタールワールドカップの一次予選で日本がコスタリカに敗れた際、掌返しといえるバッシングが発生していた。
“批判”とか“激励”とかそういう表現も当たらずとも遠からずだろうけど、誹謗中傷ではないといえる内容のものはどれくらいあるのだろうか?
先に言ってしまえば、言った側が「自分が言ったことは誹謗中傷ではない」等と言うのは通らない。
僕自身自戒の念を込めておかなくてはならないのだが、以前の『間違ったことを言ったつもりがなくても……』の記事で書いたようなこともあるからだ。

「俺が不快だから誹謗中傷だ」みたいな暴論をまかり通されては無理が通れば道理も引っ込んでしまうということがあるからなかなか浸透しないのかも知れないが、基本的に誹謗中傷に当たるかどうかは言われた側がどう思うかが重要視される。

例えばホステスさんやキャバ嬢さんに対して「何で結婚しないの~?」と言ったらどうなるだろうか?

ホステスさんやキャバ嬢さんが「酔っ払いの戯言程度だったらセクハラだとは思っていませんよ」という対応をするのなら、それをセクハラ(迷惑防止条例違反?)と認定してしまうのはよくないだろう。言われた側がどう思うかということを考慮されていないからだ。(ただし、ホステスさんやキャバ嬢さんが本心でそう言っているのではなく諸々の事情で嫌でもそう言えないのであればハラスメントの悪質性がより強くなってしまうということはあるのだが……)

一方でホステスさんやキャバ嬢さんが「それはセクハラです」と言うのなら、結婚ネタの発言は自重するべきだろう。さもないと迷惑防止条例違反で罪に問われても文句は言えない。

これは結婚ネタの発言は相手がどう思うかによってセクハラとなるということが既に明示されているからだ。

例えば東京都議会での「自分が早く結婚すればいいじゃないか」という発言がセクハラであることは既に周知の事実のはずだし、親しい関係にある人が結婚した時に「結婚おめでとう。私はまだ独身……」という(親しい間柄である故の)ジョークを言っていた声優さんを親しくもない立場の人間が結婚ネタで野次ったりすればセクハラになるということもまた野次られた声優さん自身が苦言を呈していたから知られているはずだ。

社会的に見てハラスメントの概念に当てはめられる発言であることが明白である以上、言われた側がどう思うかということが重要視されなければならない。

そしてこれはハラスメントを誹謗中傷に置き換えても成立する。

従ってカタールワールドカップで起きた選手達へのバッシングについても多くのメディアで言われているとおり掌返しと呼ばれて然りで、「勝てば喜ばれて負ければ批判されるのは必然」というのは森保監督や選手達のユーラシア大陸並の心の広さで許されているだけなのだということを分かっておかなければならないだろう。

「死ね」程悪質ではないにしろ特定の個人や団体に対するバッシングは誹謗中傷、そして人権侵害となり得るのだ。

……ここまで書いた所で皆さんにお尋ねしたいのだが、タイトルを見てカタールでの外国人労働者の劣悪な労働環境や同性愛者への差別に関する問題のことだろうかと思われた方はどれくらいいらっしゃるだろうか?

確かに外国人労働者の死亡はスタジアムの建設中等に発生した例もあるから、ワールドカップと全く無関係というわけではないだろう。だがその一方で劣悪な環境下での労働がまかり通っていたのはそれ以前からのことだったはずだ。

同性愛者への差別に関して言えばもはやワールドカップとは全く無関係だ。

もちろんそれらに関してもきちんと問題視し、カタールの人々にそれらを改善してもらわなければならないことを大前提とした上で言えば、それらの問題をワールドカップと関連づけることには慎重でありたい。

「見て見ぬふりをするのもいじめだ」という言葉があるが、“いじめ”の部分は外国人労働者が劣悪な環境にいることや同性愛者が差別されているという人権侵害に言い換えることも出来るだろう。

従って、外国人労働者や同性愛者に対する人権侵害を容認してはならない。

しかし「見て見ぬふりをするのもいじめだ。いじめを容認してはならない」は正しい一方で、それをどのように行動化するかによってはとんでもない結果を招くこともあり得るのだ。

ここで少し極端な話をご覧頂けるだろうか?


ある学校でいじめが発生した。

先生はいじめが発生したらしいことには気付いていたが、いじめに遭った生徒は自分がいじめに遭っていることを言えずにいたこともあり、対処が難しかった。

そこで先生はいじめに遭った生徒にボイスレコーダーを持たせた。

結果、いじめの加害者となった生徒が何人でどんないじめをしていたのかが発覚した。

その後全校集会が開かれ、先生はいじめの加害者達を皆の前に呼び出して問い詰めたが、加害者達にはまるで反省の色がない。

そこで先生は剣道の竹刀を取り出し、いじめの加害者達を強かに打ち据えたのだった。

いじめの加害者達が打ち据えられている光景を見た全校生徒達は恐怖を覚えた。

「もうやめてください!」

集まっていた生徒の1人が泣きそうになりながらそう言った。

それに対して先生はこう言った。

「いじめに遭った子もいじめをやめて欲しかったはずだ。だけど彼等はいじめをやめようとしなかったし、周りにいた人達は誰もいじめを止めようとしなかった。その結果をしっかりと見ておくんだ」

そして先生はいじめの加害者達に対してこう言った。

「いじめに遭った子の痛みはこの程度じゃないんだ。それをよく考えろ」

だが、いじめの加害者となった生徒達の内の1人が倒れたままで全く反応しなかった。

先生は生徒を起こそうとしたが、生徒は2度と起き上がることはなかったという。

後日、傷害致死に問われた先生はこう言った。

「いじめを看過することができず、体罰に訴えました」


いじめが起きていることを見抜き、そしてその証拠も見つけた所までを見ると先生の行動は正しかったと言えるのではないだろうか?

しかし、反省の色がない加害者に対して体罰をやってしまったことに関しては間違っていたとしか言いようがない。

人命が失われるという重大な結果を招いたこともそうだが、体罰という時点で既に容認してはならない問題行動だ。

さらにそれが全校生徒達の目の前で行われたとなると、もはや生徒達にとって学校は安心して勉強できる場ではなくなってしまうだろう。

それを踏まえた上でカタールでの人権問題に対する抗議が各国で起きたことに対する日本サッカー協会の田嶋幸三会長の発言を見てみよう。

「今この段階でサッカー以外のことでいろいろ話題にするのは好ましくないと思う」
「あくまでサッカーに集中すること、差別や人権の問題は当然のごとく協会としていい方向に持っていきたいと思っているが、協会としては今はサッカーに集中するときだと思っている。ほかのチームもそうであってほしい」

田嶋会長は差別や人権の問題に当然の如く取り組むことを明言した上で(サッカー協会の会長なので)今はサッカーに集中するときだと思っていると言っているのだ。

ワールドカップで他ならぬサッカー協会が“選手ファースト”を守れなくてどうするのだろうか?人権を守れという正義を振りかざして選手のパフォーマンスを低下させるようなことがあったら、それこそ選手に対する人権侵害と言われて然りだろう。

僕は田嶋会長の言うことを強く支持したいと思っている。

テニスの大坂なおみ選手が2020年8月末の全米オープンでマスクに名前を書いて試合に臨んだことは記憶に新しい。

大坂選手のマスクに書かれていた名前はアメリカで警察官の暴行や正当防衛を主張する犯人の銃撃によって亡くなった黒人の名前で、大坂選手は亡くなった人達の名前をマスクに書くことで「人々が(人権についての?)議論を始めるきっかけを作りたかった」のだという。

そして何よりも大坂選手はこう語っている。

「より多くの名前を見せたいと思ったことで、もっと勝利したいという気持ちが湧いたように思う。それが私をさらに強くした」

例えばオリンピックがそうであるようにスポーツのイベントは“参加することに意義がある”だから実際に勝てたかはこの際考えないとしても、大坂選手は自分の意思でマスクに名前を書き、そしてそれによって自分のパフォーマンスを落としたりしなかったということを他ならぬ自分の口で語ったのだ。

大坂選手がそうであったように人権問題への取り組みを選手のパフォーマンスを低下させないように出来れば理想的なので、そうするためにも選手をサポートする側(サッカーワールドカップの場合は主にサッカー協会等)が先走らず、選手の思いを尊重しながら選手が試合に集中できる環境を作るべきだろう。

大坂選手の行動を支持すればこそ、田嶋会長の発言は正しいと言えるのではないだろうか?

さらに言えば、『差別を許さない』、『人権侵害を許さない』といってエセ正義を振りかざせば逆に人権侵害を誘発してしまうこともあるのだ。

例えば、2021年に東京で行われたオリンピック(『東京2020』)では「開会式である女性タレントに豚の格好をさせてはどうか」という差別的発言があった。

これに対して多くの抗議の声が上がったが、当の女性タレントは「私は嫌だったら嫌だと言います」と対応しており先程記述したホステスさんやキャバ嬢さんの対応にも通じるし、且つその差別的発言は開会式でどんなことをするかを話し合う場で「それは不適切ではないか?」もちゃんと問う場で出たものだったのだという。

ちなみに『五体不満足』の著者である乙武洋匡さんはこの件に関してこうツイートしていた。

差別的発言は容認してはならないが、それに対する批判は差別的発言を受けた本人がどう思うかを考慮し、本人の意向に沿った形で行われなければならない。

ついでに言っておくと、乙武さんは「俺」と明言しているわけだからこの通りだ。

もし今後この件で乙武さんに対する誹謗中傷をする者がいれば違反報告させていただくことになるので、それはきちんと理解して頂きたい。

しかもこの場合は批判によって女性タレントの開会式への出演話が消失して、実質的に仕事の1つを奪ってしまったわけだからまさに元も子もない状態になってしまったと言えるだろう。(女性タレント自身が特に圧力をかけられたり干渉されたわけではなく完全に自らの意思で出演を辞退したのであれば話は別だが……)

また、かつてお笑いコンビとして活動していた演出家がお笑い時代にやっていたコントの中にホロコーストをいじるネタがあったからという理由で解任されたこともある。

コント内でのネタは創作物であることが明白だ。

銀行強盗や怪盗を題材にしたコントをやったお笑い芸人は窃盗罪なのだろうか?

それに創作物に対する表現規制ばかりをやっていれば本当に根絶しなければならない現実世界での差別や人権侵害が放置されてしまう危険もある。

もちろん創作物は何でもありというわけではなく、かつて大坂なおみ選手のことを指した「漂白剤が必要」というネタが差別と言われていたように特定の個人や団体に対する差別や誹謗中傷があれば規制されることはある。

しかしホロコーストネタは出されていた当時は差別として認定されていなかったようだ。

当時差別として認定されていなかったホロコーストネタに差別や中傷の要素があるというのならまずはサッカーでいえばイエローカードに値するかどうかを吟味し、イエローカードに値するのなら警告した上で今後差別を繰り返した時にレッドカードという流れが必要になるはずだ。

今は出していない創作物を理由にして解任とはあまりにも理不尽ではないだろうか?

さらには開会式のパフォーマンスで大工の棟梁を演じるはずだった俳優がかつて出演したビデオ作品の中に障害者に対する誤解を生む描写があったからという理由で辞任したこともあった。

これについては本人が「皆さんにご迷惑をかける」と自ら辞退を申し出たとされているから本当にそうなら彼の意向を尊重するべきだが、エセ正義の粗探しと同調圧力のせいで辞任せざるを得なかったのだとしたらむしろこれは彼に対する人権侵害とさえ言えるのではないだろうか?

さらにこんなこともある。

『東京2020』の際、韓国の選手村で「臣にはまだ5000万の国民の応援と支持が残っています」とハングルで書かれた横断幕が掲げられたことがあった。

これは「(韓国の)5000万人の国民は代表選手の皆さんを応援していますよ」という意味に受け取れる。

「そんな応援メッセージだと選手にとってプレッシャーにならないか?」とか「オリンピックやスポーツにそれほど関心がない人もいるだろう」とかそういうことはあるだろうけど、そういった問題点は日本にもあるわけだし、そこまで問題視されるようなことではないはずなのだが、IOCはこの横断幕が五輪憲章第50条に違反するとして、外すように韓国側に言ったのだった。

先程も出した『『いだてん ~東京オリムピック噺』からの宿題は果たせただろうか?』の記事では副島道正さん(塚本晋也さん)の「日本をドイツに置き換えてみろ。ナチスに置き換えてみればさらに明白だ」という台詞について「今回開催しようとしているオリンピックは“選手ファースト”にできていない」という意味も込められていたのではないかと書いている。

では、「今回開催しようとしているオリンピックは“選手ファースト”にできていない」以外にはどんな意味が込められているだろうか?

まあ、ストレートに「1940年に東京で行われるはずだったオリンピックはナチスの政治宣伝を前面に出した形で行われた1936年のベルリンオリンピックに限りなく近いものになってしまうのではないか」という危惧の意図があったことは間違いないだろう。

五輪憲章第50条ではそういったことを防ぐため、「いかなる種類のデモも、政治的、宗教的、人種的なプロパガンダも、オリンピック会場、競技場、その他の場所では許されない」とされているらしい。

ワールドカップでもFIFAはそういったプロパガンダを禁止している。(ただし、IOCもFIFAもどういったことを基準に線引きしているのか、ご都合線引きではないだろうかという所はあるのだが……)

そういったことがあるからスポーツイベントの政治利用は基本的に避けられなければならないし、大坂なおみ選手が(「私は黒人」と言っていたものの)マスクには『黒人』というワードは書かずに亡くなった1人1人の名前を書いたのも人種的なプロパガンダではなく1人1人の尊い命が失われたことをきちんと問題視して欲しいという思いからだと証明するためなのだろう。(←尤も、原則に則れば「プロパガンダではないか」と言う側がそうであることを証明しなければならないはずだ)

『いだてん ~東京オリムピック噺』では田畑政治さん(阿部サダヲさん)が高橋是清さん(萩原健一さん)に対して「オリンピックにかける若者の熱意を政治に利用すれば良い」(…だったかな?)と言ったことを後に思い出し「間違えたのはあの時だった」と後悔する場面があった。

また、同ドラマでは1964年の東京オリンピックで聖火ランナーを1945年(昭和20年)8月6日、原子爆弾が投下された広島で生まれた坂井義則さん(井之脇海さん)に務めさせることを躊躇う人々がいた。

その描写はアメリカに対して腰が引けてしまっているという一面もあったようだが、伏線が回収された後でその描写を見ると、同時に政治宣伝になってしまわないかという危惧もあったように思う。

田畑さんはあくまでオリンピックが平和の祭典であるからこそ平和の象徴となってくれる人、且つ若いランナーとして坂井さんを選んだことを説明し、周りの人々が納得できる形で坂井さんを聖火ランナーに決定したのだった。

だから「臣にはまだ5000万の国民の応援と支持が残っています」は良くない……と言われたら、韓国国民でなくても「何でやねん?!」と言いたくなるだろう。

2012年のロンドンオリンピックでサッカーの韓国代表選手が竹島の領有権を主張する紙を頭上に掲げたことは確かに領土という政治に直結することを前面に打ち出していたわけだから五輪憲章に違反すると言えるだろう。(日本の領土を韓国が不法占拠することを許してはいけないという理由ではない)

だけど「臣にはまだ5000万の国民の応援と支持が残っています」が政治宣伝になってしまうのは何故かを調べてみたら、もはや呆れて物も言えなくなるような理由だった。

今年の大河ドラマは『どうする家康』で徳川家康(演じるのは松本潤さん)が主人公だから間違いなく描かれるだろうとは思うが、天下人となった豊臣秀吉(ムロツヨシさんが演じるそう)はさらに自分の力を知らしめようと明(今の中国)や朝鮮を従えようとした。

そして起きたのが文禄の役(1592~1593年)と慶長の役(1597~1598年)だったのだが、この時秀吉の軍と戦った朝鮮の名将李舜臣は「臣にはまだ12隻の船が残っています」という言葉を残しているのだそうだ。

「臣にはまだ5000万の国民の応援と支持が残っています」は歴史上の人物の名言をもじった言葉だから政治宣伝……。完全なるクレーマーの発想としか思えない。

ところで『どうする家康』で秀吉を演じるのはムロツヨシさんだが、『東京2020』開会式のパフォーマンスで大工の棟梁を演じるはずだった俳優もまた秀吉を演じたことがあり、彼が演じる秀吉は大変好評だった。

まあ、ここで何らかの反応があるとは思えないがもし何らかの反応があるとしたら次のようなことを検討して頂きたい。

もし今後何かの国際交流イベントで「芸能人に出席してもらおう」という話があったら是非ムロツヨシさんや『麒麟がくる』で秀吉を演じた佐々木蔵之介さんを呼んではいかがだろうか?

韓国の歴史ドラマで李舜臣を演じたことのある俳優さんを呼ぶのもいいんじゃないか?

秀吉を演じた俳優と李舜臣を演じた俳優が握手をすれば、それは坂井さんが聖火ランナーを務めた時のように平和の象徴となり得るはずだ。

……政治や宗教の宣伝に利用されることなく“選手ファースト”を重んじるために作られたはずの五輪憲章や『差別をなくす』、『人権を守る』という言葉が一部の連中の私怨に利用されるようになってしまうと、説得力をなくす。

挙げ句の果てに2022年の北京オリンピック(冬季オリンピック)では『外交的ボイコット』なのだそうである。

国際人権団体アムネスティ・インターナショナルの報告によると中国政府はイスラム教徒の少数民族が多く暮らす中国北西部の新疆地区でウイグル族やカザフ族などに対し、集団拘束や監視、拷問をしていたのだそうだ。

さらには中国政府はチュルク系民族に対して集団殺害(ジェノサイドといわれる)を行っていたという情報もあった。

中国政府によるイスラム教徒への人権侵害についてこちらの記事に示されているのだが、この記事が出た日付に注目して頂けるだろうか?

『2021年6月11日』ということは『東京2020』開幕(2022年7月23日)の1ヶ月以上前だ。

北京冬季オリンピックの開幕(2022年2月4日)から数えれば半年以上も前ということになる。

しかも『2021年6月11日』は上記の記事が出た日付だから、中国政府によるイスラム教徒への人権侵害はそれより前から知られていたはずである。

本当に人権を守ることを目的として行動しようというのなら、オリンピックとは関係なく人権を守るための運動は起きていたはずであり、オリンピック中もオリンピック後もそれが継続されていたはずだ。オリンピックという世界が注目するイベントの時だけ人権を守るふりをしたいわけじゃあるまいし、下手をすれば出場選手に迷惑をかける恐れもある中でオリンピックを『外交的ボイコット』等ということは有り得ない。

しかも『外交的ボイコット』を主張したり賛成したりした人間のうちの何人が「「臣にはまだ5000万の国民の応援と支持が残っています」を政治宣伝とするのはおかしい」と指摘したのだろうか?

「臣にはまだ5000万の国民の応援と支持が残っています」が政治宣伝だというのなら、『外交』というもろに政治に直結するワードを前面に打ち出した行為は紛れもなく五輪憲章に違反するはずだ。

この際だから言わせてもらえば、北京冬季オリンピックが終わってみたらイスラム教徒への人権侵害をなくさなければならないという声は“下火”になってしまって“がっかり”だ。

これだけでもとんでもないご都合線引きだが、日本が『外交的ボイコット』をやった時には「人権を守らない国はオリンピックの開催国として相応しくない」等と言う者がいたのだそうだ。

さすがだ。

入管で人を死なせてしまう。

冤罪事件が起きた時に容疑者を誤認逮捕して拷問のような取り調べを行った警察や誤報を流して容疑者の社会的印象を悪くした報道関係者は責任を問われない。

SNS上で殺人事件の犯人にでっちあげられたお笑い芸人がいたが、誹謗中傷の削除を求められたにも関わらず「事実ではないと証明出来なければ削除できません」等という論外な理由で放置したSNSの管理者もお笑い芸人を中傷したSNSの利用者も実質お咎めなし。

海外に移住して生活していたがC云々の感染拡大に伴ってお子さんのために日本に帰国することを決断したYouTuberさんに対してSNS上で誹謗中傷が発生した時も、中傷魔はお咎めなしで誹謗中傷の被害に遭ったYouTuberさんは自身のSNSを制限しなければならなくなってしまったばかりか、さらにはそのYouTuberを侮辱した別のYouTuber達は炎上商法で大儲けという事態になってしまうし、その内の1人は年末のビッグイベントに出演出来るという始末。

戦争を始めてしまった国があればその国の言葉を隠してしまう上に、戦争を始めてしまった国の国民だからという理由でパラリンピックへの参加を認められない選手がいてもそれを容認してしまう。

明らかにフェミニズムに基づいていない主張を侮辱の表現を交えてまき散らすようなクレーマーを指してフェミニストと言ってしまう。

アニメやドラマの放送時間が変われば高校球児を害悪扱いしたり放送時間を変更したテレビ局を誹謗中傷したりしてもいいと思っている。

警察官との接触により失明したバイクの運転手を中傷した連中が出たかと思いきや、今度は運転手の仇討ちだとばかりに警察署を襲撃した連中を擁護する連中まで出た上に、それが沖縄県で起きたものだから沖縄県民を差別する連中が出る始末。

この国がいかにオリンピックやワールドカップを開くに相応しいかを挙げ出すときりがない。

いやあ、理想の国を形作ってきたからこそ「人権を守らない国はオリンピックの開催国として相応しくない」と言えるんですね。

かく言う僕も自慢出来ますよ。そういった理想の国を形作ることに貢献しようと思っていなくても出来ていたんですから。

僕等は1人1人が自分で自分達のことを自慢していい理想の国の国民なんですよ。

理想の国の国民だからこそカタールでの外国人労働者や同性愛者に対する人権侵害についてもワールドカップの時だけ、しかも“選手ファースト”を守ろうとした田嶋会長を悪者にして自己正当化を図りながらやって、そしてワールドカップが終わったら音沙汰なしになるんですね。


……顰蹙を買う言い方だっただろうか。

申し訳ないが、実際ワールドカップが終わった今はどれくらい差別や人権についてきちんと取り組まれているだろうか?

それに日本人である僕等がいくらカタールに対して『差別を許さない』とか『人権侵害を許さない』と言ったとしても説得力など皆無だ。

実際、「同性愛者差別をなくすべきだ」と言ったところで日本でも異性愛者の法律婚は認められているのに同性愛者の法律婚は認められていないから「どの口が言うんだ?」ということになるだろう。だからまずは日本が同性の法律婚を認めるか、もしくは法律婚の制度をなくすかして差別を解消しなければならない。

ここまでいろいろとエセ正義に対して批判をぶつけてきたが、批判だけしてそれで終わりではいけない。

差別をなくし、人権が守られる方向に持って行くためにはどうすれば良いだろうか?

『外交的ボイコット』のようにあからさまな履き違えは論外だが差別をなくす、人権問題に取り組むといった行動には具体的にこれといった正解はない。

大坂選手の行動や田嶋会長の発言にしても支持はしているが、それが正解というわけでもないだろう。

従って、僕がこれから書く「差別をなくすためにやるべきこと」、「人権を守るためにやるべきこと」は決して正解ではないということを前提としてその上で読んで頂けると幸いだ。

まず差別をなくすために利用したいのが人間の心理だ。

例えば体罰に遭った子供は「体罰はあって然り…」という間違った認識を持つようになってしまう危険性がある。

逆に優しくされた子供は「自分は人に優しくしてもらえた。だから自分も誰かに優しくしたい」と思うという例があるらしい。(…もちろん個人差はあるから気をつけないといけないけど…)

そこで、“まずは自分が”差別や人権侵害をしていないかを振り返った上で、もししていたらそれを改善することが重要なのではないだろうか?

放置するのは危険、下手をすれば人命に関わるような差別や人権侵害は違反報告したり通報したりして逮捕技術を持つ警察や専門知識のある法律家に対処してもらった方がいいと僕は考えるようにしている。……というのも、僕は説得しようとして失敗した経験が何度もあるし、ハンターでない人が熊に出くわした人を助けようとして熊に立ち向かったりしたら下手をすれば助けようとした人も殺される恐れがあるからだ。(ちなみに実際に熊に出くわして襲われそうになっている人がいたら、絶対に熊から目を離さないように声をかけた方がいいようだ。『名探偵コナン』の『きのこと熊と探偵団』で言われていた通り、逃げようとして熊に背を向けてしまうと熊は本能的に襲ってくる危険があるようだ)

“まずは自分が”を出来たら、今度はそれをどうやって周りに広めていったらいいだろう?

例えばかつて話題になった『アイスバケツチャレンジ』は自分の知り合い3人に任意で広げていくというものであった。

ただし、この方法を使う場合は同調圧力が発生しないように積極的に任意性を保つ必要があるだろう。任意でなければ長続きはしないし、不服が出て逆効果となる恐れもあるからだ。

そして差別をなくして人権を守ることを広めていった上でなら、中国政府によるイスラム教徒への人権侵害やカタールでの外国人労働者への人権侵害のように人命に関わる、緊急を要する問題に対して説得力を持って取り組むことが出来るのではないだろうか?

そのためにも僕は“まず自分が”差別や人権侵害をしていないかを振り返る必要があるのだが……

え?今回引用した『間違ったことを言ったつもりがなくても……』の記事にあるように差別をしたわけではない誰かのツイートを引用して「差別」とか「テロリスト呼ばわり」とかそういうことを言ったら、元のツイートをした人へのバッシングを助長する人権侵害になるんじゃないかって?

……失礼しました(汗)

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